写真何でも情報 EXPRESSコラム・ギャラリー
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2007.11.16
ちょっとした撮影のコツや本格的な撮影方法、最新の写真・カメラ用語解説など写真とカメラに関する最新の話題を毎週さまざまな角度から取り上げていく「写真何でも情報 EXPRESS」。これを読んでスキルアップ!
カメラ業界では、ニコンとキヤノンが2強メーカーといわれています。そして、プロ写真家からの支持が多いフラッグシップ機についても、このどちらかの製品が選ばれる例がほとんどです。ほかにもカメラメーカーは幾つかありますが、なぜ、この2社だけが突出して、国際的なブランド力を持つまでになったのか? 時代を遡って、そのルーツを探ってみましょう。
いまでこそカメラ製品のブランド力は、「カメラグランプリ」などのカメラ賞の評価や、数値統計としての売上実績が左右する例が多くなっていますが、それはアマチュア写真文化が完成して、最初の一眼レフブームが到来した、1980年代より以降の話。それ以前には、国内にカメラ賞はありませんでした。カメラグランプリ以前に唯一、カメラを評価する決め手になっていたのは、仕事の道具、というよりはむしろ「相棒」としてカメラを持つプロ写真家たちの支持であり、かつては、プロユーザーの総意を反映したデファクトスタンダードこそが、カメラのブランドを支えていたというわけです。
そんな時代に、一躍トップレベルの支持を集めたのが、ニコンとキヤノンの2社。ニコンは、東京タワーができた翌年、民放テレビの開局が相次いだころと時を同じくする、1959年5月に、ニコン初の一眼レフカメラシステムとなる「ニコンF」を発売しました。これが、現在まで続く、フィルム用フラッグシップ一眼レフカメラのルーツです。その2代目として1971年9月には、「F2」を発売。以後、ニコンでは代替わりするたびに数字を1つ足した「Fひとケタ」シリーズが、歴代フラッグシップモデルの系譜となりました。キヤノンも、ニコンと同時期から一眼レフの発売を開始した後、1971年3月に、プロ用フラッグシップモデルの初代「F-1」を発売。以後、モデルチェンジ版の「ニューF-1」を経て、1989年にAF本格対応でレンズマウントが一新された「EOS-1」が登場するまで、「F-1」はキヤノンの最高峰ブランドとして君臨し続けました。
ちなみに、初代「ニコンF」は、わざわざ「プロ用」とはことわっていませんが、発売当時は一眼レフよりもレンジファインダー形式(いまでもライカなどに残っているタイプ)のカメラが、高級機としては主流だったので、プロが使えるレベルの機能を備えた高品質の一眼レフであれば、それは何も言わなくても「プロ用」を意味することになります。そして、この時代には、まだカメラの世帯普及率が低かったので、カメラ、しかも高級機を使うのは、プロもしくは相当に熱心な写真愛好家しかいませんでした。よって、「ニコンF」は、“プロ用"と自らうたって発売したからプロ用なのではなく、当時は技術革新の象徴的存在だった一眼レフの性能を理解したプロ写真家たちが、それぞれの判断で能動的に選び取った機材だから、結果としてプロ用になれたのです。つまり、「ニコンF」は、プロ用一眼レフの新市場を自らの力で開拓し、そして信頼を勝ち取ったのだと言えます。
それ以降、一眼レフ方式のカメラは急速に普及し、「ニコンF」シリーズと、キヤノン「F-1」シリーズは、いずれもプロ写真家が常用する機材として人気を集め、他の追随を許さないブランド力を持つまでになりました。プロが使用するカメラには、温度・湿度などの使用環境に関わりなく、マニュアル設定した数値どおり正常に動作する確証や、圧倒的な数量になる撮影枚数でも壊れない耐久性が不可欠。そこで、この当時のカメラとしては群を抜くスペックと、レンズのラインアップ、さらには交換式ファインダーや、フラッシュなど各種アクセサリーまで含めた、全体的なシステム構成という点で勝っていた、この2強の製品シリーズが、世界中で使われるプロの定番機材として定着し、その製造元であるメーカーも大いに注目を集めることとなったのです。ニコンとキヤノンのブランド力は、愚直なまでに技術にこだわった成果の体現であるといえます。
「ニコンF」は、ニコン製としては第1号機ですが、実は国産初の一眼レフではなく、その登場以前にも他社から発売されていた一眼レフは存在しました。しかし、「ニコンF」と他社製品には決定的な違いがあり、実践における抜群の操作性と、システム全体としての完成度は、当初から非常に高いレベルにありました。
