写真何でも情報 EXPRESSコラム・ギャラリー
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2008.08.22
デジタルカメラの、精密機械製品としての市場は、世界的に見ても、日本メーカーの実質的寡占状態にあります。これは、もはや誰もが知るところでしょう。では、同じ機種のカメラを使っている人は、みな同じような被写体を好んで撮っているのか? といえば、それは違いますよね。カメラと写真は、しばしば一体化して語られることが多いのですが、「何のためにカメラを使って写真を撮るのか?」という、写真の中身の部分は本当に多種多様で、機材としてのカメラに求められる価値ほど、画一的ではありません。ということで今回は、カメラではなく「写真」の文化的側面に注目して、多様であるカメラユーザーそれぞれにとって、「写真」とはいったい何なのか? を改めて考えたいと思います。
いまを生きるたくさんの人が、写真と、どう関わっているか? ということをまず見てみると、大きく分けて、「撮ることでの関わり方」と、「見ることでの関わり方」の2つになるでしょう。このうち、撮影機材であるカメラが関わるのが前者、マスコミ媒体やインターネットを含めて、メディアが関わるのが後者です。
そうなると、単に「写真」という場合には、見る人の立場によって、あるいは、そのときどきの関わり方によって、写真をとりまく価値観が、微妙に変わっていることになりそうです。それだけでなく、「撮る」のと「見る」のでは、どちらに重点を置くかということも、人それぞれのライフスタイルによって違っています。
そのあたりを、もう少し詳しく分類し、その代表的なものとして、次の項目を挙げてみました。なお、ここで挙げた各項目は、あくまでも典型的な傾向を示しているので、書いてあることだけがすべてという意味ではなく、実際には個々の例外もあります。
まずは、カメラの操作を伴う、写真との関わり方。キタムラをはじめとするカメラ業界にとって、最も縁が深いのは、このように自分の手でカメラを操作して、写真を写すという行為の部分でしょう。そこで改めて考えると、写真を「撮る」ということは、つまり撮影する人が、カメラを介在して、実在するモノや人に関わることだと、とらえ直すことができます。要するに、撮る人は、必ずその場所に立ち会うということ。これが、メディアを通じて見るだけの写真との違いです。このような被写体との関係性が、実は、写真撮影にとっては重要で、写される側のモノや人に対する、写す側の人の関わり方によって、写真を撮る目的は、それぞれに異なります。なお、ここでは主に、仕事として写真を撮るプロカメラマンではない人の場合(一般のカメラユーザーとアマチュア写真愛好家)を想定しています。
カメラユーザー全体の中で、最も多い写真撮影の用途は、これです。しかも、半分以上が人物写真。いわゆる記念写真こそが、多数派に共通した、写真を撮る理由なのです。撮られる側の人は、家族や友人などのよく知った人、撮る側の人も同様で、このようにして撮影された写真は、不特定の他人に見せることは、ほとんどありません。プリントしてアルバムに貼ったり、自宅に飾ったりして、旅行や年中行事などの思い出を残すのが、このタイプの写真が担う最大の目的です。もともと、よく知っている身内だけで撮影するので、写真にわざわざ説明を付けることも少ないでしょう。キタムラのお客さまが撮影される写真の用途でも、最も多いのはこのタイプ。記念写真だけは、カメラ機材に対して特に深い興味がないという人でも、撮影することがよくありますから、このタイプの写真だけを撮る人を指して、「写真愛好家」とは呼ばないのが普通です。
ところで、最近ではインターネットのホームページ、あるいはブログが普及した結果、昔なら不特定多数に公開することがなかったプライベートな写真を、あえて公開しようという人も、一部には存在しています。これは、ネット時代ならではの、大きな変化でしょう。
しかし、ここで一つ、はっきりと区別しておくべきことがあります。それは、次に触れる「作品発表」と、プライベートの公開は、まるで次元が違う話であるということ。ネット上では、プライベートを公開した写真も、作品発表の写真も、みな混ざった状態で同列に並んで検索されますから、個々人が注意して見ていないと、それらを混同してしまう例も出てきています。カメラユーザーは、全体的には趣味人よりも、記念写真だけを撮る一般の人のほうが多いので、写真愛好家や写真家が、作品として発表するつもりでネット上に掲出した写真でも、単に「撮った人の行動履歴を記録した写真」とだけ受け取られる場合が、事実として想定される状況になっています。作品として撮った写真であれば、ネット上では「これは作品です」と、はっきり書いておく必要があるのかもしれません。
