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2010.10.08
毎年10月14日は、「鉄道の日」(鉄道記念日)です。そこで今回は、この記念日に関係した産業遺産とも言える、鉄道の史跡を訪ねてみましょう。史跡は、意外と身近なところにあるので、お時間のある方は、一度、見学に行ってみてください。ちなみに、史跡には車両がありませんので、その近くの観光スポットと、セットで見たほうが面白いと思います。
10月14日は、「鉄道の日」(鉄道記念日)。明治維新から間もない、明治5年(1872年)の新暦10月14日に、新橋(現在の東京都内)から、横浜(現在の横浜市内)の間で、蒸気機関車による鉄道路線が、日本国内で初めて、旅客営業を正式に開始しました。この鉄道路線が全国に延伸されて、後の国鉄(日本国有鉄道)、そして現在のJR(国鉄が分割民営化された後のJR各社)へと、つながっています。
ここで、わざわざ新暦の日付だと明記しているのは、当時、日本では、まだ独自の旧暦を使用していたから。同じ明治5年の12月2日を旧暦で最後の日として、旧暦12月の残り日数は、なかったことになり、その翌日からは新暦で、新年1月1日となりました(この年だけは正月が早く来た)。以降は、現在のカレンダーと同じ、世界共通の日付が、日本でも使われています。
したがって、日本の鉄道が開業した時点の正式な記録は、新暦移行の前にあたるため、旧暦による表記で「9月12日開業」とされている場合があります(12月以前の新暦は遡って換算した場合の日付)。ちなみに、鉄道が最初に発明された国は、19世紀初頭のイギリスで、日本の鉄道もイギリス人技師の指導のもとで、開業が実現されました。
ところで、日本で最初に写真館(写真撮影を請け負う店)が誕生したのは、まだ幕末だった1862年のこと。長崎では上野彦馬が、横浜では下岡蓮杖が、ほぼ同時期に写真館を開業しました。ただし、いずれの写真館も、人物の肖像写真を撮影することが専門で、また当時のカメラと感光材料(フィルム発明以前の技術)では、1コマの露光だけでも相当な時間がかかったので、動く被写体は撮影できませんでした。そのため、日本における導入の順序としては、写真が先で、鉄道が後になるわけですが、しかし、横浜の街に汽車が走る様子を、当時の写真で記録することは、まだ技術的には困難だったとみられます。(写真についても、外国で発明された技術が、日本に輸入されました。ちなみに、当時の日本の風景写真を最初に撮影したのは、来日した欧米系外国人の写真家です。)
それでは、日本の鉄道が開業したときの史跡が、東京都内と横浜市内に、いまも残っているので、実際に見に行ってみましょう。
東京都内の汐留に復元された、「旧新橋停車場」。
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日本で最初に開業した鉄道路線で、起点となった「新橋ステイション」の跡は、現在のJR新橋駅(東京都)からは少し離れた、汐留という場所にあります。一昔前まで、汐留は貨物列車専用の駅として使われていましたが、貨物駅は廃止されたので、現在の汐留に行くと高層オフィスビルが建ち並んでいます。その中に、明治時代の鉄道創業期にあった「新橋ステイション」を復元した駅舎と、そのとき使われていたレールの一部などがあり、「旧新橋停車場」として、一般に公開されています。開業当初の駅舎が、いまの時代まで、そのままで残っているわけではありませんが、明治時代の資料や記録写真をもとに、現代の建築技術によって、可能な限り建物をリアルに再現しており、その内外から、開業当時の鉄道駅が持つ雰囲気を、体感することができます。
現在の復元された駅舎は、内部が「鉄道歴史展示室」となっていて、日本で最初の鉄道に関する資料を、どなたでも見学することができます(開館11~18時・月曜休館)。汐留は、JR新橋駅から徒歩か、ゆりかもめ・都営地下鉄大江戸線の汐留駅下車。現地にある周辺案内図には、「旧新橋停車場」とだけ書かれていますが、昔の一般的な日本語では、鉄道の駅のことを「停車場」と呼んでいたことが、この名前の由来です。
