写真何でも情報 EXPRESSコラム・ギャラリー
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平成9年12月13日
ちょっとした撮影のコツや本格的な撮影方法、最新の写真・カメラ用語解説など写真とカメラに関する最新の話題を毎週さまざまな角度から取り上げていく「写真何でも情報 EXPRESS」。これを読んでスキルアップ!
今年は金融不安が世情を騒がせましたが、こうした不景気な話は是非とも、どこかへ吹き飛ばし、来る1998年を迎えたいものです。昔から不景気を「ハネのける」縁起物として羽子板があります。羽を突く羽子板で「ハネのける」語呂合わせのシャレです。運勢を「ハネ上げ」、邪気、不景気などを「ハネのける」、そして羽子板の形から「末広がり」と縁起物の代表的なひとつです。
その羽子板市が毎年12月17~19日、東京は台東区浅草の浅草寺・浅草観音で催されています。赤い門と大きな提灯がトレードマークの雷門をくぐって仲見世通りを歩いて行きますと、参道の両脇から威勢のよい掛け声が飛んできます。約50店の出店がズラリと並び、お客ウんとお店の人との会話が賑やかに交わされるなかを「売った、買った」の手締めの音が響きます。夕暮れ近くになりますと、出店に灯が入り、羽子板市特有の雰囲気が一段と高まってきます。
さてその羽子板、遊びとして古くは室町時代の書物にも初春を寿ぐ遊びとして、宮中で男組女組に分かれて競ったと記されています。当初は宮中や上流武家の間で流行し、蒔絵が表裏に施された豪華な羽子板が贈り物としても使われていたようです。それが町人文化の花開いた江戸時代に縁起物として、庶民的な遊び道具になっています。
その昔は年末に正月用の晴れ着を作った残りの布で、羽子板に貼りつけていたものが、いつの間にか歌舞伎や日本画などを題材にした伝統工芸になったようです。立体的な細工の羽子板は“押絵羽子板”と呼ばれ、いかにきらびやかに飾るか、職人さんの腕の見せ所です。ところで羽子板にも流行があって、江戸時代は歌舞伎役者や浮世絵が主流でしたが、この流行をリードしたのは女性です。この点は今も昔も変わらないように感じるのですが、いかがなものでしょう。昨年にはオリックスのイチローなどが登場していましたが、今年はどんな人が羽子板になるのでしょうか。
羽子板市に加えて、浅草寺を中心とした浅草界隈を散策してみてはいかがでしょう。
まず、浅草寺は『金龍山浅草寺』と呼ばれ、創立は推古天皇(628年)の時代で、東京都内最古の寺といわれています。下町にあったことで、江戸の華、火事には数十回の災難を受けています。しかし、その都度、多くの人々の手によって再建され、それだけに親しみも一層深いものが潜んでいるようです。
別名「はなやしき通り」、遊園地のはなやしきがあり、昔から庶民芸能と結びつき、近代では映画でにぎわった浅草六区があります。現在は以前と比べると、だいぶイメージが異なりますが、散策していると、何となく『庶民の町』を感じさせてくれます。
江戸時代に繁栄をきわめた元禄の頃、浅草寺境内の掃除の賦役を課せられていた人々が、その代償として出店による営業権を取得したのがこの仲見世の始まりといわれています。
天慶5年(942年)に建立され、その後火災で何回となく焼失しましたが、その都度再建され、徳川家光により再建された五重塔は、国宝の指定を受けていました。しかし、昭和20年3月の戦災で焼失しています。現在の塔は、昭和48年11月に建物の上に五重塔を建てる塔院づくりの方法で再建されたものです。
最近は正月に羽根突きの姿を見かけることはごく稀で、チョッピリ寂しい気もしますが、バドミントンやテニスにとって変わってしまったのでしょうか。お正月には洒落のきいた人達に、羽子板で羽根突きをしてもらいたいものですね。
[交通アクセス]
地下鉄都営浅草線、営団地下鉄浅草駅より、徒歩10分程度
[問合せ]
浅草寺 03-3842-0181
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