蘇れ、名機たち 第2回:富士フイルム X-Pro1
はじめに
Xシリーズの歴史は、X100の成功から始まったと考えるか、X-Pro1の挫折から始まったと捉えるかで、まるで違う物語になる。
格言のような、ちょっと刺激的な書き出しにしてみました。X-Pro1が発売された当時のことを思い出して欲しかったからです。まだ愛用している人もいるのに「挫折」と言うのは気が咎めたものの、名機の第二弾に選んでいるわけですから許してください。
第一世代
第五世代という呼び名は独り歩きしつつあるようですが、始まりはもちろん第一世代であって、最初のカメラがX-Pro1です。10年前の2012年のこと。
その前にX100があったのでは?
そう思う人がいても不思議ありません。初代FinePix X100はベイヤーだったため、X-Trans CMOSを積んだX-Pro1からカウントします。
今でもこのセンサーが好きだという人は多いようですね。ローパスレスになって劇的に画質が向上したこと、同じ時代に比べたとき他社と明確に違いがあってインパクトがあったことに加え、ちょっとシアン寄りに色が転ぶことがあり、これ以降のセンサーにない魅力があると主張する人もいます。
リアルタイムで体験しているなら、XF35mmF1.4 Rという素晴らしいレンズと最初に出会ったのがこのセンサーだったわけで、その驚きも大きかったのではないでしょうか。
Proと名付けた意図
カメラの名前にProと付けているのも、いま考えるとすごいです。
MacBookだったら実際にプロの現場で使われるのはProが多いでしょう。サイズはそれほど変わらないのにスペックがまるで違うから。あれは「プロのクリエイターが現場で使っているのと同じスペックをあなたも」というところが魅力。
でもX-Pro1はそうではない。プロの写真家は、撮る楽しみ、うっとりする手触り、見るたびに愛着が湧くデザイン、なんてものを欲しがりません。なんといっても仕事道具なので「求めたことにシンプルに応えてくれるカメラ」を選ぶことが多いです。タフで誤操作が少ないことも必須条件。もちろんプライベートで持つカメラは別です。スナップはプライベートのような気分で真剣に撮るジャンルなのでこれも例外的です。
フィルム時代のプロのカメラは、チューニング(カスタマイズ)されていたものがあったそうで、グリスを抜いて低温でも固まらないようにしていたり、ダイヤルの硬さやレリーズの深さを好みで調整したという話を聞きます。アスリートの道具みたいでかっこいいですが、デジタルカメラは違います。プロも量販店で買ってきたものを箱から出して、そのまま現場で使うわけです。
けれどもProと名付けて世に送り出しました。これは宣言のようで、挑戦的な意味合いを感じずにはいられません。
期待からの戸惑い
ここからX-Pro1が発表された2012年に戻ったつもりで読んでください。
僕はメインカメラを決めかねて迷っていました。どうやらフィルムで仕事を続けていくのは難しい。スナップのときメインで使っていたのはライカですが、デザインやステイタスではなく95%くらい実用性で選んでいたので、うまくデジタルに移行できずにいました。
デジタルカメラを使うメリット———ショットごとに感度や色合いが変えられ、カラーでも光源の色温度を気にせず撮れて、ちゃんと写っているかすぐ確認できること———などを当時のライカ(M9)だと生かしきれない気がしたからです。それだったら最新のデジタル一眼を買っておいて、フィルムでライカを使い続けるほうがいいのではないか。
そこにX-Pro1の発表がありました。ハイブリッドのファインダーが搭載されていて、ライカのようなレンジファインダーならではのフィーリングで撮れて、最新のテクノロジーが入っているデジタルカメラの登場。いちばん好きな50mm相当の35mmが用意され、しかもX100で画質には信頼があります。「これこそ求めていたカメラだ!」
ところがリリースされたとき評価は真っ二つ、いや批判のほうがかなり多かった印象です。
