写真何でも情報 EXPRESSコラム・ギャラリー
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2007.05.19
ちょっとした撮影のコツや本格的な撮影方法、最新の写真・カメラ用語解説など写真とカメラに関する最新の話題を毎週さまざまな角度から取り上げていく「写真何でも情報 EXPRESS」。これを読んでスキルアップ!
前回までの2回では、1970年代~1990年代という、フィルムカメラが大きな発展を遂げた各時代を概観してきましたが、完結編となる今回は、いよいよ 21世紀に突入! 2000年から、いま現在に至るまでの数年について、改めて注目したいと思います。この時代は、つい最近のことなので、デジカメ世代の皆さんも、記憶に新しいのではないでしょうか? 今回から初めてご覧になる方は、前回、前々回と合わせて、昭和から平成への歴史の変遷を、WEBのバックナンバーで、さかのぼってみてください。デジカメの機能を理解する上でも、一部、フィルムカメラの知識が必要になる場合があります。
当初パソコンの周辺機器として普及したデジカメですが、2000年代に入ると急速に高画質化が進行し、パソコン1画面の表示領域よりも多い画素数で写真が撮れるようになります(パソコン画面上では写真画像を縮小表示しなければ全体を見渡せない状態)。有効画素数の伸びが100万画素単位となるメガピクセル時代が訪れ、新機種が発売されるたびに、デジカメの有効画素数は上昇を継続。300万画素を超える機種が揃う頃になると、プリント用写真の分野でもデジカメが旧来のフィルム市場を奪うようになりました。デジカメの画像データをLサイズにプリントする場合、最低200万画素の解像度があればフィルム同等レベルの実用に耐えるので、撮影に使うデジカメが300万画素程度の画質性能なら、フィルムの代役を十分に果たし得るというわけです。この時代では、まだコンパクトタイプのデジカメが、一般消費者向けの機種としては主流でした。
2000年代前半を語る上で、まず見逃せないトピックの一つには、全世界的な、コンピュータの「2000年問題」があるでしょう。これは、簡単に言えば、下2桁のみで西暦を認識する方式の古いコンピュータソフトが、2000年の日付を1900年と誤認するのではないかという懸念から、ソフトの更新需要が急増した一つの社会現象で、事前に大騒ぎしたわりに、結局は、さほど大した問題が起きなかったことで知られています。しかし、「2000年問題」というIT特需のおかげで、古いコンピュータの設備更新だけは大幅に進んだようで、(後付けの結果論ですが、)高画質デジカメにとっては非常に都合の良い状況になり、たとえ画像1点ごとのデータが大容量であっても、再生時にパソコン性能の制約を受けにくくなりました。それに付けて、1990年代後半ごろから、写真をフルカラー印刷できる家庭用のインクジェットプリンターが既に普及していたので、デジカメとパソコン、そしてインクジェットプリンターを使って、一般家庭でも写真のプリント作業を完結できる体制が確立。そして、デジカメとパソコンの接続規格としてUSBケーブルが主流になり、さらに2003年ごろから、デジカメ本体をプリンターと直接接続できる、PictBridge機能を標準搭載した機種が増えると、パソコンがなくても、より手軽に写真をプリントできるようになりました。従来、デジカメの使用にパソコンが不可欠だった頃には、その操作の煩雑さゆえに(パソコンに慣れていない方にとってはデジタル・デバイドの状態)、ある意味でフィルムの需要も守られていた感がありますが、デジカメの操作がますます簡単になって、誰でも難なく使いこなせる状況になると、いよいよフィルムの“既得権”も崩れ始めます。加えて、デジカメの画素数が大きくなると、液晶モニターの表示性能以上に縦横のピクセル数も多くなるので、その画質の実力が見えるようにするには、紙へのプリントが必須条件。メガピクセルデジカメで、その性能をフルに生かすには、紙プリント重視の方向へ進むことは必然でした。ちなみに、この当時は、「写真店のDPEサービスにとって家庭用プリンターが脅威になるのでは?」と、写真業界内には本気で焦る声もあったほど。しかし実際には、家庭でプリントするために、写真用紙やインクを買いに行く手間があることは、お店プリントのオーダーに行く手間と同じなので、結局は、家庭用プリンターも、お店プリントも共存しています。現在では、プリントする枚数に応じて、少ないときは家庭用プリンター、大量にあればDPEサービスのお店プリントというように、ユーザーの皆さんが上手に使い分ける傾向が定着しているようです。
