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写真何でも情報 EXPRESSコラム・ギャラリー

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2007.05.04

ちょっとした撮影のコツや本格的な撮影方法、最新の写真・カメラ用語解説など写真とカメラに関する最新の話題を毎週さまざまな角度から取り上げていく「写真何でも情報 EXPRESS」。これを読んでスキルアップ!

【カメラと写真の時代考証】
昭和・平成の一般消費者向けカメラ史

「平成」の世になって、早いもので既に19年。

いまどきのティーンエイジャーは、もう1980年代の「バブル」を知らない世代になりました。

そして、CDは知っていてもLPレコードを知らないとか、DVDは知っていてもビデオのVHSとβは知らないとか、携帯音楽プレーヤーは知っていても、一世を風靡したウォークマンとカセットテープは知らないとか、携帯電話のメールは使いこなせてもダイヤル式黒電話のかけ方は知らないとか、駅の自動改札を「スイカ」で通れることは知っていても、切符にハサミを入れていたことは知らないとか、おサイフケータイは知っていても、ギザギザの10円玉は知らないとか、パソコンのキーボードは見ないでも打てるけれど、鉛筆を手作業で削ったことはないといった人も、若者世代を中心に、だんだんと増えてきて、着実に世の中の様子は変化しています。これはカメラと写真の場合にも、おそらくは当てはまるはず。

カメラといえば、フルカラー画像のデジカメしか見たことがないという人も、多分かなり増えているのではないかという予感がします。となると、カメラの使い方、あるいは写真の文化を説明しようとしたときに、もしかすると、世代によっては同じ言葉でも違った意味で届くことがあるのかもしれない。。。この状況、単なる笑い話で済めばいいのですが。

そこで、一般消費者用として発売されたカメラが、どのような進化の過程を経て今日に至っているのか、過去30年ほどにわたり、改めて概観してみたいと思います。

時代別にみるカメラの流行と変遷

カメラには、かつて、「貴重品」と呼ばれていた時代があり、それは高級腕時計や宝石と同じように、価値の高いものとみなされていました。カメラよりも、まず先に冷蔵庫や洗濯機に憧れる人が多かった頃の話です。当時の日本では、大半の家庭において、所有している財産の中ではカメラが最も高額であり、なおかつ生活必需品ではなく「ぜいたく品」であったことから、質屋でおカネを借りたい人が、定番の質草としてカメラを使ったこともありました。

そして、現在のようなAFと自動露出を備えた簡単なカメラもまだなかったので、写真の素人である一般の人でも、マニュアル操作で撮影するのが当たり前。操作を覚えるのはそれなりに大変で、クルマや自転車の運転と同じように、ある程度は本腰を入れて訓練することによって、撮影技術の上達をめざす必然性がありました。この当時は、カメラを1台も持っていない家庭も実は多かったので、撮る対象が何であれ、カメラを持っているということだけでも、相当に写真に対する趣味性の高さを体現していたと言えるのかもしれません。日本人には、いまでもカメラに一種独特な感情を持っている人が多いようですが、それも、おそらくはこの時代の感覚にルーツがあるのでしょう。

この状況が一変したのは、一般家庭でも「マイカー」を持つことができるようになってからだと思われます。時期としては、1960年代~1970年代初頭。日本の高度経済成長が成熟期を迎えて、全国民的に生活水準が切り上がっていく中で、カメラと写真も大衆化の道を歩みはじめたのです。その頃には、もちろん、まだデジカメもインクジェットプリンターも存在せず、35ミリ判フィルムで撮影し、写真店に注文して現像・プリントするのが日常のこと。さらに、フィルムカメラの種類には、現在でも見られるフルサイズのほかに、普通なら横に長い画面を半分に分けて、縦長の規格で1コマ(面積は1/2に相当)を撮影するというハーフサイズのカメラも存在しました。これは、当時まだ値が張ったフィルム代を節約するためのアイデア商品で、24枚撮り用フィルムで、48枚強の写真が撮れました。

そんな時代を過ぎて、1970年代以降、カメラは家庭の中で誰もが普通に使う道具として、それまで以上に急速な発展を遂げることとなりました。ここでご紹介するのは、その進化と変遷の歴史です。

1970年代前半: 「カラー写真の時代」

団塊世代の子供である「団塊ジュニア」世代が生まれたのが、1970年代の前半。この世代以降は、生まれたときから、成長記録のすべてがカラー写真で撮られている例が多いと思われます。そのため、団塊ジュニア世代以降では、「写真」と言えばカラー写真のことだと思う感覚が普通で、白黒写真に対しては、日常的には馴染みがないことが多いでしょう。

