ルック戦国時代のトップランナー、フィルムシミュレーションに魅了された15年間を振り返る

カメラ選びの決め手 ルックは戦国時代に
富士フイルムのフィルムシミュレーションは20周年になるそうです。X/GFXシリーズに搭載されて身近なものになり、それが人気になって「フィルムっぽい絵作りが好きだから富士フイルムのカメラを使っている」という人はすごく多くなりました。
“時代を築いた”とまでは言いませんが、フィルムルック*という流行や、RAW現像ではなくカメラでルックを変えて撮ることを先導したと思います。
*ルックという言葉に馴染みがなかったら前回の記事を先に読んでみてください。
フィルムの会社だからフィルムらしさを追求しているというよりも、「フィルムには写真の魅力が凝縮されている」と考え、それを大切にして、失われてしまわないようにデジタル環境に継承していこうとしているのだと思います。
クラシカルなデザイン、ファインダーやシャッター音へのこだわり、アナログな操作系にも表れています。それが形にできたのは、フィルムに携わってきた歴史で得たノウハウとデータの蓄積———写真の遺産と言い換えていいものがあったから。
20年前には「デジタルカメラなんて、この世界からなくなってしまえばいいのに」と心から思っていたので、フィルムシミュレーションが誕生したときのことを知りません。それでも私は初代X100が名前もまだ決まっていない開発段階から関わっていたので、フィルムからフィルムシミュレーションへと移行していく時期と、それがどう成長していったかを近いところから見続け、一度も離れることなく愛用してきました。
たぶんX-Aシリーズ以外のすべての機種、XFレンズの全てで、写真を撮ったことがあるはずです。
X100が生まれる直前の2010年から2025年までの15年を振り返って、とくに新しいフィルムシミュレーションが搭載されたときの驚きを中心に、いかに特別だったかを検証し考察してみます。
フィルムシミュレーション前夜
X100が生まれる直前、2010年には3台のデジタルカメラを持っていました。そのときの写真を見ながら移行期の写真がどんなだったか振り返ってみます。
カメラ1
ディスることが目的ではないので機種名は記しませんが、当時のデジタルカメラが抱えていた弱点がよくわかります。
左の写真は空の色が実際のものとはほど遠く、雲との繋がりが悪いためそこだけ浮いて見える。
右の写真を見ると階調がデザインされていないため、どの露出で撮ったら主役(シャドウ部にあるドレス)が際立ち、写真が魅力的になるのかがわからない。
これだとRAW現像をして色を整え、部分的に明るさを変えることは必須。
カメラ2
当時としたら画期的にフィルムっぽくて、これを愛用するためにどんなレンズを揃えて、どう撮影スタイルを変えていこうかと迷ったくらい。
現在のデジタルカメラは富士フイルムのプロビア的なものがスタンダードになりつつありますが、どちらかといえばコダック的というのか、クラシッククロームに似たルックで魅力を感じる。
色のバランスがやや不自然なのと、この肌の描写だと仕事で使うのは難しいので、これもRAW現像で整える練習を始めていた。
カメラ3
色が定位されていなくて、すべての色が偏って見える。
けれども不思議なもので、立体感というのか、奥行きや空気感はこれがいちばん感じられて、色だけが全てではないという視点を与えてくれた。
数字に表せる解像度はこれがいちばん低いのに、拡大してみたとき隅々まで解像されているのはこれが唯一無二。
FinePix X100
好きになったのは、絵作りよりも、どこにでも持っていけるサイズ感とデザインが理由だったかもしれない。あとはファインダーを覗いて撮れる喜びと、シャッター音によるリズムの心地よさ。
いま見ると色に不自然さを見出すことはできるけれど、「いい写真が撮れた」という手応えが何よりも大切で、信じられるものだった。
極端に彩度が高い被写体でも色が不自然にならず、階調がしっかりあってシャドウ域が豊かなのにも驚いた。なんという透明感!
フィルムシミュレーションとの出会い
デジタルカメラに望むこととして、自然な色再現や軟らかな階調といったこと以上に、フィルムで身に付けてきた感覚で写真を撮っていけるのかがポイントでした。写真に撮りたくなるようなもの———美しい光、滑らかな肌、萌ゆる新緑、鮮やかな色の花、夕日のグラデーションなどがデジタルで表現するのが難しい。
そこでフィルムシミュレーションに出会い、「使い慣れたプロビアがここにある!」と思ったのは大袈裟ではありません。しかもシャッターごとにフィルムを変えられ、フィルターも使わずホワイトバランスを調整できる。
何より嬉しかったのは蛍光灯やタングステン光に自然にかぶってくれて、微妙なグラデーションが生まれ、露出補正に対応してハイライトが明るくなっていく変化が自然であること。つまり「すごく写真的」。
光のフチをぎりぎりのシャドウで拾う、色を抜けかけのハイライトに乗せる、そういう表現もできそうです。そうか、これはフィルムで撮ったら世界はどう見えるかを“シミュレーション”したものだ!と気づきました。