こうしてデジカメが普及することで、それ以前のAPSフィルムはすっかり影を潜め、カメラ市場では主役の交代が進みました。コンパクトカメラに限れば、この時点でデジカメが、消費者主導の変革の後に、天下を取ったと言えます。この動向に合わせて、写真店のDPEサービスも、デジタルプリントへの対応強化へと大きく舵を切りました。それと同時に、APSフィルムを使用するカメラは、新製品の投入が次第に少なくなって、コンパクト機の新規購入なら、現実的にはデジカメを選ぶしかない状況に。ただし、もともとAPSフィルムを使ってはいなかった、一眼レフ所有者層を中心とする35ミリ判フィルムのユーザーの間では、まだデジタル一眼レフが普及していなかったので、依然として、普通のフィルムカメラも相当なニーズを保っていました。結果的には、このときまでに35ミリ判フィルム用一眼レフのユーザーが、APSフィルム用一眼レフ(互換性のない専用マウント方式の機種もあった)には流れなかったおかげで、後には、フィルム機からデジタル機への移行もスムーズに進み、今日のデジタル一眼レフブームが到来することになります。
ところで、いわゆる初心者用カメラが、APSフィルム機からコンパクトデジカメへと変わっていった裏には、技術面での変化のほかに、実は、それ以上に重要な革新をカメラ・写真業界全体にもたらすことになります。APSフィルムは、16:9(ハイビジョン準拠)、6:2(パノラマ=3:2比率の横長2倍)、3:2(35ミリ判フィルム準拠)という3種類のアスペクト比で撮影する方式。対してコンパクトデジカメは、アスペクト比4:3が標準で、これは従来型の地上波テレビや、旧式のパソコンの画面比率に準拠したものです。コンパクトデジカメの普及加速に伴い、4:3画面がアスペクト比のデファクト・スタンダード(既成事実としての標準規格)となったことで、この画面比率では撮れないAPSフィルムを、結果としてデジカメの需要が引き離すことになりました。この点において、昔から4:3の画面に合わせて映像関連製品を製造してきた家電メーカーには、新規参入組とは言っても、デジタル撮影に関しては一日の長があり、デジカメ分野での勝算も、おそらくは最初から確実に見えていたのではないかとも思われます。ちなみに、最初はAPSフィルム用として登場したキヤノンの「IXY」も、デジカメ有利と見た時点で、アスペクト比4:3のコンパクトデジカメへと、ブランド名だけ残して中身は大胆な変身を遂げました。もし、アスペクト比が変えられるAPSフィルムに、デジカメと同じ4:3の画面でも撮れる機能が付いていたならば、APS対デジカメの競争は、もう少し違った結果になっていたかもしれません。ちなみに、銀塩写真にとっても、4:3の画面比率は、まったく縁がないわけではなく、35ミリ判フィルムの普及以前に一般的だった中判フィルムには、現在に至るまで6×4.5cmというサイズの規格(645判)が存在します。これは、計算すると4:3の画面比率になり、印画紙でも普通の6切や4切(ワイドではないもの)に対応できる規格です。なお、アスペクト比4:3の画像は、現在では、お店プリントでもL系のデジカメ専用サイズとして規格化され、従来のフィルムやデジタル一眼レフの3:2画面と同様に、サービスサイズとして利用されています。こうした点を考慮すると、わざわざ35ミリ判とは違う画面比率で新規に設計されたAPSフィルムで、アスペクト比4:3の撮影モードを付けるアイデアがなかったことは「惜しい!」というより、ほかにないでしょう。
とはいえ、2000年代初期のデジカメは、画質は向上したものの、動作速度がまだまだ遅かったのが難点。人物の記念写真を撮るには良くても、動く被写体を撮ることだけは、実は少々苦手でした。この当時の社会・経済は、一時のITバブルからデフレへと向かう波乱の時。メガピクセルデジカメは、登場した当初こそ、パソコン・インターネットブームとフィルムからの乗り換え需要で人気が沸騰し、「作れば作るほど売れる」といわれた時期さえありましたが、画素数が増える一方では製品間の価格競争も加速し、やがては価格下落が続いて一部メーカーでは赤字体質にあえぐ場面もありました。デジタルカメラの生産では、従来の伝統的なカメラメーカーのほかに、ビデオカメラやテレビ受像機の生産で実績のある家電メーカー、さらにはパソコン周辺機器メーカーなども相次ぎ新製品を投入。写真を撮るユーザー人口が一定だと仮定すれば、明らかに需給が緩む状況となっていました。さらには、携帯電話にも、カメラ機能を搭載した端末機が数多く登場した結果、広義のカメラ市場が飽和傾向となったことも、競争激化の一因であったようです。まさに、楽あれば苦ありという時代でした。
