写真何でも情報 EXPRESSコラム・ギャラリー
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2000.10.28
ちょっとした撮影のコツや本格的な撮影方法、最新の写真・カメラ用語解説など写真とカメラに関する最新の話題を毎週さまざまな角度から取り上げていく「写真何でも情報 EXPRESS」。これを読んでスキルアップ!
日本には「三大」とつく名勝やお祭りがたくさんありますが、中には期待していったのにガッカリさせられることもあります。そうした「三大」の名称がついて、期待を裏切らない「日本三大火祭り」のひとつに挙げられているのが、福島県須賀川市で催される「須賀川の松明あかし」ではないでしょうか。 400年の伝統を誇り、毎年11月の第2土曜日(今年は11月11日)、日本都市公園百選のひとつ翠ヶ丘公園内を中心にして、文字通り、夜空を焦がす、長さ10メートル、重さ3トンもある大松明が登場します。
地元では、この火祭りが過ぎると「霜が降りる」ともいわれ、大松明で勢いをつけて、冷たい冬を乗り越えようとする意気込みが感じられるお祭りともいえるでしょう。それだけに、大松明も行く秋を惜しむように赤々と燃え上がります。
祭りは10日、夕方6時、八幡山での、かがり火設置、小松明行列から始まります。翌11日、午後2時過ぎ、松明通りで、松明太鼓演奏が流れる中、大松明、姫松明の披露からスタートです。その後、踊り流し(松明音頭)、大松明の出発式、少年少女による武者行列、武者隊出発と続きます。5時過ぎに二階堂神社で御神火奉受式があって、いよいよ松明に灯がともります。御神火は、健脚を競う若者によって市内を一巡し、会場となる五老山へと向かいます。同時に小松明が出発して、やはり五老山へ向かいます。
闇夜となった午後7時頃、五老山で本松明である28本の大松明に点火されるのに続き、武者仕掛松明点火、城仕掛松明点火され、7時30分過ぎには五老山全山が燃え上がったかのようになります。
この「松明あかし」の由来は、天正17年(1589年)に伊達政宗が須賀川城(二階堂家)を攻撃したのに対して、女城主であった後室大乗院を始めとして、家臣、領民が一体となり、手に手に松明を持って城を守ったものの、城は火炎に包まれ落城。この戦いで戦死した多くの人々の霊を弔うために行われるようになった行事といわれています。ちなみに五老山の名称は、この合戦より8年ほど前に、三春城主・田村清顕方と須賀川城主・二階堂盛義の老臣5人が和睦の交渉をしたことが由来となっています。
この火祭りの撮影場所は、やはりメインの五老山とその付近になりますが、大松明が燃え盛る前の、点火直後の方が火祭りの写真としては雰囲気があるようです。
ところで、紅葉を撮影したいのであれば、水が乙字の形をして流れ落ち、日本の滝百選にもなっている「乙字ヶ滝」に行きたいところです。
写真協力:須賀川市役所
[交通アクセス]
JR東北本線 須賀川駅下車(郡山駅より10分)
[問合せ]
須賀川観光協会 0248-75-1111
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