1960年前後の時代は、一眼レフの基本スタイルが完成したころ。現在では当たり前の装備ですが、完全自動絞り、ペンタプリズム(アイレベル式ファインダー)、クイックリターンミラーという機構が、すべての一眼レフに搭載され始めたのも、これ以降です。ニコンFにも、もちろん、これらの機能が搭載されました。
「完全自動絞り」は、撮影待機中にはレンズの絞りを開放に保って、明るいファインダー像を見ながらピントを合わせ、シャッターを切った瞬間には設定したF値まで絞り込んで露光を行い、撮影後は自動的に元の開放絞りに戻るというもの。AEやAFも、この完全自動絞りがあればこそ実現可能な機能です。これがない時代には、まずピントを合わせてから絞りを手動設定し、それからシャッターを切って1コマ撮影。次のコマを撮るには、絞りを手動で全開にするところから、その都度やりなおします。当然、露出もピントもマニュアル設定です。こんな作業を1コマずつ繰り返していては、動いている被写体は容易に撮影できません。昔の写真に登場する被写体で、人物や風景がわりと多く目立つのも、こんなところに理由がありそうです。完全自動絞りがあれば、AEはなくても、露出を先に合わせておけるので、動いている被写体でも、より迅速に撮影できます。
「ペンタプリズム」は、一眼レフのシンボルとも言える、ボディ中央の山型の部分のこと。この部分には、光学部品のプリズムが入っているので、外観が突起しています。これがあるおかげで、レンズからミラーを経由して導かれた像を、ファインダーでは自然な正立像にすることができます。これをアイレベルファインダーといい、レンズと向きが並行になるので、カメラマンは無理のない姿勢で撮影することができます。ペンタプリズムがない時代には、二眼レフ同様に上から覗き込む方式のファインダーが使われていました。ちなみに、現在の普及型デジタル一眼レフでは、さらに進化して、プリズムをミラーの組み合わせで代用した機種もあります。
「クイックリターンミラー」は、シャッターボタンの操作に反応して、内部のミラーを畳み、フィルムに露光したら、すぐにミラーが元の位置に戻って、ファインダー像が見えるというもの。この機構があれば、撮影直後の被写体を見ることで、シャッターチャンスの良し悪しも推定できます。クイックリターン方式になる以前では、シャッターを切った後、ミラーは上がりっ放しになっていて、元に戻すにはフィルムを巻き上げる必要がありました。それまでファインダー内は、ミラーで下からフタをされて真っ暗です。このように、1960年前後より以前にあった初期の一眼レフは、かなり操作が面倒なカメラだったようです。当時、ライカなどのレンジファインダー機に人気が集まっていたのも、この点に理由がありました。
「ニコンF」が登場した時代には、一眼レフカメラ全体が前述のような進化を遂げていたわけですが、「ニコンF」では、そのほかにも、より高度な機能性が実現されました。1つは、交換レンズの充実。標準50mmだけでなく、望遠から広角までの豊富な交換レンズ群が揃い、そのあらゆる焦点距離のレンズを装着した場合においても、決して操作性を損なうことなく撮影が可能であったことが、プロ写真家から大きな支持を得ました。こうして「ニコンF」とともに開発されたニコンのレンズは、1980年代後半のカメラ業界全体にわたる一眼レフAF化に際しても、基本的なマウント仕様を変えることなくAF機構の組み込みを実現し、さらには同じマウントを、現在のデジタル一眼レフにまで受け継いでいます。それだけ、最初から先見性のある光学設計が実現されていたということでしょう。
いまから約50年前の1959年5月に発売された、初代「ニコンF」(フィルム用一眼レフカメラ)。現在のニコン製デジタル一眼レフと、レンズマウントの基本的な仕様は共通です。
また、「ニコンF」では、多くのカメラが布製のシャッター幕を採用していた時代から、チタン製のシャッター幕をいち早く搭載したことも特徴の一つであり、そのほか、モータードライブなどのアクセサリーを装着可能とした点も、フラッグシップ機として選ばれるにふさわしいスペックでした。「ニコンF」は。カメラボディ1台だけでなく、その周辺まで含めた全体的なシステムとしてプロ用カメラの地位を確立し、その遺伝子は2代目の「F2」以降も受け継がれて、4代目の「F4」からはAFに対応。現在では、6代目の「F6」が現役モデルとして発売されています。これらの機種は、アメリカ航空宇宙局(NASA)にも採用され、宇宙空間での写真撮影でも活躍しています。なお、この「Fひとケタ」シリーズの命名パターンにならって、ニコンでは、デジタル一眼レフでも「Dひとケタ」シリーズが、デジタル版のフラッグシップ機となっています。
