●三好先生はテーマに沿って作品づくりを続けられているように思いますが。
私には「楽園」という大きなテーマがあります。楽園というのは私にとって、きれいなもの、きれいな所なんです。もちろん、そこには現実があるのですが、写真はその現実から私の楽園を抽出してくれます。もっとも、ただきれいなだけではいけません。一枚の写真からストーリーが読みとれなければならないと思うのです。それは表現の深さということではないかと思います。
そうした表現の深さを追求することは、最近の優れたカメラやフィルムを使えば、誰でもできるのです。俳句を詠むように、気持ちを表現できます。ですから私は、写真は科学的な俳句だと思うのです。
●これは今回の春の花フォトコンテストに応募される方々へのアドバイスともなると思うのですが、風景写真のオリジナリティをどのように表現してゆくのか、そのことについて三好先生のお考えをうかがいたいと思います。
これは普段からの感性の磨き方にかかっていると思います。誰でも好き嫌いに個人差があります。自分は何が一番好きなのか。なんで好きなのか。それを追求してゆくことで、自分なりのものの見方が生まれてくると思います。
同じ場所に行っても、同じ桜を撮っても、撮る人によって作品は違ってきます。コンテストの審査でそれを一堂に並べてみると、そのことがよくわかります。毎年、有名な桜は多くの方が作品を送られてくるのですが、上手、下手というだけではなく、応募された方たちの一人一人の個性を見ることができます。
ですから、コンテストで上位入賞を望んでいられるのでしたら、撮影の技術はもちろんですが、その技術と個性のバランスが大事になります。撮影する際に自分の気持ちを高めてゆく、その高め方のプロセスや、何に感動するかは一人一人で違います。それが同じ場所で撮っても、時間や立つ位置、レンズやフィルムの選び方にも反映して違った作品となっていると思うのです。
そうした一人一人の個性の違いを普段から大事にしてもらいたい。写真を見るばかりではなく、絵画を見たり、俳句をたしなむのもいいと思うのです。私は以前は撮影する時に浮世絵を参考にしたことがありました。歌舞伎や文楽からもアイデアやヒントを得てきました。音楽もよく聴きます。これは記憶を作る作業なのです。
桜を撮るにしても、ただシャッターを切るだけではいい作品にはなりません。自分の記憶と照らし合わせて作品を作っているように思うのです。ですから日頃から自分の記憶を作る。自分の好きなものをさがし、その好きなものの記憶をためてゆくことが大事なことではないかと思います。
ですから、今回の春の花フォトコンテストでも、そうした一人一人の個性の違いを見せてほしいですね。葉の一枚、花の一輪であっても作品は成り立ちます。桜にしても、たとえば散ってしまった桜でもいいと思うのです。有名な桜でなくてもいいのです。撮影者の心の表現、気持ちの表現であってほしい。そこに一人一人の個性を表現してほしい。皆さんの気持ちを表現してもらいたいですね。「懐かしさ」や「ほのぼの」など、キーワードはたくさんあると思います。
|