カメラユーザー全体の中では、比較的、少数派になりますが、いわゆる記念写真ではなく、芸術表現の手段として、カメラを使うタイプの人が存在します。「写真愛好家」と呼ばれるのは、主にこのタイプの写真を撮る人で、フィルムカメラ時代から続く伝統的なカメラ雑誌(写真雑誌)の主要読者層でもあり、その雑誌の中で取り上げられる話題も、このようにアート志向で作品を撮ることを目的とする写真に関する内容が中心です。ちなみに、用語の区別として、「写真愛好家」はアマチュア、「写真家」はプロを指すことがあります。
記念写真と作品写真の最大の違いは、撮る人の身内以外に見せる目的があるかないかです。作品写真は、他人に見せることを目的として撮るので、他人には見せないプライベートな記念写真と比較して、撮る被写体も、構図などの撮り方も、大きく変わってきます。こうした作品写真の場合、記念写真と違って、被写体は身内や知り合いの人物ではないことが多く、また人物よりも、自然風景や動物などが多く撮影されています。つまり、作品としての写真では、記念として「思い出」となるような経験や感情が、必ずしも伴わない場合があるわけです。一般の方がわかりやすいように言い換えると、それは一般の方が知っているタイプの“写真”とは違っていて、カメラを使って光で描く、絵画の一種なのだと思っていただいたほうが、良いのかもしれません。写真を芸術と呼ぶのは、この点に根拠があるのです。
アート志向の写真では、それらの作品を発表する場として、各種の写真コンテストや、写真集(本)、写真展などがあります。カメラメーカーが直営で写真ギャラリーを持っているのは、こうした発表のニーズを満たすためです。こうした写真を撮る人は、カメラユーザー全体に占める人数は少ないのですが、1人で撮影する写真の数量が一般の人より圧倒的に多いので、カメラ市場の一角として見ると、無視ができないほどの規模になっています。おそらく、写真愛好家ではない、一般のカメラユーザーの方にとっては、このタイプに属する、作品としての写真、そして作品発表の場があるということ自体、知らないという声のほうが、現実的には多いかもしれません。写真ギャラリーは、東京や大阪など一部の大都市にしかないので、全国的に見れば、実物の写真展を見たことがない方、あるいは遠くて見に行けないという方が大多数かとも思います。しかし、一度でも写真コンテストや写真展の作品写真を見てみれば、いわゆる記念写真とは、だいぶ様子が違うので、「伝統的に、そういう表現の世界があるのだ」ということだけは、ご理解いただけるのではないでしょうか。
作品発表としての写真は、撮影を通じた表現を楽しむ趣味の世界で、ここでの被写体は、美術でいうモデルやモチーフに相当します。したがって、必ずしも被写体となるモノに、撮る人の強い関心や執着があるわけではなく、それはあくまで「絵の題材」として撮る人に関わるわけです。この点は、記念写真あるいは資料用の記録写真の撮影のみでカメラを使っている一般の方には、なかなか、わかりにくいかもしれません。でも、美術で石膏デッサンをする人が、決して石膏マニアではないように、写真で作品を表現する人が、単なる被写体のマニアでないということは理解できると思います。このあたりの話は、絵を描く趣味のある方にとっては、絵筆がカメラになるだけなので、わりと伝わりやすいと思いますけれど。
ところで、身内の記念写真では、写真に対して特に説明を付けないことが多いですが、作品写真では、文字で説明を付けることがよくあります。また、フォトコンテストの場合、文字だけで応募作品を管理する必要もあるので、必ずタイトルを付ける習慣が定着しています。ただし、フォトコンテストなどの場合は、タイトルが被写体や事実の説明のみとは限らず、心象風景としてのニュアンスを示すようなタイトルを付けることも、表現の文化として伝統的に行われています。それは、写真を使ったフィクションなのだと解釈しても、良いのかもしれません。例えば、ネコの写真に、それを擬人化して感情を示したようなタイトルを付ける場合が、フィクションとしての表現に該当します。
上記2つの写真のほかに、プロカメラマンの場合は、チラシ広告などのために、商品の外観を見せる写真を撮ることがあるでしょう。また、一般の方でも、ネットオークションなどで、出品物を説明するために写真を撮影することは、よくあると思います。そして、鉄道ファンが撮る鉄道写真のように、写真で表現することよりも、被写体への関心のほうが大きい趣味の世界もあります。