カメラ・写真の文化的側面に注目してみると、この当時には、もともとはパソコン周辺機器として登場したコンパクト機からデジカメの普及が進んだため、写真愛好家による伝統的なアート志向の写真文化とは別に、ネット文化の影響下にある、新しい時代の写真文化も育ち始めていたようです。これはつまり、従来の写真愛好家にとっては共通認識だった「作品表現」という感覚を持つことなく、あくまでネット上でのコミュニケーション・ツールの一種としてカメラや写真を使うという、別系統の用途が誕生したことを意味するものです。ネット社会ではコミュニケーションが双方向的で、なおかつ、フラットな横のつながりを旨とする傾向があるゆえ、これとデジタルカメラが結びつけば、カメラ・写真の文化も急速に“民主化”の方向へと向かいます。インターネットが登場するより前の伝統的なカメラ・写真文化というと、それを一つの「文化」あるいは「コミュニティ」と意識することが、写真愛好家層に限られる場合も多かったとみられ(一般の人にとって写真はあくまで記録の手段となるもの)、この写真文化と一般社会との接点も、現実的には、専門雑誌およびフォトコンテスト・写真展・写真集くらいしかありませんでした。その一方、インターネット上では、まず開かれたコミュニケーションの場があることを前提に、そこでツールの1つとしてデジカメの写真が使われる形となったので、写真に求められる価値も必然的に多様化。アートに限らず、写真の使用目的はネットユーザー自身の主導で、人それぞれの意思に応じて広がっていくこととなりました。この変革をビジネスの側面で考えれば、カメラを使うユーザー人口の絶対数が増えるわけなので、もちろん経済にはプラス効果があります。しかし、芸術の一つとして写真を考えた場合には、全体的なカメラユーザーが増えたことで、かつての伝統的な写真文化を知る人の割合は相対的に低下。その文化の基盤が根底から揺らぐ可能性を、新たに抱え込む状態になったかもしれません。この時代を境に、芸術も実用も含めて、多様なタイプあるいは目的の写真が、インターネット検索を通じてパソコンの画面という同一の媒体に混在して現れるようになり、結果としては、写真1つをとっても、それが絵画に準ずる芸術作品として表現されたコンテンツなのか、それとも資料やサンプルとしてそこに写っているモノの様子を静止画で伝えているメディアなのか、その都度ごとに見る側で考えなくてはならない状況が増えてきました。ただし、デジタルカメラのユーザー全体で見れば、少なくともインターネット上では、後者の実用的な性格のものとして、写真を見ている人のほうが圧倒的に多いであろうと思われます。一般の人が日常生活を通じて見ている写真は、チラシ・カタログなどの商品サンプル写真、新聞のニュース写真や、雑誌などに載っているタレント・アイドルの写真、そして自分が写っている記念写真などが大半を占めており、現実的には、「作品」として撮られた写真を見る機会のほうが少ないからです。
ところで、コンパクトデジカメと一まとめに言っても、この時代の初期と後期では、カメラ性能には大きな差があります。初期型では、記録媒体にコンパクトフラッシュカード(現在でも一眼レフタイプで多く使用されている規格)や、スマートメディアを採用した例が目立ちましたが、後期型では有効画素数の大幅増に対応して、大半のメーカーがSDメモリーカードを採用するようになり、以前はスマートメディアを採用していたメーカーでも、より大きなデータを記録できるxD-ピクチャーカードに仕様が変更されました。この記録媒体の変更を機に、コンパクトデジカメは新たなステージに入り、パソコン用の“立体スキャナ”やフィルムの代替というだけでなく、デジカメならではの機能を多く取り入れて発展するようになります。