修理人たぐちの徒然日記コラム・ギャラリー
2010.09.30
目覚ましで5時30分におこされますと、強い雨音がします。雨天決行ですから急いで着替え駅に向かいます。何時もなら白河夜船ですね。早い時間に関わらず多くの人々が活動を始めています。座席に座っている方の多くが、鼻提灯ですがね。。。
蕎麦友と待ち合わせて中央道に入ります。雨模様なのに交通量は多い。石川PA付近に渋滞有りの表示がされています。間に合うか8時の待ち合わせに。
第一会場の下川乗自治会館をお借りして十割り蕎麦を提供しました。
朝の降雨の為か?出足が今一つ。複数のメディアに取り上げられまして昼頃には行列が出来ました。
対岸にあります第二会場のキャンベルロッジを望みます。
此方の会場では茶蕎麦を味わうことが出来ます。茶蕎麦大王は、第一会場担当で腕を振るう事が出来ませんでクシュンです。
今年の猛暑は彼岸花の開花にも影響を及ぼしたようで、埼玉県 日高町 の巾着田の開化も一週間遅れだとか。。。彼岸に間に合わずとなりました。
檜原村 下川乗地区の道端で見つけました。
第一会場と第二会場を結ぶ近道に庚申塔がありました。文政3年(1820年)と刻まれており、庚申(かなえ・さる)は、暦の上では60日に一度回ってきます。
加齢が進みまして指を削がないよう眼鏡を掛けましての空中葱切り奉行です。
包丁は研ぎ澄まされ、あぶね~ぇ。あぶね~ぇ。
集中して、良くもま~ぁ、10束も切ったものです。
一度に切った訳ではありませんが、葱ね~ぞ。と言われば、ヨッシャ・ヨッシャでした。
地元のお手伝い頂きました方が、俎板は要らないのだ!と目をパチクリしておりました。
蕎麦粉は、秋田産と会津産のブレンド。後で聞いたところによりますと気むずかしい蕎麦粉だったようです。開店までに時間がありません。
加水に気を付けながら1Kgを打ち上げました。試し茹でを致し、長さは十分。
腰も良しで、他の打ち手に任せることにしました。
この後は、受付を補助しながら、釜場へ注文を通し、配膳係と何役もこなさなければなりませんでした。
第一会場から、もう一登りしますと蕎麦祭りに合わせたように純白の花が訪れた方の目を楽しませました蕎麦畑です。
明日に備えキャンベルロッジに泊まることになりました。気持ちの高ぶりか?明日の手筈を思い巡らせ目が覚めてしまいました。外に出ますと17夜の立待月がススキを照らしています。
「17日のこの月は、日暮れから一刻ほど、出を待つ。いまかいまかと立って待つところから、そう呼ばれるようになった名月です。」(風野真知雄著・大江戸定年組3・立待の月より)間もなく小生も平成定年組になります。(現在はオマケです)
降りた露がススキの穂を伝わり先端に真珠の花を咲かせています。
吐く息は白く、身震いする気温でした。お客さんが沢山来てくれるかな~ぁ。
朝から良い天気になり、開店前からお客様が見えました。
東京( 檜原村も東京都ですが)から見えたとの事。帰りのバスが1時過ぎ迄ありません。
お困りでしょう!第二会場と駐車場との間に送迎バスがあります。帰りのお客様に同乗出来ないか?係員に相談下さいと話した所、何処で話が食い違ったか?蕎麦友に田口が送ってくれると話されたようです。気の良い蕎麦友は疑問符のまま村役場まで送迎したと叱られてしまいました。
檜原村村長さんもスタッフと共に来店頂き、オカリナを持つ手を蕎麦猪口に替え十割り蕎麦に舌鼓を打っておりました。此処で、一曲があれば盛り上がったと思います。
今回の檜原蕎麦祭りに協力頂きました下川乗地区の皆様・藤倉地区の皆様・観光協会の方々の協力がありまして盛況の内に幕を下ろしました。お疲れ様でした。
一日目は332名。2日目は486名。818食の新蕎麦がお腹に収まったと蕎麦友より報告がありました。
来年も開催して欲しいとの要望が多く寄せられ、村とも相談を致し、地域起こしの定着に繋がるよう「たかさご会」として協力を致したいと考えます。
日本橋店 田口由明
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