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写真何でも情報 EXPRESSコラム・ギャラリー

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2007.08.24

ちょっとした撮影のコツや本格的な撮影方法、最新の写真・カメラ用語解説など写真とカメラに関する最新の話題を毎週さまざまな角度から取り上げていく「写真何でも情報 EXPRESS」。これを読んでスキルアップ!

【日本のアマチュア写真文化史】
人と写真との関わりの変遷

カメラメーカーの多くは日本企業で、その製品であるカメラは、報道と広告制作(チラシやWEBショップなどの商品サンプル写真も含む)という、底堅く、安定したニーズに裏打ちされて、世界中で利用されています。新聞があるところには、必ずカメラもあると考えて間違いないでしょう。こうした全世界共通の、プロユースとしてのカメラ需要がある一方で、日本国内においては、それと並行する形で、趣味で写真を撮る人たちである、アマチュア愛好家の市場が伝統的に存在することも特徴であり、さらに、「趣味」という自覚が特になくても、記念写真の撮影などでカメラを使う一般ユーザーまで含めれば、国内人口的には、プロカメラマンよりも、アマチュアユーザーのほうが圧倒的多数を占めます。全国でキタムラのお店をご利用いただいているお客さまも、多くは、このアマチュア層に当てはまると思われますので、このコーナーでも、読者層を国内の幅広いアマチュアカメラユーザーと想定して、いろいろな話を進めています。今回は、日本のカメラ・写真市場に独特の、アマチュア写真文化の発展について、一度、時系列に沿って概観してみたいと思います。

江戸末期~明治前期: アマチュア写真市場が生まれる前

江戸時代、日本の幕府は鎖国していましたが、例外的に長崎の出島を通じて、海外との交易はあったので、初期のカメラも、実は、かなり早くから日本に流入していました。とはいえ、当初は、それを満足に使いこなせる日本人の写真師がいなかったので、日本のアマチュア写真文化も、当然ながら、まだありませんでした。日本国内での写真撮影をリードしたのは来日した外国人で、外国人写真師のお客さんも、やはり来日した外国人が多かったといわれています。

日本人で初めての写真師には諸説ありますが、横浜では1862年に下岡蓮杖が写真館(お客さんの肖像写真を撮影してあげるスタジオのこと)を開いたのが起源といわれています。この当時のカメラは、感光材料のレベルが低く、1枚撮影するための露光時間が数十分に及んだので、必然的に、被写体は人物か風景に限られました。そのため、記録メディアとしての写真の信頼性も、まだこの時点では確立されておらず、むしろ一流の絵師が描いた絵画のほうが、資料としての証拠能力が高く評価されていたほどでした。

また、写真を芸術作品と考える文化・習慣も、まだ日本にはなかったので、美術館や写真ギャラリーなども当然ながら存在しません。かろうじて、見世物小屋で写真を見せていた例はあったとのことで、この時代、日本における写真文化は、“科学実験ショー”のような感覚を持たれていたようです。写真文化の担い手は、写真館を経営するプロだけ。「写真を撮られると魂を抜かれる」などというウワサも、一般の庶民には、本気で信じられていた時代でもあったので、写真に写された人も、日本人では殿様や武士など、一部の人に限られていました。科学的な知識から好奇心で写った人もいたでしょうが、中には、サムライの度胸試しで、カメラの前に立った人もいたのかもしれませんね。

明治後期: 富裕層の趣味として始まったアマチュア写真文化

近代国家としての日本が完成するころになると、商業で財を成した富裕層や華族などの“華麗なる人々”が、まず最初に、趣味でカメラを所有して、自分で写真を撮るようになりました。よって、日本のアマチュア写真文化は、明治中期ごろからの長い伝統があると言うことができます。しかし、この当時のカメラは大変高価なものだったので、アマチュアとは言っても、本当に限られた人しか写真を楽しむことはできませんでした。いまの感覚に例えていうと、ゴルフや、自家用クルーザーでのクルージング、民間宇宙旅行などを趣味で体験するような感覚で、ステイタスシンボルとして、当時の最新技術だったカメラに関心を寄せたお金持ちが多かったのかもしれません。携帯電話のカメラや、安価なレンズ付きフィルムでも写真が撮れるようになった現代と比べると、さすがに隔世の感がありますね。なお、この当時には「プロ」に対する「アマチュア」という概念はなかったと思われますので、あえて言うなら「道楽」と表現したほうが、正しいのかもしれません。

