写真何でも情報 EXPRESSコラム・ギャラリー
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2006.07.22
ちょっとした撮影のコツや本格的な撮影方法、最新の写真・カメラ用語解説など写真とカメラに関する最新の話題を毎週さまざまな角度から取り上げていく「写真何でも情報 EXPRESS」。これを読んでスキルアップ!
メールマガジン「キタムラフォトライフ」の、イワサキのツウ学のコーナーでも少し紹介したことがある、1980年代にキヤノンが発売していた、FDマウント用フィルム一眼レフで電子制御式カメラのパイオニアであった「Tシリーズ」。EOSマウントに完全移行した現在では、中古カメラ市場でしか手に入りませんが、その機能性とデザインは、21世紀となった現在の電子カメラ全盛時代を予見する斬新さにあふれていました。
「Tシリーズ」として発売されたカメラは、合計4機種。それ以前の過去にはなかった先駆的な新機能を次々と取り入れながら、一眼レフの新たなスタンダードを創造していった「Tシリーズ」の魅力を、'80年代という時代背景と合わせて振り返ってみたいと思います。
Tシリーズの記念すべき第1号機。Tシリーズに共通した最大の特徴は、フィルムの巻き上げが自動化された点で、これによって手動巻き上げレバーを搭載する必要がなくなり、スッキリしたボディデザインが可能となりました。当時のカメラ機能のトレンドを語る上で、一つのポイントになるのが、フィルムを自動で巻き上げるワインダー機能の内蔵でもありました。
この頃、団塊ジュニア世代の少年たち(当時は小学生~中学生くらいで自動車の運転免許がまだ取れない年齢、団塊世代に次いで世代別人口が多い)の関心を集めていたのは鉄道写真。分割民営化してJRになる前の、旧国鉄の花形列車だった長距離寝台特急「さくら」「あさかぜ」などのブルートレインを、駅や線路端で撮影するのが流行っていて、夕方の東京駅などには大勢のカメラ少年たちが集まり、それは大変な人だかりになっていたものです。小学生の金銭感覚からすれば、九州まで直行で走っていくブルートレインは、テレビで人気を集めたアニメ番組の「銀河鉄道999」のイメージとも重なって、まるで宇宙船でも見るかのようなロマンをかきたてたものでした。そこで、1日に1回だけしかチャンスがないブルートレインの撮影で、走ってくる列車を撮り逃がさないように、なるべくたくさんシャッターを切るにはワインダーが不可欠だったわけです。ちなみに、この時代から写真・カメラの世界に入ってきた人には、鉄道写真がキッカケだったという人が、プロ・アマ問わず実は結構たくさんいます。
鉄道写真を撮るカメラ少年たちの御用達は、「オートボーイ」などの自動巻上げ機能を装備したコンパクトカメラが主流。でも、コンパクト機で撮る小学生より、ちょっとお兄さんの中学生の間では、背伸びして“大人のカメラ”である一眼レフを使うことが、ある種のステイタスシンボルでもありました。それだけ、一眼レフというのは、少年たちにはカッコいいカメラだったというわけです。T50はワインダー内蔵ということで、そんなカメラ少年たちの一眼レフ入門機としての役目も果たしていました。
ところで、T50にはカタログや広告にのみ登場する、「オートマン」というニックネームがありました。コンパクト機は「ボーイ=少年」だったけれど、一眼レフは「マン=大人の男」というわけで、カメラ少年たちにとっては、これがまさに“ちょっと大人のカメラ”の代名詞だったわけです。それ以後、Tシリーズには、すべての機種にニックネームが付けられることになります。
なお、T50は機能的にはプログラム露出専用機となっており、オートボーイからも乗り換えやすい、シンプル操作が特徴でした。ただし、ピント合わせは手動です。また、外観デザインの特徴として、ペンタ部(中央)のキヤノンロゴのとなりに機種名が一緒に刻印されており、これも以後のTシリーズに共通しています。1983年度のグッドデザイン大賞を受賞。以後もTシリーズではグッドデザイン賞の受賞が多く、デザイン重視のカメラ開発でも一つの潮流を生み出し、業界全体に大きな影響を与えることになりました。
Tシリーズの中で、最も人気を集めた主力機種。アニメ版のテレビCMでも有名です。T50では巻き戻しが手動クランク式でしたが、このT70では巻き戻しも自動でできるようになり、フィルム交換の煩わしさから完全に解放されました。当時のほとんどの一眼レフは、カメラ本体だけでは手動により巻き上げ、巻き戻しするのが普通で、これらを自動で行いたい場合は、別売りのワインダーやモータードライブを買ってきて、カメラ底部に取り付ける必要がありました。もちろん、電池もワインダー側に入れる必要があり、合計するとたいそうなサイズと重さになったものです。このT70、そして前述のT50もワインダーを外付けする必要がなく、電源も本体から供給されるようになったため、その機能性と携帯性から大いに人気を集めました。