「旧新橋停車場」の建物は、中央部が平屋で、左右が2階建てという変わった形の洋館。横に長いので、写真は少し撮りにくいと思います。駅前の敷地も狭くて引きがないので、正面から全景を撮る場合は、超広角レンズが必要です。ここで示した駅舎の写真は、普通のズームレンズの広角側で撮ったものなので、平屋部分だけが写っていますが、この程度の画角でも、広角レンズ特有のゆがみが現れています。ちなみに、線路跡は、この駅舎の裏側にあります。詳細は、写真では伝えきれないので、実際に、見に行ってみてください。この意匠の洋館が、ほとんど江戸時代と変わっていない、明治5年時点の日本に誕生したことを考えると、東京の街で、いかにその姿は大きな存在感を持っていたことでしょうか。
新橋というと、いまの東京駅の場所からは距離があるので、ずいぶんと中途半端なところに、起点の駅が設けられたような気がするかもしれません。しかし、いまの汐留にあった、かつての「新橋ステイション」は、位置的に見ると、「日本橋」の近くになります。日本橋は、江戸時代に利用されていた、歩いていく「東海道」の起点で、当時としては、ここ新橋こそが東京のど真ん中でしたから、鉄道の起点を置く場所としては、この上ない“一等地”だったのです。
起点の新橋ステイションに対して、当時の鉄道で終点となったのが、「横浜ステイション」。こちらの跡地は、新橋側ほどには豪華な史跡とはなっていませんが、当時の駅舎の位置を示す記念碑が立っています。場所は、現在のJR横浜駅ではなくて、1つ先の桜木町駅の近くです。記念碑は、駅構内ではなく道路上にあるので、切符を買わなくても見学することができます。
記念碑は、形が三角柱で、それぞれの面には、明治時代に鉄道が開業した当初の、横浜ステイションの様子について、説明が書かれています。また、よく見ると、記念碑の周囲に鉄道のレールと、機関車の汽笛が装飾されています。しかし、この場所が日本における鉄道の発祥地だと知っている人は少なく、周辺を歩く人影はまばらです。
鉄道が開業した当初の横浜ステイションは、駅舎の構造が、新橋ステイションとほとんど同じだったので、「旧新橋停車場」の史跡と合わせて見学すれば、その様子を想像することができます。ちなみに、鉄道が登場する以前には、「駅」といえば、馬で街道を往来する人のための補給施設のことで、いまなら「道の駅」のようなものでしたから、鉄道の駅を表す用語は、当時、「停車場」あるいは、「ステイション」と英語のままで呼ばれたようです。
さて、横浜ステイション跡にある記念碑の説明をよく見ると、開業の日付が、旧暦の5月7日、区間が横浜と品川の間と書かれています。新橋ではなく、横浜を先に起点として説明し、最初の開業区間も、新橋ではなくて、品川までとなっているところに注目してください。
実は、新橋-横浜間の最初の鉄道は、2段階で開業したので、旧暦9月(新暦10月)の本開業より前に、品川-横浜の間だけで仮開業していた時期がありました。そのため、横浜側にある記念碑では、仮開業の日付を、日本における鉄道の発祥とした説明がなされていて、新橋側の史跡にある説明と比べれば、記載内容に少し違いがあります。そして、この記念碑の建立は、昭和42年の鉄道記念日で、もちろん新暦の日付であるのに対して、鉄道創業の日付を説明した本文中では、より数字が若くなる旧暦の日付を使用しています。このあたりには、横浜の地元民ならではの「お国自慢」で、ちょっと東京に対抗してみた感じのアピールも読み取れて、なかなか面白いと思いますね。
ちなみに、当時の鉄道車両はイギリスから船で輸入されたので、港が作られた横浜から、日本に上陸しました。すると、鉄道の国内発祥地といえば、やはり横浜とみるのが正しいとも言えるのでしょう。日本における鉄道の歴史は、この場所から始まり、そして文明開化のシンボルとなりました。
新橋ステイションと、横浜ステイションの跡地には、史跡があるだけで、明治時代の鉄道車両は展示されていません。当時の蒸気機関車や客車は、埼玉県にある「鉄道博物館」に保存されているので、こちらも合わせて見学すれば、明治時代に開業した当初の鉄道の様子を、より深く知ることができるでしょう。中部地方に在住の方は、愛知県の「博物館明治村」でも、当時の鉄道車両を見ることができます。
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