この時代のアマチュア活動は、芸者を呼んで撮影会を開いたり、撮った作品を写真展で披露したりするもの。写真を大量印刷するだけの技術はなかったので、カメラ雑誌や写真集は、まだ誕生していませんでした。なお、カメラは小型化が進んで、以前よりは扱いやすくなっていました。

話は変わって、明治中期には、郵便行政の規制緩和によって、絵葉書の製造販売が可能となりました。このため、自分ではカメラを所有せず、写真も撮影しない庶民でも、既製品の写真を買うことだけは可能となります。その結果、日本国内における映像メディアの元祖として、写真をプリントした絵葉書が人気を集めたのも、この時代ならではの特徴です。この当時には、現在の写真集のような製本技術は未開発だったので、絵葉書というメディアは、流通においても好都合だったのかもしれません。ただし、当時の一般大衆の間には、まだ写真に対して「芸術作品」という概念は持たれていなかったようで、いまの感覚に置き換えると、雑誌の切り抜きか、WEBからダウンロードした画像のような感覚で、絵葉書の写真を見ていたように思われます。この時代の絵葉書が、芸術的な価値を認められるのは、後年になって学術的に再評価された結果にほかなりません。

大正~昭和初期: 「芸術」としての進化と洗練

大正時代に入ると、富裕層の趣味写真は、より洗練された芸術表現へと進化します。この時代においては、今日では世界的な大手化粧品メーカーとなった資生堂の創業家が、アマチュア写真文化の発展に果たした功績は大きく、「写真史」を知る人にとって、資生堂と芸術写真との関係の深さは、決して忘れることのできない一般常識となっています。化粧品と写真では、一見すると何の関係もなさそうですが、資生堂では、伝統的に社内の広告部門が、化粧品広告の企画・制作を直接指揮した例が多いことで知られており、そこに創業家の写真表現活動で培われた美意識が反映されています。資生堂が、社業として写真活動を行ったことはありませんが、創業家から日本を代表する芸術写真家が世に出て、歴史に名前を残す偉業を成し遂げたことは非常に有名な話です(代表作はヨーロッパに取材した風景写真)。

この話は初めて聞いた人も多いと思いますが、学問としての「写真史」は、自分で専門書籍を買って勉強するか、大学・専門学校などで講座を聴講しない限り、なかなか知る機会がないのが現状です。それゆえに、いままで知らなかったとしても、それほど不思議ではないのかもしれませんね。

さて、大正前後のこの当時には、従来の写真展だけでなく、次第に、写真作品や写真評論を集めたカメラ雑誌も、次々と誕生するようになりました。現在でも発売されている「アサヒカメラ」は、1926年に創刊されたものです。この流れに後押しされた芸術志向の写真表現活動は、富裕層だけにとどまらず、中流階層の一般市民にも広まり、写真の内容的にも、絵画芸術的な作品から、前衛的・実験的な作品へと、写真表現のスタイルも広がっていきました。この時代のカメラは、現在の最新機種とは違って、動く被写体の高速連写はできないので、撮影対象には、静物のモチーフである風景や、人物のポートレートなどが目立っています。そして、写真作品の表現意図も、シャッターチャンスよりは、構図の凝り方に主眼を置いている例が多いようです。この作品傾向は、現在のフォトコンテストの入選作品の傾向とも共通しているので、大正から昭和初期にかけての時代には、現在の写真趣味にも通じる写真愛好家の表現スタイルが、すでに確立されていたと言えます。

今日においても、「趣味の写真」という場合に、その狭義の意味(写真愛好家の感覚における意味)は、この時代から続く芸術志向の写真表現のことを指しています。広義の意味では、カメラを使って写真を撮るのが好きなら、それはすべて「趣味の写真」ということも多いですが、カメラ雑誌、カメラ・写真業界と、写真愛好家の全体に共通する意識としては、「趣味の写真」といえば、本来は、芸術的な方向性を持つ前者のことなのです。

大正時代に至って、富裕層以外にも写真愛好家の裾野が広がったことは事実ですが、それは日本人全体としてはあくまで少数派であり、多くの日本人にとって、写真とはまだ、特別な記念日に家族で営業写真館に出かけて行って、プロの写真師に撮影してもらうものであったという状況には、依然として変わりはありませんでした。