さらに、大型液晶表示とボタン操作を採用したのも特徴。そのため、ボディからは機械的に回して操作する部品が一掃され、直線的なシルエットのデザインが実現しました。これ以前の一眼レフは、シャッター速度やフィルムのISO感度などを設定する際に、ダイヤルを回して、そこに書かれた数字を指標に合わせるタイプがほとんど。1機能に1ダイヤルが割り当てられていたので、高機能なカメラになると、ボディ上部には“回すもの”が密集していたものです。T70では、シャッター速度などを液晶で表示してボタンで設定することで、以前のダイヤルの機能を代替しているわけですが、この新しい操作方法を採用した製品は、この機種が実質的には最初でした。T50はプログラム露出専用機だったので、実際には設定操作はそれほどなかったのですが、T70はマルチモード搭載機だったので、高度な機能とシンプルな操作、そして斬新なデザインをすべて満たすには、液晶表示とボタン操作は欠かせない要素だったのです。
このT70によって形成された電子的な操作性は、以後、フィルムカメラのEOSシリーズにも受け継がれ、現在のデジタル一眼レフへと続いています。また、他社のAF一眼レフの設計・デザインにも、大いに影響を与えました。T70が登場したのは、一眼レフがAF時代を迎えるよりほんの少し前ですが、AF一眼レフを実用化するには前提条件として、電子的な入力操作の実現が必要だったわけで、その点では、T70が今日の電子制御一眼レフカメラを生み出した原点であると言えます。
T70のニックネームは、「インテリジェント・シューター」。「シューター」は、「撮影する」という意味の英語の動詞「シュート」に“er”が付いた派生形です。この機種が登場した1984年ごろは、家庭にパソコンが入りはじめた当時と重なり、ボタンでキー入力する電子操作が、未来的なイメージをもって歓迎される時代でもありました。ちなみに、この当時の家庭用パソコンは8ビット機で、文字データを扱うのがやっと。今日は当たり前となった、デジタル写真の管理などは、まだ夢のまた夢という機能水準でした。
キヤノン製AF一眼レフの本当の第1号機。発売時期としては、ミノルタα7000と真っ向対決するタイミングで登場しました。キヤノンのAF一眼レフはEOSブランド以降と思われることが多いですが、実は、従来型のFDマウントを一部改良した特別仕様でもAF一眼レフを発表していたのです。ただし、AFに対応しているレンズは3本だけで、一眼レフ初心者層を想定した、T50のAF版といった印象でした。
FDマウントはもともとMF専用なので、用意されたAFレンズでは、レンズ側に駆動用モーターを内蔵。EOS用レンズに比べると、まだ発展途上の感は否めず、モーター搭載部分に出っ張りのある個性的な外観のレンズとなっていました。
ニックネームは、「アートロボ」。新発売は、つくば万博が開催されて、日本が国内外から注目を集めていた時期でもありますから、ネーミングの「ロボ」という語感にも時代を感じます。
T80の露出制御は、プログラムと絞り優先AEのみで、マニュアル露出は搭載なし。この時代の入門用一眼レフでは、マニュアル露出機能がない機種は、他社製も含めて実はかなりたくさんありました。なお、T80ではプログラム露出がマルチプログラムとなっていて、絵文字で撮影シーンに最適な露出モードを設定できるという、現在のコンパクトデジタルカメラに搭載されているシーンモードのような機能が、時代に先駆けて採用されていたのも特徴です。
EOSが産声を上げる1年前に発売された、Tシリーズの最高峰にして、FDマウント時代の最後を飾る超高機能一眼レフ。外見は、ほとんどEOS1です。機能的には完全なプロ仕様で、フィルム巻上げ機能も本格的なモータードライブを内蔵して高速化。これだけの性能を、単3形電池たった4本のみで賄っているという点も、当時としては注目に値します。プロ機の外付けモータードライブでは電池10本以上が必要な例もあったので、この電池の軽さが機動性の向上において大変に貢献しました。
ニックネームは、「タンク」。意味は「容器」ではなくて、「戦車」です。T90が新発売された当時は、日本中がバブルを謳歌していた頃で、クルマにしてもファッション(衣服)にしても、ラグジュアリーな雰囲気が好まれていました。そんな時代に登場したT90も、MFフィルム一眼レフとしては贅沢の限りを尽くした最高級の仕上がりとなっていました。デザイン面では、丸みを帯びた流線型を、カメラとして初採用。発表当初は、カメラファンには賛否両論でしたが、時代の流れとともに、この新感覚のデザインも受け入れられるようになりました。そのほか、細かい点ですがロゴの字体も、T90だけ兄弟機とはちょっと違っています。
この当時、他社では、すでにAF一眼レフを発売。しかし、AFレンズのラインアップがプロの要求に十分応えられるほど揃っていなかったため、交換レンズが豊富なMFの高機能機であったT90を支持するカメラマンも多かったようです。
いまでは、すでに生産が終了しているキヤノンFDマウントのMFカメラの中では、T90が最も年式が新しいモデル。そして、デザインや機能面も現代的で、発売から20年が過ぎた今日でも陳腐化した“古さ”をまったく感じさせません。そのため、現在も所有しているユーザーは、このカメラを大切に使い続けている人が多いらしく、キタムラが取り扱っている中古カメラでも、T90は常に品薄状態が続いています。持っている方は、ぜひこれからも大切に使ってやってください。
このページの写真は、キタムラのネット中古サイトに掲出された、中古カメラの商品説明用写真を掲載しました。よりわかりやすい製品写真については、メーカーのWEBサイト内にある「キヤノンカメラミュージアム」でご覧ください。
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