初期XシリーズのウィークポイントだったAFの遅さと、レンジファインダー系カメラのウィークポイントであるパララックスが、よくない相乗効果を生んでいて、すぐに確認できるデジタルの特徴がさらに輪をかけてしまい、「まったく思うように撮れないじゃないか」と不満が湧きました。
レンジファインダーは見たように写らないことが楽しさに繋がります。フィルムなら結果が見られるまでに時間が空くけれど、デジタルだとすぐに確認できるため、こんなにズレちゃうのかとストレスを生むわけです。見たように写ることがデジタルのメリットのはずなのに、見たように写らない。じゃあEVFはどうかといえば、まだこの時代だと遅延があって動体に対応できず、細部のディテールもよく見えません。
期待が高かったせいもあるのでしょう。理想のカメラとはほど遠いと感じました。
X-Pro2にも不便な点はあり、X-Pro3だって不満の声が多くあります。それでもその二機種には熱狂的なファンがいて、「こういうカメラを作ってくれるからXが好きなんだよ」「これだけは他のメーカーにないからね」と口々に言います。
もちろんX-Pro1にもファンがいて、スペック的に時代遅れになってもこのカメラが好きだと今でも使い続けています。クールな印象を受けるX-Pro2に対してデザインに優しさを感じるという人もいます。メーカーもそれに応えようと、ファームウェアの最終更新は2020年。Ver.3.82なんてファームウェアあまり見ないですよね。発売から8年も経って、とっくに製造中止になっているカメラをどれだけ大切にしたかわかります。
10年後から見たX-Pro1の価値
X-Pro1を扱いづらいと感じた僕も、画質には感動しました。全群繰り出しにしてAFの速さより画質を優先した標準レンズXF35mmF1.4 Rや、レンジファインダーのスタイルでもファインダーが見やすいよう細く作られたXF60mmF2.4 R Macroは、いまでも愛用している名レンズ。X-Trans CMOSのおかげで性能が真っ直ぐ伝わってきます。
それぞれの記事で書きましたが、もしこの2本が画質を犠牲にしてでもAFを早くしていたらX-Pro1の評価は多少は違ったかもしれません。でもXシリーズの歴史にとってどちらが良かったでしょう?
さらにプロネガが搭載されたことも忘れられません。
ポジフィルム系の三つのフィルムシミュレーション(プロビア、ベルビア、アスティア)の次が、クオリティコントロールされたネガだったところに「Pro」と名付けられたカメラならではのプライドを感じました。
23mm固定だったX100から、18mm、35mm、60mm Macroが交換レンズとして加わるとこで活躍の範囲が広がるはずで、とくに人物系の写真で本格的な作品を撮ることを意識したのではないかと思います。インクジェットとの相性も抜群。
さっき見たらX-E2が同じくらいの価格で手に入るようです。
実用性ならそっちのほうがはるかに上で、AFが速く、サイズも小さく、クラシッククロームもある。「この時代のカメラはマウントアダプターでオールドレンズをMFで使うと楽しい」という人たちのためにフォーカスピーキングも追加されています。
それでもX-Pro1を手にすると、さすがは最初のフラッグシップ機で、ここから歴史が始まったという重みが心地よく、作り手の情熱が伝わってきます。機能と画質で語られることが多いデジタルでも、カメラを扱う喜びが失われていいはずがないですよね。
これ一台だけだと厳しい場面が多いかもしれませんが、他にメイン機があるなら弱点を受け入れて楽しめると思います。トップの写真にはそんな願いを込めました。
■写真家:内田ユキオ
新潟県両津市(現在の佐渡市)生まれ。公務員を経てフリー写真家に。広告写真、タレントやミュージシャンの撮影を経て、映画や文学、音楽から強い影響を受ける。市井の人々や海外の都市のスナップに定評がある。執筆も手がけ、カメラ雑誌や新聞に寄稿。主な著書に「ライカとモノクロの日々」「いつもカメラが」など。自称「最後の文系写真家」であり公称「最初の筋肉写真家」。
富士フイルム公認 X-Photographer・リコー公認 GRist