被写体の時代からルックの時代へ。写真の救世主になるか?ルックについて理解しよう!

ルックとは
「このフィルムはアグファだから君の魂まで写るよ」
ゴダールの映画「小さな兵隊」に出てくるセリフです。60年代のフィルムの性能やメーカーごとの勢力図を体験できていないので断言できませんが、アグファのフィルムがコダックやイルフォードと比べて圧倒的に性能が良く、「魂が写る」ほど特別だったはずがありません。でも超かっこいいので、こんなこと言ってみたい。
このカメラは4000万画素だから君の毛穴まで写るよ、なんて言ったらモデルやってくれないでしょうね。
ここで写真を見比べてみてください。
この三枚にある違い———フィルムを変えたときに変わるものを「ルック」と言います。被写体も撮り方もまったく同じなのにイチゴの見え方が違うはずです。他の言葉に置き換えることが難しいので、ルックという言葉が一般的になってくれると楽になります。
映画ではずっと前から使われている言葉ですが、写真で使われるようになったのはデジタル以降の、わりに最近のこと。誰かの写真展を見に行って感想を聞かれたとき、「ルックがいいですね」と言っても通用しないことがあるでしょう。
写真を見たとき、どこまでがルックで、どこからはそれ以外かを分けて考えるのは難しいです。料理を食べて、調味料なのか素材から出た味なのかを区別するのは難しい。上の三枚のように同じものを撮っていれば比較しやすいですが、実際には被写体が違い、撮り方も違います。
とりあえず、色合い、明るさ、色や濃度のコントラスト、シャープさ、など見た目に影響を与えるものを全てまとめたものだと思ってください。
ルックは、フィルムだと選択肢が少なく、現像処理を含めてもできることが少なかったのですが、デジタルになって爆発的に自由度が増しました。ラボ(現像所)や写真店に任せるしかなかったのが、撮影者が自分でコントロールできるようになったのが大きいです。
富士フイルムX/GFXシリーズのフィルムシミュレーション、リコーGRのイメージコントロール、ライカのLeica LUX、ソニーのクリエイティブルックなど、どこのメーカーもルックには力を入れて充実させようとしていて、機種選びの決め手になるほど。
今回はルックへの注目が高まってきた背景と、その効果について考察してみます。
被写体選び、ピントや構図の重要性に比べて語られることが少なかったため、理解しづらいと感じる人がいるかもしれませんから、いくつかの例を挙げて書いていきます。
すでに使い分けを楽しんでいる人にとってはまどろっこしいかもしれませんが、頭を整理するためにも、「なるほど!」と思えるところがあるはずですから最後まで読んでみてください。


