修理人たぐちの徒然日記コラム・ギャラリー
2010.10.12
1954年に発売され民族精密企業に衝撃を与えたライカM3。1958年発売のアイレス35IIICは、外観の姿は兎も角、吊り金具の形状も仏耳とM3の意匠を真似たように見えるが、実は、仏教国日本の仏様の耳を真似たのだろうと思う。
(こじつけの感があります~なぁ)
擬皮は経年変化で硬化している。前板を外す訳にはいかない。では、搦め手よりから攻め落とすかとなる。シャターを固定している座金は控え目で谷深き座金に届く工具を持ち合わせない。何とかならないか?と、閃いたのが手作り工具の応用だった。元々、ニコンFM・FE系のアイピース枠変形を修正する工具であった。
使用していない手元側に瞬間接着剤を塗りゴム板を張り付けた。後は後玉の径に合うように余分な部分を丸く切り抜いて俄工具の完成である。
お陰で後玉群が外せ、座金を外すことが出来た。
シャター裏側にシャター位置固定ネジが無い。それ故、シャターを組み込む際にセット環とレリーズ環の位置関係を修正しながら座金を締め付けなければならない。
セット環は、最終的に巻き上げレバーからの動作が小さな歯車によるので無理な扱いをすると損傷に繋がってしまう。両者の組み込み位置を示す赤い印が付いていた。
印は、何度か修理をされた物と思うので、製造時の印か?修理者が付けた印か?今となっては分からないのである。
前玉群を外す。絞り値環押さえはおざなりに薄板で押さえている。前玉群を取り付ければ大きな障害にならないだろう!!と、考えた簡易な仕様である。
それに引き替え、底蓋はしっかりした作りであるのが面白い。
余りに底蓋にお金を回しすぎたのか?とも思う。
秒時環押さえネジを外す。組み込みの際、ワシャーの入れ忘れに注意が必要です。
後で、ワシャー知らんでは済まされない。
シャターはセイコーMXLと良い仕事をしているのを搭載している。
又、二眼レフに優秀なニッコールレンズを搭載した機種もあったりする。
シャター機構部は分解・洗浄後。新たに油分を補充して組み立てる。
動作音は。感謝の気持ちを表す良い音がする。
確たる企業理念を持つ企業の製品は、時を経ても道具として蘇る。
距離計上下調整に摺動レンズを使用している。
1960年(昭和35年)に工場が火災に遭い事業継続不能になる。
小生の入社(旧カメラのきむら)は1996年(昭和41年)であり、残務整理の事務所が新宿職安通りに面した場所にあったのを覚えている。時々、部品を戴きに通いました。
そして、使われなくなりましたファインダーコリメター(無限合致測定器)を譲って貰ったのですが、とてつもなく重い鉄製の筒でありまして、部内では大砲と呼んでいました。大砲は、ままっ子でありました修理部が幾多の引越をする度に総出で担ぎ、運び出しました思い出でもあります。
日本橋店 田口由明
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