昭和中期・戦時中: プロカメラマンだけの特別な時代

戦争中は、カメラ雑誌が休刊させられていたので、アマチュア写真愛好家の活動には、あまり目立った記録がありません。しかし、アマチュア主導の芸術写真がない代わりに、報道写真の分野では、多くの歴史的に貴重な記録写真が残されて、この時代の教訓を後世に伝えていることは周知の事実です。明治時代より、写真技術の発展と時を同じくして、新聞報道も進化の過程をたどってきたので、プロカメラマンによる報道・記録目的の写真は、歴史の流れに沿って、絶えることなく生み出されています。このような報道系プロカメラマンの系譜は、日本国内のカメラ・写真市場に特徴的な、アマチュア愛好家の写真文化とは別の道をたどって、今日まで脈々と受け継がれてきました。もちろん、この時代以前にも、また以後にも、さまざまな国内外のニュースを伝えた報道写真が存在します。

昭和20年代: 写真表現の復活

戦後の焼け跡から復興を果たし、日本人の生活に、ゆとりが戻ってくる頃になると、戦時下に休刊していたカメラ雑誌が復刊。写真愛好家が、写真表現に帰ってきました。そして、アマチュアの写真愛好家をリードして、カメラ雑誌で作品を発表するプロ写真家も数多く登場しました。この時点に至って、日本特有のアマチュア写真市場が形成されたと考えることができます。アマチュア愛好家から広く写真作品を募るコンテストが、本格的に実施されるようになったのも、この頃からです。現在も、伝統的なカメラ雑誌を中心に展開されている、芸術やドキュメンタリーなどの写真表現の価値観は、この時代を起点に確立されたものと言えます。

しかし、まだ当時は、日本人全体にとって、写真を撮影するのは特別なことであり、そんなカメラを使って芸術作品を制作するということは、さらに輪をかけて特別なことでした。また、この時代のカメラは、フルマニュアル操作のため、技術の習得にも多くの時間を要したほか、依然として価格も高く、さらには、現像・プリントまで自分で作業する必要があったので、カメラ機材を所有して写真を撮影する人には、表現者としての、それなりの覚悟のような思いもありました。それゆえに、撮影技術の向上には、カメラ雑誌を通じたプロ写真家の指導が、重要な意味を持っていたと考えられます。

後に、カメラの自動化が進み、写真店のDPEサービスが利用しやすくなると、形式にはこだわらず気軽に写真を撮る人の数も増えていき、結果としては、この昭和20年代に起源がある、アマチュア写真愛好家の芸術表現というスタイルは、次第に目立ちにくくもなっていきます。しかし、写真表現の本流は、現在でもこの時代にリンクしていて、その価値観が、写真で表現し得る作品性のよりどころとなっていることには疑う余地もありません。日本のカメラ・写真市場において、「趣味の写真」の意味する本質を知るには、この時代を知ることが必須の課題となるでしょう。

ちなみに、日本国内でテレビの放送が開始されたのも、昭和20年代のこと。それ以前は、映像といえば静止画の写真(当時は白黒のみ)だけでしたが、この時代を境に、写真とテレビが共存する時代に入ります。当初のテレビ番組の内容は、相撲・野球・プロレスなどのスポーツ中継(まだ録画放送は技術的に不可能)が中心で、そのほかにニュースやドラマなどもありました。テレビ放送の開始は、日本人全体にとっての映像文化の原体験であり、この時点のテレビ放送の内容が、以後、写真・テレビを問わず、あらゆる映像に登場する被写体の選ばれ方に、大きな影響を与えることとなったようです。結果として、写真という表現技法の役割も、次第に変化の道筋をたどることとなりました。

昭和30~40年代: 団塊の青春時代に台頭した、消費する写真文化

カメラ雑誌を中心とする、純粋に芸術的な写真表現を目的とした写真文化は、昭和20年代以降、現代まで途切れることなく続いています。そして、その写真文化に参加する、アマチュアの写真愛好家が、日本国内では相当な数を占めることは言うまでもありません。通例、学問としての「写真史」で取り上げられる話題は、カメラ雑誌を中心とする写真家の表現活動の記録なので、その系譜は、21世紀となった現在まで変わることなく続いています。