以前のほうがシャドウが軟らかくて好きだった、という声をたまに聞きます。確かにそうかもしれませんが、この頃はそのままのデータを印刷に出すと「黒が締まって見えない」と不評でした。それより複数の光が混じっているのにどれも美しいことに感心します。

最近のレンズは解像感が高くシャープなので、これはこれで魅力ありますね。固定式のレンズを交換レンズに作り替えることが可能なら、X100生誕20周年記念とかで、このレンズを発売してもらいたいです。

プロビアを変換したモノクロモードなので、アクロスに慣れた目で見ると物足りませんが、ここに並べた三枚を同じカメラで撮れて、フィルムシミュレーションを切り替えるだけで一枚ごとにルックが替えられる可能性に心躍りました。

これは台湾。彩度が高く印象が強くなるベルビアに対して地味で個性がわかりづらいとされるアスティア。彩度はけっこう高いのに色飽和しづらく、諧調が軟らかいので、こういう被写体でも破綻しません。
第一世代がここから
Xシリーズに限ったことではありませんがローパスレスの波がやってきます。X-Trans CMOSセンサーが搭載され、これが第一世代の始まり。X100Sで撮ったベルビアの写真をここに。
デジタルで表現しづらいとされるグリーンと、鮮やかなマゼンタの対比が美しく、すごい透明感があります。

ネガとポジをデジタルで撮り分ける?
RICOH GRのイメージコントロールにネガフィルム調が搭載されたとき「フジのクラシッククロームみたい」という声を聞きました。彩度が低めでややコントラストが高いところは似ていると感じたかもしれませんが、クラシッククロームは名前にクロームと付いていることからわかるようにポジフィルムをシミュレーションしています。
Xシリーズにネガフィルム系のフィルムシミュレーションが搭載されたのはX-Pro1からで、初めて見たときは驚きました。プロビアが鮮やかになるとベルビア、軟らかくなるとアスティアというのはなんとなく理解できます。そう単純ではないでしょうが、彩度とトーンカーブが頭に浮かぶからです。
でもネガフィルムの印象=プリント。透過光で見るポジフィルムとモニターは似たところがあるとして、紙を見ていたネガをどう再現しているのか?
それだけでなくコントラストの高いHとリニアで軟らかいSがあり、光線状態や表現に合わせて選択できるようになっています。遊びとしての機能ではなく、プロが仕事に使えるレベルで仕上げてあることが伝わる。
フィルムシミュレーションはいわゆるエフェクトとは一線を画していて「破綻しづらい」ことと「汎用性が高い」ことにこだわっているようです。それは最も新しい20番目のリアラエースまで一貫しています。
プロネガを本格的に使ったのは2012年の暮れにパリとロンドンを旅したとき。旅先にパソコンを持っていかなかったためX-Pro1の背面モニターで確認しただけでも「これはヤバい」と思いました。写真の質感とでも言えばいいのか、画像データなのに手触りのようなものがあるのに感心するとともに、ポジフィルムとネガフィルムのニュアンスの違いをどう撮り分けていくか考えるとワクワクしました。
フィルムの場合、ポジよりもネガのほうがプリントのプロセスがある分だけ調整の幅が大きく、色調などに個性を出しやすい傾向があります。その代表格である90年代後半あたりのファッション写真の雰囲気が好きで、スナップ写真に取り入れることができないだろうかと考えていたため、メニューに「カスタム登録」という機能を見つけ、使い始めるようになったのもこの時期でした。
どちらがポジでどちらがネガかわかるでしょうか?
細かく色や諧調を見比べるとかえってわかりづらく、印象を大事に見るほうがキャラクターの違いを感じやすいかもしれません。

データを撮影順に見ていったら、最初にプロネガを使ったのがこの写真のようです、ポジフィルム御三家(PROVIA、Velvia、ASTIA=商品名だから仕方ないですが小文字と大文字が混ざっていて油断できません)に共通するのが「透明感」だとしたら、プロネガの特徴は「まろやかさ」だと思います。

