デジタルカメラもフィルムルックの夢を見るか|フィルムシミュレーション考察

はじめに
デジタル黎明期のカメラ雑誌には「どれくらいの画素数ならフィルムと同等になりますか?」という質問があり、1,000万画素以上になれば超えられるはずだと書かれていました。それが2,000万画素になっても超えるどころか近づいていきません。
もちろん画素数が増えて良くなったこともたくさんあります。同じ被写体を撮り比べていないので印象操作みたいでずるいですが、カメラの進化がわかりやすいので2枚の写真を見比べてください。色の豊かさがまるで違います。


今の第五世代になるとさらに豊かな色彩と諧調を表現できるようになっています。
———でも何かが足りていない?
追いつくのではなく越えていく
フィルムシミュレーションと名付けているからには、フィルムのようなルックをデジタルで再現する”フィルムルック”が目標のひとつなのは間違いないでしょう。けれどもある時期から、デジタルにしかできないことを取り入れてフィルムも到達できなかったところに行こうとしているように感じています。
今回は「フィルムなら撮れたのに、デジタルでは撮れなくなったものがある」という前提で、そこに挑んできたフィルムシミュレーションが主役です。2016年にX-Pro2から搭載されたアクロス、2019年にX-Pro3から搭載されたクラシックネガ、2023年にGFX100IIから搭載されたリアラエースを中心に、フィルムシミュレーションの新たなステージを検証していきましょう。
フィルムルックに夢中なのは写真だけでなく映画も
最近の映画では『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』がデジタル撮影して、データをフィルムにプリントして、それをスキャンしてデータ化して編集していました。レンズはヴィンテージのものを解体して、いいとこどりに組み立て直して作ったそう。
そんな面倒なことをするならフィルムで撮ればいいのにと思ってしまいますが、夜の場面が多く浅すぎる被写界深度にしたくなかったようです。エミュレーター(フィルムっぽくするエフェクト)だと粒子やチラつきがリアルではない。映像の手触りとしてフィルムがいいけど撮影はデジタルの利点が多く、編集は絶対にデジタルがいいということでしょう。写真とは違ったアプローチで、映画もフィルムルックに憧れ、それに近づこうとしている人たちがいます。
写真側の立場として嬉しかったのが、そんなにお金と手間をかけて撮った映画でも、ルックの見本にしたのはウィリアム・クラインやソール・ライター、ウィリアム・エグルストンの写真だったこと。ここでもよく映画のネタを書きますが、映画のほうが写真よりすごいというのではなくお互いにリスペクトしていて、あれだけ予算をかけている現場でも、一人の写真家が残した作品を大切にしていることが嬉しくなります。
画像とは言いたくないアクロスの「写真らしさ」
先ほど『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』のところで、粒子を得るためにデジタルデータをフィルムにプリントしたというエピソードを書きました。フィルムルックの象徴といえば粒子。フィルム全盛期に粒子はどちらかといえば嫌われもののノイズであり、新製品が出るたび微粒子になったことをアピールしていたのに。ところが粒子には大事な役割があり、それがあるおかげで質感や立体感、階調がわかりやすくなります。
フィルムシミュレーションに粒子が組み込まれたのがアクロスから。粒子の模様を加えているわけではなくランダムで、ハイライトとシャドウで見え方が違い、さらに感度を上げると荒く(大きく)なっていくフィルムと同じような性格を持たせています。
写真で違いを見てもらいましょう。

これは粒子のない「色のないプロビア」であるモノクロモード。我ながら上手に撮っていてメリハリがないことをうまく誤魔化していますけれど、ガラスと紙の質感の違いもわかりづらいですし、手前の灯りとポスターが同じ平面にあるように見えてしまいますね。ボケを使っているのに奥行きが感じづらいです。


この2枚はアクロスです。拡大するほどピクセルと粒子の違いがわかりますが、そうでなくても立体感や質感、階調の美しさは別次元。パッと見たときの印象が強いですね。コントラストを高くしているだけが理由ではありません。
とくに3枚目のように中間トーンを多く使って撮るとアクロスの良さがわかります。金属が輝いている質感の美しさは見事。シルエットのように見えるところにディテールがあってモノクロならではの深み———音楽でいう余韻や残響があります。

