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2005.04.16
ちょっとした撮影のコツや本格的な撮影方法、最新の写真・カメラ用語解説など写真とカメラに関する最新の話題を毎週さまざまな角度から取り上げていく「写真何でも情報 EXPRESS」。これを読んでスキルアップ!
「日本写真の開祖 写真師・下岡蓮杖顕彰碑」
馬車道商店街の歩道上に建てられています。
記念碑は、幕末当時のカメラを模した形です。
馬車道周辺には、歴史的建造物も残されています。
馬車道のガス灯は、夜になると点灯されます。
(上)明治期の馬車道の様子を伝える写真パネル。
「関内ホール」前の、歩道沿いに掲出されています。
カメラのキタムラは、会社としての登記上の本店所在地は、高知市となっていますが、実務的な本社機能は、横浜市にあります。この横浜という場所、実は、幕末時代に、日本で初めての商業写真館が登場したところで、まさしく「日本の写真発祥地」なのです。そこで今回は、横浜にある写真発祥の史跡について取り上げてみたいと思います。
このコーナーでも2月の記事でご紹介した通り、横浜は「日本開国」という歴史的事件の舞台。アメリカのペリーが1854年に黒船で来航、横浜に上陸し、開国条約を締結して江戸時代の鎖国政策に終止符を打ったことから、日本の近代史がスタートします。その後、ハリスが来日した伊豆下田での暫定開港時代を経て、1859年より、横浜は国際貿易港として開港し、海外との貿易・交流が活発に行われるようになりました。この国際貿易港としての性格上、横浜には西洋から持ち込まれた、さまざまな「文明の利器」や近代的な文化・習慣が、日本で最初に上陸することとなり、横浜の街は、今日の日本人の生活に定着した、たくさんの「モノ」の国内発祥地となりました。
写真術も、横浜から発祥した文化の一つ。史実としては、幕末の1862年に、初の日本人写真師となる下岡蓮杖が、横浜に写真館を開いて営業を開始したのが、日本における「写真の起源」とされています。現在も、馬車道には「下岡蓮杖顕彰碑」があり、その歴史を伝えています。
横浜・馬車道は、写真だけでなく、街の名前の由来ともなった乗合馬車や、アイスクリーム、街路樹、ガス灯などの国内発祥地でもあり、現在、馬車道商店街では、ホンモノのガス灯が復活。独特の温かみがある光が点灯され、毎晩、街を幻想的に包み込んでいます。
写真を含む、これら文明開化に関する資料は、大桟橋や山下公園にも近い、博物館の「横浜開港資料館」に収蔵・展示されています。幕末・明治時代に撮影された古写真も、いろいろと見ることができますよ。横浜は、写真の発祥地であったがゆえに、歴史の記録が、絵や文字だけでなく、実写版の写真として残されている例が、とても多いのです。日本史の上では、横浜は最も写真に写される機会が多かった場所とも言えるでしょう。
現在も、港に近い観光地として知られるようになった横浜には、カメラを持って、たくさんの方々が全国から訪れ、散策や写真撮影を楽しんでいます。歳月を経ても、横浜が「写真の街」であることは、何ら変わらないみたいですね。
カメラのキタムラは、このような「写真の発祥地」である横浜を拠点に、全国規模で、写真に深く関わる仕事をしています。その昔、横浜の写真師が、ゼロから写真の技術と文化を日本全国に広げていった努力に負けないように、キタムラも、新しい時代にふさわしい写真の楽しみを、全国そして世界中の皆さんにお伝えしていきたいと願っています。
写真提供:写真家・澁谷恵宜(C)Shigenori Shibuyaあなたの大切なお写真の現像・保存・プリントは写真専門店カメラのキタムラにおまかせください。