冬の澄んだ空気を表現するためカラーバランスを100Kずつ変えてみて、建物を構成する直線が強調されるようにシャドウを硬く・・・といったカスタム。登録して使い分けるのではなく一枚ずつ調整する感覚でいました。
このときの愛用レンズXF35mmF1.4 Rの挙動が遅いこともあり、AFがキツい、暗いところや動いているものは撮れないと言われていました。他を知らなかっただけかもしれないですけれど、それよりもこの条件で色が破綻しないことのほうがずっと重要だと思っていました。
黒船襲来?クラシッククロームの衝撃!
歴史が苦手なので自信がないですが、日本の伝統的な文化に異国の文化が飛び込んできたような、クラシッククロームには「これまでになかった新しい風」を思わせるムードがありました。
ざっくりした言い方をすると、プロビアからプロネガまでのフィルムシミュレーションはみんな家族的に似たところがあり、色の傾向に関しては共通しています。ところがクラシッククロームは「子どもの頃に洋書で見た外国のようだ」と思わせるもの。

クラシッククロームを最初に使ったのは香港で。爽やかな好青年に「クールで渋い大人な一面」を見たようでした。
香港は色が派手な人工物が多く、それが魅力ではありますが色がうるさく感じることもあります。クラシッククロームで撮ると色に引っ張られすぎることなく落ち着いて見え、ストリートフォトやスナップ、ファッション写真に最高だろうなと思いました。

おまけとして第二世代の頃のベルビアを。ベルビアは彩度が高く、強い色があると飽和しやすく扱いづらいと言って避けている人もいて、この写真でも色かぶりが強くあります。せっかく香港の人とコミュニケーション取れたのに悔しい。
今ではベルビアを常用している人も多くいて、らしさを維持しながら、センサーの違いに対応しつつ、より洗練され扱いやすく進化していることがわかります。
X-Tシリーズに代表される広い用途に対応できるボディと、交換レンズの種類が充実してきたこともあり、世界の写真家たちにXシリーズが注目されるようになったのはこの時期で、クラシッククロームは優秀な翻訳家のような役割を果たしたと思います。
余談ですが「ダイヤル操作とか、ああいうことにこだわるのは日本だけ」とされていたのが、今では世界中に「Xシリーズはアナログ操作でなきゃ嫌だ」というファンがいるのは面白いです。
これまでのフィルムシミュレーションが実在したフィルムをベースにしていたのに対して、クラシッククロームは概念を形にしたのも印象的です。雑誌のページを捲って、紙が擦れる音や手触り、インクの匂いともに記憶されている外国の景色。ぼくの世代にとっては「憧れが写る」フィルムシミュレーションと言ってもいいです。

最後はX100Tで撮ったパリ。「果物を新鮮に撮りたい」というようなとき、プロビアのマゼンタはくすみの原因となる黄色を取り去ってくれるので最適。
桜、青空、夕焼け、新緑、紅葉・・・なるほど万能。

さらに「ここはもっと鮮やかに!」と色に強さを出したかったらベルビアの出番。プロビアが記憶色だとするならベルビアは感動色。ビビッド系のモードは、ネオンなどの人工光だと強すぎて破綻しがちなところをまとめ上げるタフさがフィルムシミュレーションらしさ。効果を優先したエフェクトとの違いがよくわかる。

プロビアやベルビアだと華やかになりすぎて、アンティークの渋さが表現できないと思いクラシッククロームを。これを同じカメラで、JPEG撮って出しで、ボタンひとつで。
ふぅ〜、主役級のフィルムシミュレーションが揃ってきました。HDDから写真をディグっていたら(使い方は合ってるかな)楽しくて、なかなか進みません。これも写真の楽しさで、すべてJPEG撮って出しですからシーンタフネスぶりがわかりますね。フィルムの全盛期でもこれだけのバリエーションを撮り分けることは難しかったと思います。
これでもXシリーズの歴史からするとまだ1/3にも満たないので、いつか続きを。

2013年にこんなに眩い街の夜景を撮れるデジタルカメラはなかったと思います。写真を見たとき、自分がそこに立っていたときの感覚が蘇るようなリアリティと、雑踏の喧騒や空気の肌触りがある。
■写真家:内田ユキオ
新潟県両津市(現在の佐渡市)生まれ。公務員を経てフリー写真家に。広告写真、タレントやミュージシャンの撮影を経て、映画や文学、音楽から強い影響を受ける。市井の人々や海外の都市のスナップに定評がある。執筆も手がけ、カメラ雑誌や新聞に寄稿。主な著書に「ライカとモノクロの日々」「いつもカメラが」など。自称「最後の文系写真家」であり公称「最初の筋肉写真家」。
富士フイルム公認 X-Photographer・リコー公認 GRist