修理人たぐちの徒然日記コラム・ギャラリー
2008.12.18
当初、設計は小西六に委託され内田康夫氏が担当し、コパルコーオンで製造されたが、1981年にマミヤ光機に変更され、不幸にも1984年倒産し、1986年に製造が中止された。 特に写真家の荒木経惟が愛用したことがよく知られている。
中途開きの裏蓋ですから赤丸の軸ネジを外します。
うっかりしますと完全開閉の裏蓋に也得ます。
何時も乍らモルトの加水分解には閉口しますな~
中盤カメラ故、モルトの使用量も半端ではありませんから、取り除くのが大変です。
健康的な見知からシンナーを使えば簡単なのですが、頭痛を引き起こします。
モルトを交換しました裏蓋を見て、同僚が綺麗だね!あれ~切り貼りではないね!と感嘆の声を上げますが、小生が切り貼り仕事では沽券に関わります。
一体切り出しで美を追究します。
ファインダー清掃は、電気基板を避けながらの作業です。
対物レンズやプリズムは匠の技を駆使して清掃をします。
露出計が働かないのは電池室の接片の溶着が剥がれたのに起因する。
常に負荷が掛かるのに溶着仕様は考え物である。この安易な仕様は、他でも多々見られるのである。
補修部品の手当が無理のようでドリルで穴を開けネジ止めにした。
情熱を注いだ土井君雄氏の店も、設計を担当した小西六も、再製造したマミヤ光機も表 舞台からの幕を下ろしていきました。
時代の遍歴は非情であり、身に包まされる思いです。
日本橋店中古売場 田口由明
あなたの大切なお写真の現像・保存・プリントは写真専門店カメラのキタムラにおまかせください。