世界が待ち望んだ六番目の奇跡「X100VIもフィルムの夢を見るか?」
X100シリーズの魅力
そもそもX100がどんなカメラで、どう進化してきたかは前回の記事を読んでください。人気のポイントをざっと挙げてみると
1. クラシカルなデザインとアナログな操作感
2. レンズ一体型ならではのコンパクトなボディ
3. 上の二つからすると「羊の皮をかぶったオオカミ」的な高画質
4. 唯一無二のハイブリッドビューファインダー
5. フィルムシミュレーションを軸にした絵作りの豊かさ
これらがバランスよくまとまっていることではないでしょうか。
「X100とX-Proにはライバルがいない。カテゴリーさえ存在しない」と言われますが、ここに挙げた特徴のどれもが貴重です。
InstagramやTikTokで爆発的な人気になった前期種のX100Vが、必ずと言っていいほど本人が手にした姿で撮られていることからして、デザインは重要な要因のようです。エモやレトロの人気の追い風もありますし、「シルバーボディやアナログダイヤルが好きなのは日本人だけだ」と言われていたのが世界で支持されるようになりました。前機種のX100Vでチルト液晶とレンズのリニューアルという否定派がいても不思議ではないことを乗り越えたのも大きかったと思います。
X100シリーズ(以下X100。初代はFinePix X100と書いて区別します)の進化の歴史は、最初期からあった思想や理念、コンセプトを維持したまま、どれだけ時代の変化とユーザーの希望に答えられるかというチャレンジでした。
「X100VI」ネーミングの考察
名前の付け方から想像するに、メーカーが最初から遠い先を見据えていたとは言い難いです。X100S→X100T→X100Fとなっていったとき、「ひょっとしてSecond,Third,Fourthじゃないの?とすると次はまたFifthのF、さらにSixthのSになってしまうじゃないか~」という声があって、そうしたらV→VI。しかも「ひゃくシックス」の言いづらさ・・・。
せっかくの機会なのでカメラの名前について考えてみました。初期のX100のように数字の後にローマ字をくっつける場合に、X100Xがよくないのは誰でもわかると思います。Aは第一世代のイメージが強く、Zは終わりを連想させてしまうとの社会情勢からしても難しい。BやCだとB級品やC級品を想像させてるかもしれないですし、Nはニューとしてバリエーション向き、Iは1と、Oは0(ゼロ)と区別しづらいので付けにくいでしょう。そう考えていくと選択肢はかなり少なくなります。
そんなこともローマ数字に切り替えた一因ではないかと思うのですが、となると10はX。もしもX100が十番目まで続いたとして、どんな名前にするか楽しみですね。
でもそんな遠い未来のことを考えるよりX100VIの進化について急ぎましょう。
正常進化?高画素化
まずは40MPの高画素、X-Trans CMOS 5 HRとX-Processor 5による第五世代になりました。前の記事でX100はいつもXシリーズの最高画質だったことに意義があると書きましたが、あの時点ではファイルが重くなることを避けてプロセッサーだけ進化させるかもしれないと思っていました。24MPは物足りない画質ではありません。
40MPのポテンシャルは写真で検証するとして、出会いがあったとき「もっと画質のいいカメラを持ってくればよかった」と後悔することがなく、フラッグシップのサブカメラにもできるし、他メーカーのユーザーが興味を持ったとき「これがXシリーズの画質だ」とわかりやすいことにも意味があると思います。さらにデジタルズームを使ってクロップしても十分な画質で撮れる。
前にも書いたように「完結性」はX100の重要なキーワードです。レンズ一体型ならではの魅力として、小さなサイズのなかに全てが詰まっていて他のものが欲しいと思わないこと。テレコンも用意されていますがカメラだけでできるほうがいいでしょう。
そうなるとX100Vでレンズを刷新して、さらなる高画素化に備えたことに価値が出ます。レンズ、センサー、プロセッサーの共同作業で生み出される画像は収差がなくクリアで、とくに大きなプリントで見たとき気持ちのいい写りをします。画素数が上がったのにシャープネスを強調してる感じがしないこともあって、ゆとりを感じるくらい。後に出てきますがREALA ACEとの相性も抜群です。
機は熟した?5軸6段の手ブレ補正
ユーザーにとっては高画素以上に大きな進化はIBIS(ボディ内手ブレ補正)が搭載されたことではないでしょうか。ぼくは暗かったり興奮して慌てていたらブレてしまうほうが写真は自然だと思っているので重要視したことがなかったですが、犠牲にするものがないならあったほうがいいのは当然で、高画素を活かすためには必須だったかもしれません。
もともとX100には複雑なファインダーのユニットが積まれていることもあり、あれだけの薄さにまとめるのは大変らしく、そこにIBISのユニットを入れるのは難題だったようです。ボディサイズをほとんど変化させなかっただけでなく、センサーが省電力なおかげでIBISを駆動させても撮影可能枚数が増えているのが嬉しいところ。FinePix X100が300枚だったので、バッテリーを大容量に変えてあったこともここで効いてきます。最初に書いたようにボディサイズと基本的なデザインを変えないまま、ユーザーの要求と時代の変化に合わせて進化してきたことが結実しました。
6段の手ブレ補正がどれほど有効かというと、換算35mmなので1/30秒と言いたいところですが40MPということも考えて1/60秒を安全なシャッターと仮定します。6段だと1秒。実際にはもうちょっと効いてる気がしますが、人の体は1秒を過ぎたあたりでじっと止まっているのが極端に難しくなると聞いたことがあります。シャッターボタンを押すときの揺れも影響しやすいので2秒のセルフタイマーと併用するのがおすすめ。
シャッター速度が1秒あれば光を流すことができて、レンズは開放F2なので感度を上げずに手持ちで夜景が撮れて、ISO800まで上げてもいいなら夜でも絞り込むことができます。
スナップの定義を調べると「事前に用意することなく出会ったものを撮る」と書かれていることが多く、三脚などの外部アクセサリーに頼ることなく表現の幅がグッと広がります。しかもX100はフラッシュ内蔵!