とはいえ、本来の写真技術は白黒が基本で、カラー写真はそこから発展したもの。日本国内だけでも約150年にわたる写真術の発展史がありますが、その大半の過程は白黒写真の時代であり、単純に撮って現像すれば、特殊加工なしで「総天然色」のカラー写真が得られるという写真技術が普及したのは、歴史の中で見れば、つい最近のことなのです。カラー写真に必要な材料は、撮影用のカラーフィルムと、プリント用のカラー印画紙(こちらは現像所で使用する業務用)。これらが低コストで流通してこそ、カラー写真は身近になります。カメラについては白黒写真と共用なので、この時代における写真のカラー化に際しては、フィルムメーカーの果たした役割が大きかったと言えるでしょう。

フィルムカメラでは、デジカメと違って本体ごと買い替えなくても、消耗品のフィルムさえ最新製品に詰め替えれば、写真の質も劇的に変わります。それゆえ一般家庭でも、従来から使っていたカメラに最新のカラーフィルムを入れるだけで、カラー写真という革新的な技術を体感することは容易でした。もし仮に、この時代からデジタルカメラがあったとして、“白黒専用デジカメ”から”カラーデジカメ”に進化するような状況になっていたとしたら、カラー写真が普及するには、もっと長い時間を要することになっていたのかもしれません。現在でこそ、フィルムカメラ不要論のような声も聞こえてきますが、写真の発展史を考えると、カラー写真の急速な普及を達成するためには、この時代にフィルムカメラという装置が欠かせなかったことは間違いないでしょう。今後、デジカメが当たり前の時代になれば、いずれフィルムのありがたみは人々から忘れ去られるでしょうが、この時代にフィルムカメラがあったことが、決してムダではなかったということは、史実から見ても確かです。

1960年代には、テレビもまだ白黒放送が当たり前で、徐々に始まりつつあったカラー放送については、新聞のテレビ欄に「カラー」というマークが、わざわざ付けられていました。もちろん、新聞や雑誌の写真も、白黒がほとんど。こんな感じで白黒全盛だったところから、カラー写真の歴史はスタートしたわけです。その変化を、いまの感覚に置き換えて考えれば、フィルムカメラからデジカメへの切り替え以上に、写真がカラーになることは、センセーショナルな出来事だったのかもしれません。

この時代には、団塊ジュニア世代の誕生に絡んで、たくさんの子供たちが七五三などの行事を迎えて、一般家庭でも記念写真を撮る機会が多かったと見られ、カラー写真(ネガフィルム)の撮影機材として、(当時の感覚では)使いやすいといわれたカメラも多数登場しました。コンパクトカメラの走りで、「EEカメラ」と呼ばれたレンズ内蔵タイプの製品が発売され、露出調整が自動化されたことで、マニュアル露出の知識がなくても撮影できるようになったのも、この頃からです。ただし、レンズのピントは、依然として自分の目で見て手動で合わせる必要があったので、ピント調整を忘れるとピンボケ写真になってしまうという難点もありました。ちなみに、当時のカメラでは、フィルムの巻き上げと巻き戻しも、すべて手動でした。ただ、電源はボタン型電池があれば十分で、その点ではカメラの省電力性能が高かったと言えます。

1970年代後半: 「コンパクトカメラの時代」

コンパクトカメラといっても、この時代ではデジカメではなく、レンズ内蔵型の小型フィルムカメラのこと。まずは、「EEカメラ」にフラッシュを内蔵した製品が登場し、現在まで継承されているコンパクトカメラの外観デザインが、ここでほぼ決まりました。それ以前のカメラでは、一眼レフ以外でもフラッシュは外付けタイプのみ。フラッシュ撮影時には、その都度、手作業で本体に装着していたので、カメラ本体は小型でも、これでは外付けフラッシュの分だけ荷物が多くなってしまいます。しかし、カメラ内蔵フラッシュのみで撮影できるようになるとカメラの携帯性が向上し、誰もがより気軽に写真を撮れるようになったほか、露出アンダーでの撮影失敗例も少なくなっていきました。

そして、1970年代の終わり頃には、それまで懸案であったピント合わせの自動化も、いよいよ実現。原理的には、まだまだ簡易なものでしたが、この時期から、コンパクトカメラにはAF機能が標準搭載され、文字通り「押すだけで写る」コンパクトカメラの黄金時代が訪れました。フィルムの巻き上げ、巻き戻しも、AF機では電動式です。キヤノン「オートボーイ」などの製品が大ヒットし、これより先、1980年代にかけてカメラは一気に大衆化の道を進むことになりましたが、一眼レフのAF化は、まだもう少し先のことです。

