修理人たぐちの徒然日記コラム・ギャラリー
2008.01.08
「元禄十四年三月十四日、殿中「松の廊下」で淺野内匠頭が吉良上野介に刃傷に及び、田村家にお預けとなり、即日切腹、知らせは昼夜を問わず早馬で播州赤穂へ赤穂へ...」と講談の講釈が始まります。
淺野内匠頭が無念の切腹をした田村右京太夫屋敷跡に存した所に和菓子店「新正堂」があり、切腹最中なる商品があるのです。屋敷跡は工事中で通りを隔てた横道に移転しましたが、田村屋敷の庭先にと言った感じです。
内匠頭辞世の句「風さそう花よりもなほ我はまた 花の名残をいかにとせん」が伝えられています。乱心で、即日切腹の沙汰の中に歌を詠む心の余裕があったかは、戦災で焼けてしまった。右京太夫屋敷にそびえていた大銀杏だけが知っているようです。
http://www.shinshodoh.co.jp/annai/index.html
最中の片方が餡で開いており、切腹に例えて居るんですね!アイデアと申しましょうか。
餡の中に白いギュウシが入っており、武士に二言なしを例えているようにも思え、尋ねたたところ「餡が潰れないように」とシャレにならない答えが返ってきました。
化粧箱も完全に閉まらず切腹状態と凝っているんですが。。。。ネ!
店の中は、赤穂義士一色と言った感じでハッピの背中には、大きな文字で商品名が描かれておりました。
浪士達は、火事装束で本所吉良邸を目指しまします。その理由付けは、集団で移動する際に怪しまれない為と言われておりますが、思うに赤穂藩が元禄3年(1690)に本所火消役を幕府より拝命し、翌年も同役に付いた関係からではないかと推測します。
後年、新撰組の羽織も袖にだんだら(白抜き山型)を染め抜き、義士にあやかったとの伝聞になっています。
現代での取引上の不始末に腹を切ることはないようで、お詫びに「切腹最中」を持参する担当者もいるようです。
日本橋店中古売場 田口由明
あなたの大切なお写真の現像・保存・プリントは写真専門店カメラのキタムラにおまかせください。