修理人たぐちの徒然日記コラム・ギャラリー
2008.10.07
故お茶の水の先生に誘われておりました修理同好会の撮影会に参加を致しました。
本来なら得意の撮影知識と、下調べをしてきた説明で楽しい川散策となったことでしょう。
左側のレンガ作りの建物が万世橋駅の名残です。
大方の子供は電車が好きで、此処にありました交通博物館に我が子と遊びに行ったものです。現在は埼玉県大宮市の先に移転しています。
お茶の水界隈です。その昔将軍が鷹狩りの帰りにお茶を飲み、その後、将軍家の茶の湯に用いられたとかでお茶の水の地名になりました。
左手、神田台地を下りました途中に故お茶の水先生の事務所があります。
飯田橋手前から左に折れまして日本橋川に入ります。
川の上は首都高速が走り視界を遮ります。江戸時代に普請しました石垣が残っている区間がありました。この区間は何処の藩の普請だったのでしょう。
神田と東京の間で山手線が日本橋川を跨ぎます。橋には地上からは目にすることが出来ない蒸気機関車の動輪の標章があります。大正7年の年号を読み取ることが出来ます。
日本橋に空を取り戻そうとの運動があります日本橋です。
洋式照明灯は妻木頼黄(つまき・よりなか)設計、装飾像は東京美術学校彫刻家の渡辺長男氏が担当しました。
橋の両端の洋式照明灯には架空の動物麒麟が東京市の繁栄を願っています。
それから、守り獅子が彫られています。
トンチではありませんが、何頭おりますでしょうかね?
獅子X獅子=16頭ではありません。
此処は日本橋です。もう一ひねりされるか?現地で確認をするのも歴史探索です。
時間に余裕が出来まして日本橋川から新川に入り大川へ向かいます。
遠くに人気のウオーターフロントの高層マンションが林立していました。
大川(隅田川)に出ますと舟が揺れます。
永代橋越しに佃島のマンション群です。佃煮発祥の地です。
同船者が船頭さんに「州にあんな高い建物を建てて大丈夫ですかね?」と心配をしておりました。
平岩弓枝著「御宿かわせみ」の大川端は右岸当たりにあったのでしょうか?
神林東吾と畝源三郎・長助が捕り物になると猪牙で神田川へ、大川を横切り小名木川へと走り回っていました。又、るいと東吾の一粒種、千春の襁褓が川風に揺れ、麻生宗太郎の娘花世は、永代の元締め文吾兵衛を「もじゃもじゃ」と呼び女親分気分で走り回っていたのでしょうか?
そんな情景が浮かびます大川です。
日本橋店中古売場 田口由明
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