このような写真は、思い出のための記念ではないですし、また、アートを志向して何かを表現しているわけでもありません。それは、コピー機で書類をコピーするのと同じように、立体的な物体を、カメラを使って記録した写真であると言えます。このように、資料として利用される写真は、記念写真に次いで、一般の方にとっても馴染みが深いものでしょう。かつて、まだコピー機がなかった昔の時代には、フィルムカメラが資料の複写用として広く使われていたこともあるので、カメラを「事務機」とみなす考え方も、決して間違いではないのです。いまでも、デジカメとコピー機の両方を作っているメーカーが、いくつかありますね。
述の作品写真の2タイプがあるわけですが、一般の方の場合、モノの写真に対しては、どちらかというと「資料用としての写真」にウェイトを置いて理解することが多いかと思います。しかし、前述のように、アートとして発表される作品写真にも、人物以外のモノをモチーフとした写真があるので、その点、一般の方と写真愛好家の間で、写真の見方に対するギャップが生じやすくなる可能性はあるでしょう。
自分でカメラを操作せず、他人が撮った写真を眺めるという形で写真と関わることも、日常生活の中ではよくあります。この場合、写真を見る人は、被写体の実物には接していないわけで、写真を通じて想起できる世界が、知り得ることのすべてとなるわけです。そして、写真を通じてしか見たことがないのに、よく知っているようなつもりになっていることも、たくさんあります。例えば、私たちは、地球の全体像を肉眼で見ることはできませんが、写真を通じて、青くて丸い地球の姿を知っています。こうした映像化された知識を持つことができるのも、写真を見ることが、生活の中で大きな価値を持っていることの証明と言えるでしょう。自分で撮影しない、見るだけの写真に対して、人はどんな関わり方をしているか? その例を挙げてみたいと思います。
日常生活の中で、一般の方が最も見る機会の多い写真は、新聞などに載っているニュース写真と、折込チラシや電車のポスターなどに載っている広告写真です。インターネットでも、検索サイトのトップページに出ている写真の多くは、新聞を情報源(ネタ元)として配信されたニュース写真です。
また、広告写真は、その多くが商品の外観を説明するための写真です。スーパーマーケットの特売チラシや、新発売となった電化製品の写真などで、実物の形や色がどんなものかを見せるために、多くの広告で、写真が用いられています。そして、通信販売やネットオークションなどが普及するにつれ、こうした場面で写真が果たす役割も、ますます大きくなっています。
なお、広告で取り扱う商品が、旅行ツアーや、イベントの入場券、あるいは、まだ完成していない(建築途上でまだ実物が存在しない)不動産物件などの場合、形がないものを印象的に紹介する広告写真として、風景などを撮影した写真が出てくることがあります。前述の「アートとして発表される作品写真」のうち、プロ写真家が撮影したものは、この種の広告の中でしばしば登場しています。ただし、それが広告である以上、あくまでも訴求するべきものは商品やサービスのほうなので、撮影した写真家の名前は、表に出ないことのほうが普通です。
こうしたニュース写真や広告写真で特筆すべき点は、見る人が必ずしも「写真を見たい」という明確な意思を持って、写真を見ているわけではないこと。意識的に見ているのは、あくまで新聞あるいはチラシというメディアであって、その内容を知る過程で、記事と一緒になった写真に接しているのです。つまり、正確に言えば、写真を写真だけで見ているというわけではありません。そこには、文字で書かれた説明や値段が必ず併記されていて、写真と文字の両方から情報を得ることがほとんどです。したがって、ニュース写真や広告写真は、単に写真だけを眺めるのではなく、メディア全体を通じて、写真をとりまく総合的な情報を得ていることになります。この点は、自分の思い出に関連付けられている、プライベートな記念写真の見方とは、まったく違うわけです。
一般の方にとって、自分もしくは家族、友人など、よく知った人が撮ったもの以外で、他人が撮った写真を見る機会となると、新聞や広告(とインターネット)などのメディアに載った写真だけになるのが実情かとも思います。大多数の人にとって、それがすべてだとすると、写真に表現された芸術性を鑑賞するという感覚が、一般の方にとってわかりにくいことも、いた仕方がないのかもしれません。