シャドウを硬く締めて重くしたり、逆に軟らかくしてグラデーションを楽しんだり、ハイライトとシャドウを別々にコントロールしたりしてもルックのバランスが崩れないのもアクロスの魅力。フィルムのアクロスは感度が低くて現像液との相性があるなど性能を引き出すためにはデリケートに扱う必要がありましたが、デジタルではタフなルックとなっています。
光が撮れるクラシックネガ
フィルムルックの流行やレトロブームを追い風に、Xシリーズにクラシックネガが搭載されたのがX-Pro3から。街のカメラ店のワゴンに置かれているフィルムで撮った、家庭のアルバムに貼られている写真のようなルックです。エモい、なんか懐かしい、と人気ですが、使い込むうちに新しい可能性を感じるようになりました。
フィルムのラティチュードとデジタルのダイナミックレンジが同じものなのか検討する余地はあるとして、白飛びと黒潰れに怯えてヒストグラムから目を離せなかった時代から進化を続け、今ではデジタルカメラが表現できる明るさの幅はフィルムを超えています。
けれども平坦に見えるため「デジタルは客観的な見え方をする。フィルムは主観的だ」と言われます。人の目に近いのはデジタルのほうだけれど、人の心に近いのはフィルムだということですね。
表現しづらいものとして光があります。例えばこんなシーンに出会ったとき。

自転車でこの森を抜けるとき「奇跡に出会えた」と興奮しました。ポジフィルムがカメラに入っていたら、マイナス補正して撮るだけでドラマティックになるのは間違いありません。GR IIIのポジフィルム調でもこれくらいにしか写りませんでした。
悔しくて家に帰って検証するため、珍しくRAW現像したのがこちら。

デジタルのほうがフィルムより硬い印象があると思いますが、デジタルはフラットでコントラストが足りていないという指摘があります。それを補って光を強調すべくコントラストを高くして、ハイライトにイエロー、シャドウにシアンを加えて色でもコントラストを作り出しました。
RAW現像でフィルムルックを作り出そうとするときのオーソドックスな設定ですが、クラシックネガはこれに似た性格を最初から持っています。

ハイライトがとくに硬く、シャドウがG(グリーン)でハイライトがM(マゼンタ)と色が対比になっているため、デジタル画像の平坦さが感じられません。フィルムシミュレーションは破綻しづらく汎用性が高いことを第一に考えてきたようなところがありましたが、クラシックネガはそうではない。例えばシャドウ域で(暗い場所で)人物を撮ると顔色が極端に悪くなりますし、逆光で使うのは簡単ではありません。誤解を恐れずに言うならスマートフォンの真逆です。
いちばん明るい部分だけを切り出して見ると、データ上は白飛びしているのに嫌な感じがしません。影は重くてちゃんと深さがあるので、強い光が当たっていることが写真から伝わってきます。
もうひとつ写真を見てください。

暗い室内から明るい窓を見ているシチュエーションで、写真の醍醐味なのにデジタルが苦手にしている条件でもあります。露出を測ると6段くらい差があってダイナミックレンジに収めることは可能ですが、そうなると「眩しさ」が表現できません。フィルムはこの領域に粘りがあり、海外の映像作家などはよく「フィルム特有のロールオフ」と言ったりします。
クラシックネガで撮ると、ハイライトの硬さもあって窓のディテールはほとんど残っていませんが、窓の眩しさが写真から感じられると思います。
さてクラシックネガはどんな階調を持っているのか、1/3段ずつ露出を変えて撮り比べてみました。