なお、この当時には、主流の35ミリ判フィルムのほかに、ポケットカメラ(110判)と呼ばれる一回り小さなフィルムサイズを採用した機種も存在し、大きくてかさばるカメラは避けたいというユーザーには、一定の人気を集めていました。フィルムがカートリッジ式で、35ミリ判よりも装填が簡単であったことでも注目を集めましたが、後に35ミリ判のカメラでもフィルムの自動装填機能が採用されるようになると、次第に姿を見かけなくなりました。

この時代に至って、カメラは子供でも使えるくらいに、操作は簡単になっています。家庭にあるカメラは、普通の使い方では、正月や夏休みなどしか出番がないことも多かったのですが、小中学生が家のカメラを持ち出して、ブルートレインなどの鉄道写真を撮る例が目立ち始めたこともあり、あらゆる世代にカメラが親しまれるようになりました。ちなみに、この時代までは、日本人のレジャーといえば、ほとんどが一家そろって海か山のどちらかに行くことだったので、一般の方が、自然の中で記念写真や風景写真を撮影する機会も、現在より多かったのではないかと思われます。

1980年代前半: 「第1次 一眼レフブーム」

1980年代の幕開けと同時に、ミノルタが新発売した一眼レフカメラ「X-7」が、女優の宮崎美子さん出演のテレビCMで注目を集めて大ヒット。圧倒的な視聴率を誇った人気テレビ番組で、ドリフターズの志村けんさんが、このCMをギャグのネタにしたこともヒットに寄与している(?)と思われます。

この当時は、AF機能こそ搭載されていないものの、各メーカーとも、1970年代後半から芽生えた一眼レフの自動露出化が本格的な普及の段階に入り、絞り優先AE採用機、シャッター速度優先AE採用機の両方から、ユーザーが好きなほうを自由に選べる状況になりました。また、絞りとシャッターの両方をカメラが設定するプログラムAEも採用例が増え始めて、マニュアル露出を含めた合計4モードを搭載した機種は「最高級機」と呼ばれ、カメラファンの憧れの的になったものです。ただし、この当時の一眼レフでは、まだモータードライブは別売りとなっていました。

ちなみに、ミノルタ「X-7」は絞り優先AE方式。これと同様な機能を持つ機種が、メーカー各社から発売されて一般ユーザーに浸透しました。これらのマニュアルフォーカス方式で自動露出搭載のフィルム一眼レフから始まり、やがて、フィルムの巻き上げ、巻き戻しまで自動化された、キヤノンの電子制御MF一眼レフ「T50」「T70」が登場するまでは、いわば、「第1次 一眼レフブーム」といった感のある時代でした。当時は、カメラ専門の量販店という業態が登場して、カメラを定価より安く買うのが普通になった時期であり、そして、趣味の写真愛好家に向けた新しいカメラ雑誌が創刊され、ユーザーの地盤が固まった頃でもあるので、一眼レフへの関心が高まるための必要条件も揃っていました。なお、現在でも趣味の写真愛好家の間では、自然風景の写真を撮る人が多くを占めていますが、それも、この当時から刊行が続いているカメラ雑誌に、大きく影響を受けて確立された一つの文化・文明であると考えられます。また、この時期は、年齢別人口の多い団塊ジュニア世代が、皆、小学1年生になるというタイミングでもあり、記念写真の撮影用として、その親世代がカメラに関心を持つことも特に多かったようです。

なお、この当時のカメラでは、AFという機能そのものも、コンパクトカメラに限って普及が始まったばかりであり、ユーザーの多くは、従来方式の手動フォーカスに習熟していたので、一眼レフがMFであることについては、それが当たり前のこととして、特に不都合とは感じていなかったと思われます。MF操作を前提とした場合、撮影用レンズとファインダーが別になっている「EEカメラ」よりは、一眼レフのほうがファインダーでのピント確認は正確ですから、露出さえ自動化されれば、当時は、迷わず一眼レフを選ぶユーザーが多かったのかもしれません。一方で、同時代にはコンパクトカメラでも多くの新製品が発売されて、ピントも露出も全自動の機種を選ぶユーザーから人気を集めていました。ただし、この当時のフィルム用コンパクトカメラは、現在のコンパクトデジカメと名前の響きが似ていても、中身はまるで違うカメラだったので、精度の点では、圧倒的に一眼レフのほうが高性能でした。

