写真何でも情報 EXPRESSコラム・ギャラリー
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2005.02.26
ちょっとした撮影のコツや本格的な撮影方法、最新の写真・カメラ用語解説など写真とカメラに関する最新の話題を毎週さまざまな角度から取り上げていく「写真何でも情報 EXPRESS」。これを読んでスキルアップ!
開港広場にある日米和親条約の記念碑、
後方の建物は「横浜海岸教会」。
右手には、横浜の歴史に関する展示が充実した、横浜開港資料館があります。
ペリーが上陸した場所と同じ海。大桟橋方向を望む。
写真は、世界各国の帆船が横浜に集合した「帆船まつり」(2002年)の際に撮影。
今週の3月3日は、日本が江戸時代の鎖国政策を転換して、開国条約に調印してから、ちょうど151年目(※文末に注釈)に当たります。1854年のこの日、黒船でアメリカから来航したペリーと、日本の江戸幕府は、横浜で日米和親条約に調印し、日本の開国、つまり鎖国の終わりを決定付けました。
読者の皆さんは、この3月3日という、開国の日付を知っていましたか? あるいは、日本開国の地が、横浜だということを知っていましたか? 黒船来航の史跡としては、三浦半島の浦賀や、伊豆下田も知られていますが、日本が開国した、つまり江戸時代を通して続いた鎖国が終わる直接の舞台となった場所は、横浜なのです。
ちなみに、浦賀はペリーが最初に来航して、とりあえず開国の要求を伝えたところ。伊豆下田は、横浜での開国条約締結を受けて、後にハリスが来日したところです。
それでは、日本開国の現場は、横浜のどこにあるかというと、山下公園や大桟橋などの有名観光スポットにも近い、横浜開港資料館前の噴水がある広場のところ。この広場、「開港広場」というのですが、正式な名前を知っている人は、残念ながら、まだまだ少ないようです。近代日本の原点なのに、あまりにも注目されないので、かわいそうに思えてきますね。交差点に面した歩道付近に、地球儀型の記念碑が建っていて、日本開国という歴史の舞台であることを伝えています。
横浜開港資料館の敷地内中心部には、ペリー来航と日米和親条約締結の生き証人である「玉楠の木」が、大きな枝を広げて、いまも元気にそびえ立っています。この木は、ペリー横浜上陸を描いた随行画家ハイネの絵にも登場するものです。ハイネの絵は、歴史の教科書などにも載っているので、読者の皆さんも、見たことはあると思います。
黒船でやってきたペリーの気まぐれ(?)で、横浜が浦賀に次ぐ、二度目の上陸地点に決定。それで、日本の開国が決まったわけですが、それから5年後、日本が正式に外国との通商を行う目的で、最初に港を開くことになった場所も、結局は横浜に決まりました。この史実が、今日の港ヨコハマの賑わいを作り出すことになったわけです。
横浜に遊びに来る機会があったら、地下鉄みなとみらい線(東急東横線直通)を、終点の一つ前の日本大通り駅で下車して、日本開国の夢の跡を、ぜひ訪れてみてください。中華街も、開港広場から歩いて行ける距離にありますので、お食事前の散策にもどうぞ。
地下鉄みなとみらい線交通案内
http://mm21railway.co.jp/www/
※注釈
開国当時の旧暦の日付で、日米和親条約の調印は1854年3月3日。西暦の日付で換算すると、3月31日がその日となります。
写真提供:写真家・澁谷恵宜(C)2002-2005 Shigenori Shibuya
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