「見る」から「読む」、「食べる」から「味わう」
ルックをここまで意識できるようになった理由のひとつとして、写真を見る環境の変化があるのではないかと思っています。
写真の黄金期を支えたのは雑誌などの印刷で、有名なドアノーの「パリ市庁舎前のキス」もロバート・キャパの「崩れ落ちる兵士」も、雑誌で発表されて世界に届けられました。人々は雑誌で絶景や美男美女を見て、訪れることができない場所のことを知り、出会うことのできない人に憧れを抱いていたわけです。
ページをめくるという動きとリズム、紙の感触は、今でも写真とすごく相性が良いのですが、印刷は画質に関して言えばとてもロスが大きく不安定です。
ところが今では各人が高精細で輝度の高いモニターを持っています。スマホで完結してしまうとサイズが小さい問題は残りますが、再現できる色の領域と正確さはケタ違い。
これはラジカセで音楽を聴くのが一般的だった時代から、スマホとイヤホンで音楽を聴くのが一般的になった変化に似ています。視聴環境が整えば、わずかな違いにこだわることができますし、その違いを楽しむようになってきます。
音楽は、歌詞やリズム、メロディを楽しむものから、次第に音色(曲調や音作り)を楽しむものへと変わってきました。以前からスティーリー・ダンやピンク・フロイドのように音がいいほど理解が深まる音楽はありましたが、その傾向が強くなりアーティストの個性がそこに現れるようになりました。
写真にも同じ傾向があって、ソウル・ライターなどは「何を撮るか」よりも「どう撮るか」が重要視されている作家です。あの写真を見て「昔のニューヨークに行って写真を撮りたい」と思う人がいないのに、あんなふうになるエフェクトが欲しいという人が多いのは、後者のほうが楽なことだけが理由ではないはずです。
若い世代にオールドコンデジが人気だとか、フィルムルックという言葉(できればフィルムルックと言いたい)で注目されているものは、被写体のことではありません。
動画で爆発的な情報が伝わってきて、何を見ても既視感がある時代に、被写体の凄さを競うことに意味を感じなくなっていることも要因でしょう。
栄養があるか、お腹いっぱいになるかで食べ物を選んでいた時代から、素材に注目が移り、味にこだわるように変化しました。
念のため書き加えておきますが、昔の写真より今のほうがすごいと言っているわけではありません。想像力を味方にしていた分だけ、昔のほうが写真の力は大きかったと思いますし、音楽や映画もそうです。穿った見方をすれば、被写体の魅力が減って画像が平坦になりがちだからルックに可能性を求めるようになったのかもしれないです。
ルックは被写体より重要だと言っているのではなく、料理において味付けや調理が素材より大事だと言いたいのでもありません。むしろ逆で、そのために「食べてしまえば同じだよ」という考えを変えたいと思っています。
ルックの効果と役割
これまでルックの説明をするのにいろんな例えを使ってきました。服を着替えるだけで相手に与える印象が変わることを話すと、「服には興味ないし、選ぶの面倒だから」と言われたりして、最近はフォントに似ていると説明します。書いてあることは一文字も違わないのに、印象が変わり、伝わり方が全く違います。私たちは違いをきちんと読み取ることができるんですね。
四軒のイチゴ農家が並んでいて、次の文字しかヒントがなかったらどこで買いますか?

1は手作業で丁寧に収穫していて、2はすごく清潔な感じで、3は老舗で無農薬な雰囲気があり、4は若い人たちが経営しているように思えます。もちろん受け止め方はそれぞれ違うはずです。ぼくだったらイチゴを買うなら3で、併設されているカフェでゆっくりするなら4を選びますが、皆さんはどうでしょう?
このフォントに似た役割をするのが映像におけるルックです。フォントなんて写真と関係ないじゃないかという人のために、同じカフェの写真をルックだけ変えました。違う店みたいで印象はまるで違いますよね。もしも店の雰囲気が好きで写真を撮ったなら、この違いにこだわりたいところ。
1と3の違いを現代の環境ならはっきり見分けることができます。そこにこだわっていく意味が生まれたわけです。そして窓やテーブルの形ではなく、この店に自分がいたときに感じていたものこそが写真で撮りたいものへと変化してきました。現代の写真の特徴です。
被写体の時代からルックの時代へ
いま「印象派の発明(西岡 文彦:著 勁草書房)」という本を読んでます。写真が発明されたとき絵画は死んだとまで言われ、当時の主流だった「ありのままに美しく描く」ことに意味がなくなり、それを予見した画家たちが「これから絵画が扱うべきは印象だ」ということで荒々しい筆のタッチを使った印象派が生まれたとされています。
それは発明であり、戦略のようなものだった、という切り口がこの本の特徴です。
写真は絵画から写実の役割を受け取ったわけですが、動画がこれだけ一般的になり、今後はAIが生成する画像が急速に増えていくでしょうし、簡単に撮れるということならスマートフォン(以下スマホ)があります。「わざわざカメラを買って写真を撮る」目的が昔と同じはずはありません。
とくに若い人の写真を見ていると、被写体が何かということよりも、それをどんな気持ちで見ていたか、写真に撮れないとされている匂いや温度などを撮りたいと思っているように感じます。自分がそこにいた証だから。