しかし、昭和30年代以降になると、カメラの操作が次第に簡単になっていったので、それ以前には、自分ではシャッターを切って写真を撮る習慣がなかった人たちにも、新たに写真を撮って楽しむ機会が生まれました。従来は、既成の写真絵葉書や、三角形のペナント、団体旅行の同行カメラマンが出張撮影した写真などを買っていたり、また特別な日に営業写真館に出向いて、本格的な記念写真を撮ることなどの方法でのみ、写真と関係を持っていた人々が、自分の手でカメラを持って写真を撮れるようになったのです。こうして、芸術作品としての写真表現のほかに、いわゆる記念写真を撮るという目的のために、旅先などでカメラを使う消費文化が徐々に台頭していきました。これもまた、アマチュア写真文化の一端とみなすことができます。

「太陽族」「みゆき族」に代表される、この時代特有のファッションをまとって、仲間どうし洒落で写真を撮りあうことや、あるいは、手に入れたばかりの念願のマイカーで旅行に出かけたとき、そこで出会った人や風景を撮ること、そして東京オリンピックや大阪万博などで見た会場の様子を自分のカメラに収めること。これらの、芸術志向ではない「普通の人」による写真撮影は、伝統的な写真愛好家の表現活動とは、かなりニュアンスが違います。しかし、これが新しいカメラユーザー層が開拓した、カメラ・写真文化の新しいスタイルであることは事実で、それが消費生活の中に取り込まれ、この時代を境に、カメラ・写真の大衆化という新潮流が始まったことだけは確かなのです。やがて、第2次ベビーブーム(子供は団塊ジュニア)の到来とともに、親となった団塊世代は、子供の成長記録のために、こぞって家族写真を撮るようにもなります。

この時代以降に特徴的な点は、写真を撮影する人が、必ずしも「芸術作品を撮るのだ」という感覚を持っていないということです。現在でも、写真撮影が「趣味」というほどではない人にとっては、「写真を撮る楽しみ」と言えば、ファッションやイベントのスナップ、あるいは家族や友人との記念写真などを意味することが多いでしょう。カメラユーザー全体を見渡せば、芸術志向の表現に熱心な写真愛好家より、いわゆる「普通の人」のほうが圧倒的多数派を占めますから、一般的な傾向としては、「写真=芸術作品」ではなく、「写真=記念写真」とみなされることが多いと思われます。しかし、学問としての「写真史」では、写真家が発表した作品の系譜が語られることはあっても、このように大衆化したカメラ・写真を取り巻くサブカルチャーの側面が語られることは少ないので、伝統的な「芸術表現としての写真」との間に、いくらか認識のギャップが生じている可能性はありそうです。

それゆえ、日本のカメラ・写真市場をより深く理解するには、(1)伝統的な「写真史」の系譜にある写真芸術の文化と、(2)一般カメラユーザーに広く普及した記念写真の文化の2パターンが共存していることを、あらかじめ知っておく必要がありそうです。(実際には、このほかにプロカメラマンの報道写真文化や商業写真文化なども加わります。)

昭和50~60年代: 写真芸術の再評価と、カメラ雑誌2世時代

昭和50年代は、西暦で言えば1980年前後。この時代には、従来からある「アサヒカメラ」などのほかに、「CAPA」などの新しいカメラ雑誌が創刊され、アマチュア写真愛好家の間には、写真表現文化の復興が見られました。

この当時は、新人類世代、団塊ジュニア世代の若いカメラマン志望者が、写真関連の大学・専門学校をめざして進路を考えるタイミングでもあり、本流の写真表現への関心が高まるだけの下地もありました。またバブル景気で、企業メセナの芸術支援活動が多かったという事情も手伝って、写真を芸術作品として評価する考え方に理解を示す一般の人も増えてきました。その恩恵を受けて、写真コンテスト、写真展の実施や、アート系写真集の出版なども、盛んに行われました。

この時代の傾向を最も熱く支持したのが、実は、昭和20年代の写真表現の復興期を知る熟年層や、団塊世代の男性だったので、いまでも写真表現活動を実践するファン層は、中高年世代が最も分厚くなっています。とはいえ、「芸術表現としての写真撮影」あるいは「作品としての写真」が、正面から評価を受けて、その成果を享受できる環境としては、歴史的に見ても、このころが最高の時代だったのかもしれません。

なお、昭和30年代以降から続く、大衆化したカメラ・写真文化は、このような写真芸術の再興ムーブメントとは付かず離れずの距離感を保ち、結果としては、現在まで途絶えることなく発展を続けて、規模としては、日本におけるカメラ・写真市場の中心的存在に育っています。

