バルナックは写真好きでウエッツラーの町の近郊を当時は普通のカメラであった蛇腹式の大きなカメラで撮影して歩いたが、もっと小型で軽量なカメラを欲していた。
当時のライツ社は映画撮影機の開発もしていた。その映画撮影機というのは長いフィルムを入れるのだから、露出のチエックが出来ない。というのは当時はまだ電気露出計もなかった時代である。さて、どうやって露出を決定するのかでバルナックは考え、35ミリの映画用フィルムをごく短く装填できる超小型カメラを製作した。
画面サイズは映画の標準の18×4ミリに対してその倍の大きさ、24×36ミリだった。これが後年、ライカ判と呼ばれたサイズの誕生であった。
これで撮影をし、すぐテスト現像をして結果を見るというのである。今にして思えばなんと気の長いことよ、と呆れるばかりだけど、これはライト兄弟が空を飛んだ前後の話である。
バルナックはそのホームメイドカメラをポケットに入れて、たまたまウエッツラーの町で起きた災害、つまり町を流れるラーン川が大水になったのを撮影した。これは世界最初の小型カメラによる報道写真であった。その写真は今でもソルムスのライカ本社に保管されている。 |