他人の撮った写真のうち、「アートとして発表される作品写真」に関しては、見たいと思った人が、自分の意思で見に行こうとしない限り、なかなか見る機会はありません。このタイプの写真は、伝統的なカメラ雑誌(写真雑誌)に掲載された写真コンテストの入選作品や、フォトギャラリー(作品展示のための施設)で開催される写真展、本という形で出版されたアート系の写真集などで見ることができますが、いずれにしても、意識しなくても目に入るニュースや広告の写真と比べると、絶対的な数量が少ないので、写真愛好家ではない一般の方にとっては、おそらく馴染みが薄いでしょう。
インターネットができる以前は、カメラの操作に少しでも関心がある人は、ほぼ必ずカメラ雑誌を見た経験があったものなので、そのページをめくっていく間には、普通の記念写真とは違う、アート作品としての写真がどのようなものか、なんとなく理解することはできました。しかし、インターネットが普及した後には、カメラ雑誌を読んだことはなくても、カメラの操作に関する情報だけを選んでアクセスすることができるので、機材のカメラに関心はあっても、アート作品としての写真表現があることを知らない人が、昔より増えている可能性があります。また、写真ギャラリーは全国にあるわけではないですし、写真集を取り扱っている書店も大規模店に限られるなど、アート作品として表現された写真を見られる場所は意外に少ないですから、こうしたタイプの写真があることを、いま、ここで初めて知ったという方も、実際には多いことかと思います。とはいえ、カメラと写真が、今日ほど大衆化するよりも以前からある、伝統的な写真趣味の世界では、アート作品としての写真が本筋なので、「そういうものがある」ということだけでも、ぜひこの機会に知っておいてください。
ちなみに、フォトギャラリーで写真作品を鑑賞する場合、入場料は、タダ(無料)であることが通例です。どなたでも、気軽に入って写真作品を眺めることができますから、関心のある方は、ぜひ立ち寄ってみてください。キタムラにも、東京の新宿御苑の近くに、独自のギャラリーがあり、常時、いろいろな写真展をご覧いただけます。
なお、新聞紙上でも、アート作品としての写真が紹介されることがありますが、それが掲載されるページは、文化・芸術などに関する特集紙面であることが大半です。社会的なニュースのページで、アート作品としての写真が取り上げられることは少ないので、文化・芸術欄については、新聞に載る写真の中では、ほかのページ(欄)の写真と区別される特例と言えます。
以上を総合すると、写真愛好家ではない、大多数の一般の方にとって、「写真」とは、まず身内の記念写真として保存される思い出であり、またニュースを通じてメディアから受け取る情報であるということになるでしょう。そこでは「アート」という感覚が薄いのが実情ですから、熱心な写真愛好家の方が考えるような、「写真」のあり方とは、実態がだいぶ違うようですね。
写真愛好家の方が考えるような、写真の芸術性に関わる要素は、実際のところ、一般の人の日常生活には、あまり深くは関わっていません。でも、これを逆にとらえると、アート作品としての写真を撮ったり眺めたりすることは、日常とは違う感覚で、その新しい経験を楽しむための、良い機会として成り立つということにもなりそうです。アート志向の写真愛好家が少数派だとすれば、これから先、まだ人口が増えていく余地があるのだと、前向きにとらえることもできます。「写真を楽しむ」とはいうが、いったい何を楽しめということなのだろうか? と疑問に感じる方もいるかもしれませんが、その疑問に対する一つの解として、芸術志向で撮る写真が存在すると考えてはどうでしょうか。写真撮影は、芸術作品の創作手段の中では、いちばん短時間で完結しますから、少しでも興味のある方は、機会を作って挑戦してみてください。
カメラは同じでも、写真を撮る目的、カメラとの関わり方は人それぞれ。以上の話の中で、自分の知っている「写真」だけが、写真のすべてではないということは、ひとまずご理解いただけたかと思います。デジカメの操作は、どんどんシンプルになるけれど、それを使って撮る写真の中身は、やはり単純ではない。それが、写真の文化なのです。こうして考えてみると、いまお手元にあるカメラの使い道は、意外と広いものだな! と思えてきませんか。
キタムラでは、カメラや写真に対する、お客さまの多様なニーズにお応えするべく、フォトギャラリーの運営のほか、自社主催による四季のフォトコンテストなどの活動も続けています。こちらにも、ぜひ傑作写真を撮って、お気軽にご参加ください。
あなたの大切なお写真の現像・保存・プリントは写真専門店カメラのキタムラにおまかせください。