平成時代: 写真文化から、画像文化へ

平成時代、すなわち現代においては、写真は芸術作品として表現するものから、マルチメディア的な情報の一部に取り込まれて記号化されるものへと、その用途を広げつつあります。もちろん、伝統的な「芸術表現としての写真」が、写真愛好家の間に、脈々と受け継がれていることには変わりはありません。しかし、写真を流通させるメディアが、雑誌だけでなく、インターネットにも広がったことで、ユーザーの属性も多様化し、カメラを使う人の全体が、写真撮影に対して同じ価値観を必ずしも共有しなくなっている状況が生じています。

インターネットの登場以降、写真は、「画像」という新しい名前を得ました。そして、写真に芸術性を見出す文化から、「画像」を大量生産・配信・消費する文化へ、写真を取り巻く環境は大きく変わりました。写真は、かつては1枚1枚を大切に保存しておくものでしたが、それが「画像」と呼ばれるようになった今日では、見た後は削除するものへと、その感覚あるいは“1枚の重さ”も変化しています。

そして、フィルムを使わずにデータで記録するデジタルカメラの普及は、この傾向に、ますます拍車をかけました。写真ギャラリーや美術館で写真作品を見た経験がない人でも、ホームページやブログでデジカメの画像を見ることは日常的にあると思います。その場合、デジカメで撮った「画像」と同質のものと思える写真を、額に入れて飾り、芸術性を見出すということに、むしろ違和感を感じてしまうといったような、逆転現象さえも既に起きているのかもしれません。

とはいえ、日本における写真・カメラ文化の現状としては、2つ以上の価値観が、「写真」というキーワード1つの中で、未分化のまま共存していることこそが実態。写真文化は、誕生から150年余りの歳月を経て、それだけ多様化したと考えるべきなのでしょう。なお、現在のデジタルカメラは、オートフォーカス、自動露出、ズームレンズが標準装備となり、ドライブ(フィルムでいう巻き上げ機能のこと)が自動化されて連続撮影が可能となっているので、写真の撮り方も、かつてのように、じっくりと構図を組み立てる絵画的な表現法から、いまでは、タイミングを重視したシャッターチャンス優先の表現へと変化している傾向もありそうです。このように、使用機材や搭載機能の面からも、カメラ・写真文化は大きな影響を受けて、有機的に変化を続けていると考えることもできるでしょう。

まとめ: やっぱり、日本人は写真好き!

外国の映画に出てくる、変な日本人キャラクターの設定では、スーツ姿で黒縁メガネをかけた、やせ型の中年男性に、小道具のカメラを持たせて、妙にニコニコして、必要以上にお辞儀をしながら、あたり構わずシャッターを切っているようなシーンが、しばしば登場していた印象があります。最近では、こういう変な日本人キャラそのものが、外国映画にもあまり出てこなくなりましたが、一昔前の外国映画では、みんなこういう感じでした。おそらく、それだけ「日本人=カメラ」という意識が強かったのだと思います。そんなエピソードにも代表されるように、日本人にはカメラ好きな国民性があると思います。また、それが日本のカメラ・写真市場を、より強固なものにしている可能性も高いでしょう。

日本のカメラ・写真市場では、報道などの安定したプロユースのほかに、もう一つ、分厚いアマチュアユーザー層が存在します。そのアマチュア層をリードしているヘビーユーザーとなるのが、芸術志向を持つ伝統的な表現者としての写真愛好家で、多くのカメラ雑誌もこのユーザー層をメインターゲットとしています。この層は、高級一眼レフカメラのコアユーザー層でもあります。

写真愛好家層は、地域社会などでは「カメラにくわしい人」として、オピニオンリーダー的な役割も果たし、クチコミによってカメラ・写真関連の情報を効率的に広げています。そのほかに、写真愛好家以外のカメラユーザー層で、芸術志向の趣味はなくても、コンパクトデジカメを使って記念写真などを撮ることが好きという人や、ブログの記事を書くために補足説明として写真の画像を使う人もいます。

熱心な写真愛好家と、その周辺の一般カメラユーザー。この両方のアマチュアユーザー層を合計すると、プロをはるかにしのぐほどの人口になり、それが日本のカメラ・写真市場を強固に支えています。このほかに、写真好きという自覚はなくても、趣味の記録を目的としてカメラを駆使している、鉄道ファンなどのユーザー層も存在します。そんなわけで、150年以上にもわたるカメラと写真の発展史を経て、日本人は、世界的にもまれに見る、写真好きの国民性を持つことになったと言えそうです。

 
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