そのほかにも、初期型では、電力消費量の大きな液晶の表示時間をできるだけ節約してバッテリーの消耗を防ぐために、実像式の光学ファインダー(背面から前面に貫通している方式)を搭載した機種が多く見られましたが、後期型では、省電力性能の向上と、バッテリーの大容量化によって、光学ファインダーがない液晶モニターのみの機種が圧倒的に多くなりました。液晶モニターのみで被写体を確認するタイプでは、撮影前にも画像センサーを経由したレンズ像をリアルタイムでとらえて確実に表示できるため、さまざまな機能強化が可能。現在の最新機種に見られる、測光・露出演算機能の向上や、明るさ補正、自動ブレ軽減、顔認識AFなど、フィルムカメラ時代にはできなかった革新的な機能は、この時代全体を通じて、コンパクトデジカメの省電力化と、画像処理エンジンの大幅な性能アップの積み重ねがあったからこそ、実現されたものなのです。一般的には、有効画素数の増加だけでデジカメの性能を語られることが多いですが、画素数が多くてもデータ処理速度と消費電力が追いつかなければ実用化は難しいわけで、その意味では、デジカメの機能向上を決める最重要ポイントは、画像処理エンジンにあると言えます。
なお、この時代までには一眼レフタイプのデジタルカメラも、その姿を現しており、主に報道で使われるプロ用高級機が、まだ価格的には高いものの既に登場はしていました。しかし、ボディサイズが極端に大きくて重量もかさんだほか、一般消費者にとっては、そうは簡単に手が出せる値段ではなかったという理由から(1995年当時にキヤノンから発売された初期のデジタルEOSは国産高級乗用車1台と同じくらいの値段でした)、まだ一般ユーザー層ではフィルム一眼レフを選ぶ人が多かったようです。この時代を過ぎると、後には、安価な普及タイプのデジタル一眼レフが人気を集め、フィルムカメラは徐々に商品点数が少なくなっていきます。その傾向は、フィルム用のコンパクトカメラで特に顕著でした。ただし、現在でも一部のメーカーによってフィルム用一眼レフの販売も続いており、その多くは、2000年代のはじめという微妙な時期に、最終版の仕様が決まった製品となっています。
デジタルカメラに内蔵される画像処理エンジンの性能アップによって、動作速度が飛躍的に高まった結果、デジタル撮影の機能が、一眼レフシステムの高速かつ複雑な動作に追いつくようになりました。一眼レフに特有である、撮影した瞬間の像消失を短縮しながら、なおかつ複数コマを高速で連写できるスピードを保って、有効画素数の多い高画質写真をデジタル撮影するには、実は、画像センサーおよび画像処理エンジン双方の強化が不可欠なのです。この点において、デジタル一眼レフは、登場初期のコンパクトデジカメより、はるかに大きな技術的進歩を達成したと言えるでしょう。ちなみに、画像処理速度が遅かった頃の高画質デジカメでは、ファインダーに小型液晶モニターを採用し、液晶モニターも搭載した、外観が一眼レフに似ている、レンズ一体型タイプの擬似一眼デジカメが、多数発売されていました。この方式ではミラーとシャッター幕というメカ部品の動作がないので、画像処理の速度にも多少の余裕を持たせることができ、タイムラグに難点があった初期のデジカメでは好都合でした。なお、擬似一眼タイプの製品も、最近ではタイムラグが大幅に短縮したほか、動画が撮影できるなど独特のメリットも多いので、現在ではデジカメの1タイプとして地位が確立され、発売が続いています。
また、現在のデジタル一眼レフでは、個々の搭載部品が小型化された結果、ボディサイズがフィルム一眼レフを下回るまでに小型・軽量化され、とても持ち運びやすくなりました。さらに、デジカメ全体の低価格化は、コンパクトデジカメの高機能モデルと、デジタル一眼レフの普及モデルの価格差を縮めることにもつながり、その結果、デジタル一眼レフは、写真愛好家だけでなく一般消費者でも、気軽に購入できるくらい身近になりました。このような状況の中で、2003年9月当時から発売が開始されていた、初代の「EOS KissDigital」を皮切りに、以後、現在までメーカー各社は、普及型デジタル一眼レフの新製品を次々と市場投入するようになります。こうして、3たび一眼レフのブームが訪れることとなりました。この流れを受けて、まず、20世紀中の一眼レフブームを知るベテランユーザーが、フィルム一眼レフからデジタル一眼レフに機材を更新。