キヤノンも1959年時点から、完全自動絞り機構などを搭載した一眼レフを発売していましたが、プロ用高級機としての地位を確立したのは、1971年3月発売の「F-1」です。このカメラでは、当時、新開発のFDマウントレンズを使用。AF機の初代EOSが登場するまでの約16年間、FDマウントは、キヤノン一眼レフ全機種に共通の仕様となりました。1960年代には、露出制御はマニュアルのみという一眼レフカメラがほとんどでしたが、後には自動露出機能を求めるユーザーニーズが高まっていった関係から、「F-1」ではマニュアル露出のほかに、オプションでシャッター速度優先AEも使用できる設計になっていました。FDレンズは、このシャッター速度優先AEに、いち早く対応したレンズでもあります。このほか、カメラ史上初の完全無人自動撮影システムを構築できるなど、アクセサリーも充実していました。
1971年3月発売の、初代「キヤノンF-1」(フィルム用一眼レフカメラ)。「EOS-1」が登場する以前、フラッグシップ機として世界中のプロユーザーに使用されました。
「キヤノンF-1」の発売時期は、「ニコンF2」と同時期。ニコンのほうが、半年ほど遅れての登場です。当時は、「ニコンF2」が、初代「F」を受け継いだ保守的なモデルチェンジと評されたのに対して、新機種の「キヤノンF-1」には、より洗練された現代的な印象がありました。プロ用一眼レフ市場で「ニコンF」に挑戦を挑む新しいライバル機が登場したことで、いよいよ2強メーカーが宿命の対決を繰り返す歴史がスタート。ニコンは、1980年3月に3代目となる「ニコンF3」を発売しますが、そのボディデザインは、多分に「キヤノンF-1」を意識したもので、初代「F」「F2」の重厚感が漂う武骨なシルエットを、まるで感じさせない斬新なカメラになっていました。これに対抗してキヤノンも1981年9月に、モデルチェンジした「ニューF-1」を発売していますが、どちらも電子制御式シャッターを取り入れるなど、機能の向上がはかられました。また、この当時から、カメラも実用一点張りの機能だけでなく、外観の見た目にまで価値を求めるという新たなトレンドが生じ、やがては80年代ならではの個性的なデザインを取り入れたカメラが、各メーカーから新発売されました。カメラに「美しさ」という新基準を作ったのも、2強メーカーのフラッグシップ機だったのです。
さて、初代「キヤノンF-1」では、最高1/1000秒程度の布製シャッターが当たり前だった時代に、最高1/2000秒の金属製シャッターを採用。この当時のシャッターは横方向に走っていたので(現在は縦走行が普通)、「F-1」のシャッター幕は、本当に速くて頑丈だったのです。ちなみに、1/2000秒は発売当時の世界最速記録で、多重露光機能も搭載されていました。カタログ上の性能だけでなく、連続撮影10万回という耐久性や、荷重、衝撃や高温多湿にも耐える堅牢製など、プロの撮影機材として酷使した場合でも簡単には壊れないという、タフなボディにも特徴があり、あらゆる分野の撮影で大活躍。EOSが発売された後でも、しばらくは「F-1」の人気が衰えることはなく、いまでも中古市場では人気機種の一つとなっています。
「キヤノンF-1」シリーズには、量産モデルのほかに特殊モデルがいくつか存在し、モータードライブと透過型ミラーを搭載した、高速連写専用カメラが何度か登場したことがあります。これらは、オリンピックの開催年に合わせて製造され、主に報道カメラマンの撮影に使用されました。フィルムカメラながら、最高で秒間14コマ連写を達成した機種もあります。
ニコンとキヤノンがカメラ界の2強として君臨する背景には、このようにプロ用高級機対決の歴史がありました。プロが自分で使うための機材を選ぶという、メーカーにとっては最も厳しい試練の場で、真っ向から技術を競うことで発展してきた、「ニコンF」シリーズと、「キヤノンF-1」シリーズ。今日では、主戦場をデジタル一眼レフに移して、両メーカーの競争は続いているわけですが、そこには最も要求レベルが高いプロユーザー層からの支持を獲得することを目標として、お互いが自らを高めていく切磋琢磨の関係があったのです。
もともとは、機種単位の対決でしたが、それがメーカー全体どうしの競争に発展し、結果としては、コンパクトカメラやデジタルカメラを含む全機種について、この2強の勝負が注目されるようになったのが、現在のカメラ業界の勢力図。おそらく、ニコン、キヤノンのどちらか一方だけが一人勝ちしている状況だったら、これほどまでに世界からの関心を集めることも、なかったであろうと思われます。お互いが存在を認め合うような、良いライバル関係があってこそ、ニコン、キヤノンの両方が、ともに強固なカメラブランドを育て上げることができたということになるのでしょう。
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