写真おもしろヒストリー[19]
レンズ物語 後編 レンズは学問と技術の集大成

 暗箱写真は古代から知られており、レオナルド・ダ・ビンチが「暗くした部屋に小さな穴を開けて、そこから入った光が反対側の壁に映り、ぼんやり像を形成する」と記しています。16世紀になると穴の代わりにレンズが使われるようになり、明確な像が得られるようになって、画家がキャンバス上に輪郭を描くのに利用されています。

 そのレンズはメニスカスレンズと呼ばれ、現在の読書用虫眼鏡のようなものでした。メニスカスとはギリシャ語で小さい月、三日月型の断面を意味します。写真術の発明者ニエプスが使用したレンズもメニスカスではないかといわれていますが、記述がありませんので、推定の域を出ません。しかし、その後のレンズの推移から考えて、ほぼ間違いのないところでしょう。

 まもなくパリのシュバリエ技師がニエプスに2枚構成の色消しレンズを提供しています。この2枚構成のレンズは色のニジミ(色収差)を抑えるように設計されたもので、この色収差が補正できるようになって、写真の写りが飛躍的に向上し、その後の写真用レンズに重要な役割を果たしました。

 色収差の補正方法は凸レンズと凹レンズの組み合わせでできていました。これらのレンズは、いずれも経験の中から生まれたもので、やがてこれをガウスが1840年頃に理論的、数学的に捉えました。

 新しいレンズを造るとなるとガラスの選定からしなければなりませんが、このガラスの選定で大活躍したのがカールツァイスのレンズ製造技術者アッペで、レンズ設計のためのアッペ数を確立しました。これはガラスチャートで、このチャートを設計者が見ると、新しく設計するレンズの特徴を把握できるというものです。

写真技術の発明者ニエプスが使用したと思われるメニスカスレンズ。
凸レンズと凹レンズの組み合わせで、色収差の補正が可能になる。

 さらにコダック社がレンズの使用枚数を減らす高屈折率のガラスを開発するなど、レンズの進化は多くの時間と才能を費やして、ゆっくりと進んでいきました。そして成型が容易なプラスチックによるレンズの開発、さらには非球形レンズの完成へと進みます。

 アッペのおかげで簡単になったとはいえ、新しいレンズの設計には1930年以前は数人が1年がかりで膨大な計算をしなければなりませんでした。この間、天文学的な計算が続けられていたわけですが、コンピュータの発達によってレンズの開発の現場は飛躍的に改良されます。特に非球面レンズはコンピュータの開発なしでは応用が難しかったといわれており、コンピュータとレンズは切っても切れない間柄となりました。

 このように、レンズは数学、科学、化学、生産技術など、あらゆる学問と技術が、その可能性を追い求め続けて、今日に至っているのです。