1980年代後半: 「AF一眼レフの時代」(第2次 一眼レフブーム)

1985年、ミノルタが初の本格的なシステム構成を持つAF一眼レフカメラ「α-7000」を発売したことで、革命的とも言える急展開で、一眼レフのAF化が進行。各カメラメーカーから、「α(アルファ)」「EOS(イオス)」など、今日でも親しまれているAF一眼レフの新ブランドが誕生しました。これらの新製品は、一足先にAF化していたコンパクトカメラの需要まで取り込み、熱心な写真愛好家だけでなく、写真が趣味ではない一般消費者層まで含めて、AF一眼レフの大ブームが到来しました。

カメラ雑誌や広告などで見られる、その斬新な印象から、AF一眼レフの主要ユーザーは若者層であるかのように思われがちですが、実際には、メガネを使うことが多くなった中高年層からも厚い支持がありました。メガネをかけたまま、ファインダーを覗いてMF一眼レフで撮影するのは、実は、なかなか面倒なものだそうですが、ピント確認をAF機能に任せれば撮影が快適になると、ベテランユーザーがAF一眼レフへ乗り換える例も多かったようです。この当時のAFは、スピードとしてはそれほど速くはないのですが、撮る人の視力をサポートする機能と考えれば、たとえAF動作はゆっくりでも、一定の利用価値はあったとみなすことができるでしょう。趣味で写真を撮る愛好家には、もともと中高年層が多いので、AF一眼レフの登場によって、その現役引退年齢を大幅に引き上げる成果もあったのではないかと思われます。

AF一眼レフでは、左手でレンズのピントリングを回す操作から解放され、これがレンズの仕様にも一つの進化をもたらすことになります。特にミノルタの「α」では、絞りもレンズ側ではなくボディ側のボタンで設定する方式が採用されたため、左手で簡単に操作できる回転式ズームレンズが、基本セットに採用されるようになりました。それ以前のMF時代には、標準レンズといえば、50mmの単焦点が常識でしたが、この頃から、ズームレンズがAF一眼レフの標準レンズとして定着。この時点で確立された基本設計が、現在のデジタル一眼レフカメラにも受け継がれています。

なお、この当時は、団塊ジュニア世代が小学校を卒業して、中学校に大量進学する時期でもあり、もちろん、定番の記念写真需要も旺盛でした。さらに、中学・高校より上の学校には部活動として「写真部」がある例も多いので、団塊ジュニア世代の本人にも、自分でシャッターを切って写真を撮る機会が増えました。これが、カメラ需要を下支えした可能性も、もちろんあるでしょう。そして、この時代の中学・高校生に向けた進学情報の一環として、写真専門学校や芸術系の大学への進路選択にも深く関係する、プロの写真家あるいはカメラマンについての情報がカメラ雑誌を通じてもたらされたことから、それまでの記念写真に代表される実用的な写真の用途のほかに、アート志向の「作品」としての写真に関心が高まったのも、この時代ならではの特徴。現在でも、「作品づくり」や「写真表現」といわれる、プロ写真家や写真愛好家に共通の感覚は、この当時に醸成された可能性があります。逆に言えば、この時代を知らない人にとって、写真を「作品」という感覚は、いまいちピンとこないかもしれません。

そのほか、プラザ合意による円高と格安航空チケットの発売で、海外旅行に気軽に行けるようになったことや、国鉄の分割民営化前後での鉄道ファンの記録撮影特需、そのほかバブル景気の隆盛といった要素も、比較的値段の高いAF一眼レフの普及にプラス効果を与えたものと思われます。この時代には、AF一眼レフに対抗してコンパクトカメラも高機能化が進み、、京セラの「SAMURAI」(サムライ)など、ズームレンズを搭載した個性的な製品も登場しました。しかし、コンパクトと言いながらも、カメラボディのサイズがどんどん大きくなっていくという珍現象が見られ、それを当然のように消費者が受け入れたのも、バブル期ならではのことでしょう。なお、ソニーが家庭用ビデオカメラの「ハンディカム」を発売したのも同時代であり、一般消費者の間には、映像を自分で撮影して楽しむという習慣が、着実に根付いていきました。一方で、動画用の8ミリフィルム(銀塩)については、ビデオカメラの普及が進むにつれて、次第に需要が下火になっていきます。ちなみに21世紀となったいま、メーカーでデジタルカメラを作る側になって、その中心的役割を担っている業界関係者の多くは、この時代のフィルムAF一眼レフブームを、リアルタイムで体験しているのではないかと思われます。

(次回に続きます。)

 
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