続いて、パソコン周辺機器の一つとしてコンパクトデジカメを使っていたユーザーや、今回のブームを機に、新たに写真を撮り始めた純粋デジタル世代の初心者ユーザーまで、国民的にデジタル一眼レフの利用者が増えて、かつてないほどの爆発的な規模とスピードで、一眼レフ特需を巻き起こしました。この大ヒットのおかげで、伝統的カメラメーカー各社は、コンパクト機の競争激化と価格下落に端を発する、一時期の赤字体質を脱却。デジカメ再興の道へと、一直線に進んでいきます。この動向を受けて、画面比率のデファクト・スタンダードも、一時期コンパクト機に取られていた4:3から奪還し、従来のフィルムと同じ、3:2勢力がデジタル一眼レフ界に台頭。これによって、フィルム時代からの実績がある、お店プリントが再び存在感を示すことにもつながり、見事に復権を果たすことになります。とはいえ、コンパクトデジカメなどで採用されているアスペクト比4:3画像をプリントする専用サイズも、お店プリントでは既にサービスサイズの1つとして定着しているので、今後も、3:2と4:3の両方の規格が、共存していけることは間違いなさそうです。
さて、前世紀の一眼レフブームが、主に雑誌などの印刷メディア主導で発生したものであるのに対し、今回のデジタル一眼レフブームを先導したのがインターネットであることも、デジカメの市場拡大に大きく関係している可能性があります。そのヒットの背景には、デジタル一眼レフと、コンパクトデジカメを比較した場合の、それぞれの機能の違い、あるいは一眼レフタイプのほうが値段が高い理由などが、情報として正しく消費者に認知されたことがあるでしょう。過去の一眼レフブームは、その時代ならではの特異な事情に後押しされた部分も大きく、また一般消費者層に対しては、一眼レフの外観が見せる“プロっぽいカッコ良さ”を売りにしていた感も少なからずありましたが、今回のブームでは、一眼レフが持つ実体としての優位性が、インターネットなどを通じて写真愛好家層のほかにも広く伝わり、一眼レフを“本当にわかって使っている人”の絶対数が増えたことも、普及加速につながったものと考えられます。ネット上では、単に情報を読むだけでなく、通信販売によるカメラの購入も可能。通信速度の向上によって、オンラインショッピングという業態が定着し、誰もが自宅から気軽にカメラを購入できる時代になったことも、従来からのカメラ専門店での販売と並んで、今回のデジタル一眼レフブームの推進に一役買っているものと思われます。
さらに、ミノルタとコニカの経営統合を経て、ソニーブランドに生まれ変わった新生αや、松下電器(パナソニック)の一眼レフ新規参入などの出来事が社会全体的な話題となり、従来のように熱心なカメラファンのみに向けた情報としてだけでなく、精密機械メーカーの経済ニュースという形で、最新デジタル一眼レフへの関心が高まった点も、今回のブームを押し上げる一因となったようです。撮影の用途としては、従来から見られた写真愛好家層によるアート志向の作品撮影のほかにも、ここ数年の間に、ブログやSNSといった、比較的、制作・管理が容易なWEBコミュニケーションの手法が誕生したことから、そこに掲載する写真を、一般の方が自らデジタル一眼レフで撮影するというニーズも新たに加わり、カメラ市場のパイ全体を拡大しました。なお、コンパクトデジタルカメラも、有効画素数などの基本性能では既に完成の域に達して、幅広いユーザー層に受け入れられています。
現在、デジタル一眼レフは普及機でも1000万画素を超える高画質化が進み、フィルムを代替するプリント用写真の撮影機材としても、いよいよ実践利用が加速。その一方で、コンパクトデジカメも高性能化して、一部では、1000万画素を超える機種も登場しています。一眼レフに比べて、ボディサイズが圧倒的に小型・軽量で、デジタルズームや動画記録も可能であること、構造的に顔認識AFなど先進機能の搭載に有利であることなどの理由から、コンパクト機も一眼レフタイプと、消費者ニーズを棲み分けるまでになりました。現在は、2000年代後半というこの時代がまだ進行の途上であり、今後、カメラ業界あるいはその市場が、どの方向に進むのかは明らかではありません。これから時を経て振り返ったとき、過去になった、今日のこの時代をどう評価するのか? それがわかるのは、まだまだ先のことになりそうです。デジカメの将来に、大いに期待したいところですね。
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