+1.7〜2.7あたりに「ここを使ったら美味しそう」と思えるところがありますね。
ここを意識的に使ってやるとルックの良さが引き立つと思います。

新時代のエースになるか?リアラエースの地味な凄さ
アクロスやクラシックネガは、こういう写真をデジタルで撮るためのものというイメージがわかりやすいフィルムシミュレーションです。でもリアラエースは見てすぐにわかる特徴がない———目立った特徴がないことこそリアラエースの最大の特徴と言えるかもしれません。
ところでグルメサイトで人気の店に行くと、「美味しいと思うけれど、毎日は食べたくないな」と思うことはないですか? 味がちょっと濃いめです。
地味で派手さはないけれど毎日でも食べられる味というのは、根強いファンはいても印象は弱くなってしまうもの。これはリアラエースに似ているように感じます。
どれかの色だけが強くなってしまったり、階調の繋がりが不自然に見えたり、人工的で違和感があったり、ということがありません。
▼3つのフィルムシミュレーションの違い
この3枚を見比べてどれがいちばん好きかと聞かれたら、真ん中を選ぶ人が多いのではないでしょうか?裏を読んだりしなければ、それが自然だと思います。これがプロビア。色を利用して印象を強くする加減が絶妙。
右はPRO Neg.Stdで滑らかな階調にうっとりしますが、ここまで光が柔らかいと若干コントラストが足りなく感じます。左がリアラエースです。色が素直で、これがいちばん花が背景から浮かび上がっている感じがしませんか?
常用のために作られたフィルムシミュレーションなのでどんなときでも使えますが、例えばこんなシーンはどうでしょう。
古くからの知人に子どもが生まれ、お祝いに行ったとしましょう。「さあ、みんな並んで!写真を撮ろうよ」と声をかけます。どうやら暖色系のLEDと窓から差し込む光のミックス光のようです。
子どもはキャラクターがプリントされた派手な服を着ていて、将来この写真を見直したとき「ほら、あの頃お前が好きで着ていた服だよ」などと言い合って笑ってもらいたい。そのため色はなるべく忠実に撮りたいところ。
プロビアやアスティアは子どもの肌との相性は抜群で、華やかさもあるため喜んでもらえると思いますが、服の色の鮮やかさが目立ちすぎてしまうかもしれません。いいアクセントだと言うには強すぎる。そこでリアラエースの出番です。
背景となっている壁から笑顔が際立ち、部屋の光の雰囲気は残しつつ補正され、主役はあくまで表情で、そこに写っているものが全て調和します。
まだそんな素敵な場面に立ち会えていないので、花たちの饗宴を。
ある研究データによれば五感のうち視覚から得ている情報は8割、そのなかで色は8割だそうです。ということは色の印象に引っ張られてしまいがちということ。デジタルはさらにその傾向が強いように感じます。
リアラエースは、どれかの色だけを過大に評価することなく、構図、ピント、光といった要素と調和させています。

絵づくりと言われることが多いですが、ルックを使い分けてみるとメーカーごとのポリシーのようなものが感じられて楽しいです。カメラ以上に「写真についてどう考えているか」がわかる気がして。
フィルムシミュレーションは、見た目の派手さを追求するのではなく破綻しづらい汎用性を第一に考えているように感じます。頑固な店主に見えるのに、「お好みでどうぞ」と言わんばかりにテーブルに塩と胡椒と酢が置いてある飲食店のようです。なるべく余計な味付けをせず素材を調理して、楽しんで食事をしてもらうことが何よりと考えているような。
日常の中で心が動かされるものに出会って、絞りや露出を変えながら最も美しく見えるところを探し、最適なルックを与え・・・、そうして撮影のプロセスを楽しみながら好きなものと深く関わり、シャッターを切る瞬間にすべてが凝縮されていく。撮影者が望まないならそこで完結。そうして写真として永遠の姿をもって自分のものになる。
いちばんフィルムに似ているのはそこかもしれません。
最後にカスタムへの道
フィルムシミュレーションは破綻がしづらい、つまり誰が、どんなシチュエーションで使っても失敗しづらいように設計されていると思います。他のメーカーのカラーモードだと露出やホワイトバランスをいじったときに「うわっ、しまった」と思うことがありますが、フィルムシミュレーションだと失敗するほうが難しいくらいです。
それぞれの個性を理解して使い分けて、自分の撮り方や好みがはっきりしてきたらカスタムの楽しみがあります。
色に関してはPRO Neg.Std、階調に関してはアクロスから始めるのがわかりやすいと思います。ホワイトバランスは変化が大きい分だけ汎用性が下がることが多いので、設定を変えるときには注意しましょう。

今回はアクロスを取り上げたので、ハワイに行くとき撮りたいイメージがあってカスタムした設定を紹介します。
ノーマルのアクロスでも十分でしたが、これだけ強い逆光でも肌と水着を描き分け、顔も潰れていません。海の輝きも綺麗ですね。順光で使っても、花や空を撮ってもモノクロらしい階調の美しさが感じられて便利なので登録しました。大好きなビーチボーイズの曲から名前をもらっています。
カラーがメインで、モノクロをよく使うなら2番か7番に入れておくと呼び出しやすいのでおすすめです。
■写真家:内田ユキオ
新潟県両津市(現在の佐渡市)生まれ。公務員を経てフリー写真家に。広告写真、タレントやミュージシャンの撮影を経て、映画や文学、音楽から強い影響を受ける。市井の人々や海外の都市のスナップに定評がある。執筆も手がけ、カメラ雑誌や新聞に寄稿。主な著書に「ライカとモノクロの日々」「いつもカメラが」など。自称「最後の文系写真家」であり公称「最初の筋肉写真家」。
富士フイルム公認 X-Photographer・リコー公認 GRist