昔の写真テクニックだと「色温度を高くすることで寒さを表現した」になりますが、シャドウの諧調やシャープネスも調整していて、左右でアクセントになっている赤の色合いも偶然ではないので、「冬のヨーロッパに相応しいルックを選んだ」が今の考えかた。
高画質の使い道
カメラが進化するたび「画質がすごくなった!」と言いますが、もっと高画質になったらいいのに!と心から願うことはあるでしょうか? もうそろそろ十分だと思わないですか?
坂本龍一さんと細野晴臣さんが対談していて、坂本さんが最新のレコーディング技術について話して、いわゆるハイレゾのような高ビットレートのすごさを説明しました。音にリアリティがあってロスが少ない。それに対して細野さんは、自然界のものを扱うなら情報はあるほどいいけれどポップスにそれが必要かってことだよね、と答えていました。
風景写真やネイチャーなどは、写真にリアリティと臨場感を求めるのだと思います。そうなると高画質なほどいいでしょう。またオーディオに置き換えますが、川の音だとわかるぐらいの音質と、そこに川が流れていると錯覚するほどの音質と、その違いに徹底的にこだわる必要があるから。
スナップはどうでしょう? 先ほどの細野晴臣さんの言葉にあるポップスみたいなもので、日常にある何気ないものを撮るのに高画質のメリットはあるでしょうか。
情報を伝えるだけならスマホで十分、それどころかスマホが最強かもしれません。昼に食べたものを記録するとか、メモがわりに時刻表を撮るとか、みんなスマホでいいです。逆光だろうが片手だろうがじゃんじゃん撮れる。
けれども料理を撮るとき、美味しかったかどうか、お店の雰囲気がどうだったか、サラダはどれだけ新鮮で・・・といったことを残すには高画質なほどいいです。そこで重要な役割を果たすのがルックで、画質がいいほど繊細な違いにこだわれるようになります。

SOOCでなければ認めない?
もうひとつ大切なことがありました。SOOCという言葉は知ってるでしょうか?
Straight Out Of Cameraの頭文字をとったもので「撮って出し」を意味するようです。よく海外のインスタへのコメントに「SOOC?」と書いてありますね。
世界的に問題になったのはドキュメンタリーのジャンルからで、後処理をした写真を認めていいのか、でもフィルムの時代だってトリミングや覆い焼き&焼き込みなどあったじゃないか、と議論が起きました。
いま複数のメーカーが共同で、この写真は撮って出しで手を加えてませんという証が残せるように、いろいろ話し合っている段階のはずです。
AIの時代がやってきて、加工や修正どころか存在しなかったものまで映像化できるようになり、写真が本来持っていた「これは実在したものですよ」ということから生まれる力が揺らぎかけていて、それを守ろうとする動きなのだと思います。写真の価値や本質を問われる問題です。
ポストプロダクション(後処理)であるRAW現像はSOOCとして認められませんが、かなり効果の強いルックでも撮影と同時だったらSOOCです。この違いは今はまだ些細ですけれど、重要視されていくでしょう。

いくらか駆け足で、回り道をしながらですが、ルックが注目されるようになった背景と、その役割と効果について書きました。興味が湧いたでしょうか?
面倒だと思ったら初期設定のまま撮るか、メーカーが取扱説明書に書いているような「風景はビビッドがおすすめ」といったことを参考にするところから始めることをお勧めします。
ルックは料理に振りかけたら味が変わる魔法のスパイスみたいなものではありません。被写体なんてなんだっていい、かっこいいルックがあればそれっぽく見えるじゃないか、という風潮になって欲しくないです。
ついでに書くと、映画で流行になっているティール&オレンジは暗黒の時代をもたらしたルックだと一部で批判されています。印象が強くて便利なので、みんな似たようなルックになってしまい、シーンごとに適切なルックを選ぶ意味を見失ったというのですね。映画や動画にとってのキャンバスは時間であって、写真で同じような考えをすることにリスクもあります。
それを理解した上でルックを意識して、最適なものを選ぶようにすると、写真で伝えられることが飛躍的に増えます。写真に感情や個性を乗っけることができるため、見るだけでなく「読む楽しみ」も広がります。
この記事を読んで興味を持ってくださった人が多くいたら、ルックに関する使いこなしの実践や、メーカーごとの違いなどを紹介してみたいです。

■写真家:内田ユキオ
新潟県両津市(現在の佐渡市)生まれ。公務員を経てフリー写真家に。広告写真、タレントやミュージシャンの撮影を経て、映画や文学、音楽から強い影響を受ける。市井の人々や海外の都市のスナップに定評がある。執筆も手がけ、カメラ雑誌や新聞に寄稿。主な著書に「ライカとモノクロの日々」「いつもカメラが」など。自称「最後の文系写真家」であり公称「最初の筋肉写真家」。
富士フイルム公認 X-Photographer・リコー公認 GRist