デジタルで蘇る伝説「REALA ACE」
20番目のフィルムシミュレーションとして、Xシリーズでは初めてREALA ACEが搭載されました。製造が終わって十年以上になるのでREALA ACEがどんなフィルムだったか簡単に説明しておきます。
体感として2000年ごろがピークだったと思いますが、それまでのポジフィルム一辺倒だったことに対する反発が強くなります。ポジフィルム=技術至上主義だとして、ネガフィルムの寛容さを活かしてもっと自由に写真を撮ろうじゃないか、スタジオの外に出て日常に目を向けよう、と訴えながらプロ写真家もネガフィルムを使って作品を撮るようになりました。
*念のため、SNSみたいに実際に文字にしたり声に出しているわけじゃなく作品にメッセージを込めていただけです。
けれども当時のネガフィルムは黄緑や紫のような繊細な色を表現するのは苦手で、粒状性も良くないため大きなプリントにも向きません。高性能なネガフィルムを求める声が強くなり、登場したのがREALAでありREALA ACEです。2012年まで製造されていたのでX100にバトンを渡したことになりますね。
Xシリーズにはすでに二つのプロネガが搭載されていて、大人気のクラシックネガとノスタルジックネガもあります。ここからは想像になりますが、常用ネガの軸になるフィルムシミュレーションに据えようとしたのではないでしょうか。
フィルムがメインだった時代と大きく変わったのは写真を見る環境で、SNSのように小さなサイズから、美術館に展示されるような数メートルのプリントまで。一方はモニターの透過光で、もう一方は暗い照明で見るプリント。印象を強くしようとする人の声は大きいので、彩度とコントラストは高くなっていく傾向にあります。
それに対する反発はもちろんあって、プロビアの彩度とシャドウをマイナスにする設定はすごくポピュラーになりました。味がどんどん濃くなったとき、さっぱりしたものが美味しく感じられ、「ああ、これくらいが素材の味がわかってホッとするね」と毎日でも食べたくなる味。それがREALA ACEかもしれません。カセットテープの音はいいよね、落ち着くし、これが音楽って感じがする、という世代にも好まれるのでは。
最新プロセッサーの処理能力が必要だったと読んだ記憶があるため、自然に見えることがいちばん大変なのだと思いました。使うほど良さが感じられるフィルムシミュレーションです。
REALA ACEのポテンシャル
REALA ACEはGFX100 IIに搭載されて「トーンは硬めで彩度は低め」という印象を受けた人が多かったようですが、そう単純でもありません。写真を見ながら説明するほうがわかりやすいはずですから、CP+のために選んで展示していたものを見てください。これはGFX100 IIで撮りましたが、これくらいのサイズで見てベイヤーやラージフォーマットによる違いを感じません。
右の写真は日中なのにWBを電球モードにして早朝のようなムードにしました。ホワイトバランスは色に与える影響がとても強く、バランスが崩れてしまいがちです。けれども青で統一された静かなルックのなかで、目立ちすぎる色がないですよね。これが最初の特徴。彩度が高いものや色の極端な変化に対して、意図的に反応しづらくすることによって色飽和しづらいだけでなくバランスが崩れにくくなっています。
左の写真の奥にある夕焼けもそう。目を惹く強さはないですが、きれいなグラデーションがあってシャドウからの繋がりもよく奥行きが感じられます。花に目を移すと紫や黄緑は組み合わさった色なので再現が難しいのですが、とても繊細ですね。藤や紫陽花などを撮るのが楽しみ。左の花に色が乗っていなくて澄んだ白なのもいいです。
シャドウは軟らかくて深く、ハイライトはスッと素直に抜けていく感じ。ネガ特有のまろやかな印象があって、解像感はバッチリあるのに硬すぎる感じがしません。
じゃあどんなふうに見えるかと聞かれれば、写真がすごく輝いていた時代のプリントのよう。デジタルっぽさが希薄なので、クラシックネガと並ぶもうひとつのフィルムへのオマージュに思えます。
出かけるときにはカメラを欠かさず、身近な人やちょっとした出会いを写真に収めていって、プリントを囲んで笑い声が起き、日々がちょっとずつ豊かに感じられるようになる———X100VIで使うREALA ACEのイメージはそんな光景。ぼくが初めてカメラを手にした時代はそれが当たり前で、そういう写真との関わりが増えていくことを願っています。
REALA ACEばかりに注目が集まっていますが、前機種のX100Vは17種類のフィルムシミュレーションだったのが今回は20種類ですからあと2つ、エテルナブリーチバイパスとノスタルジックネガもX100では初めて搭載されました。
その他の変化
ちょっと地味ですがチルト液晶の角度が少しだけ大きく開くようになったとか・・・。動画周りも機能が充実したのでこのカメラで撮れるものが増えるでしょう。AF性能が飛躍的に向上したという海外のレビューも目にしましたが、二台で撮り比べていないので確かなことが書けません。低輝度でコントラストの低い被写体でもAFが合わない、迷う・遅れる、といったことはなかったです。とにかく全体的にサクサク動きます。
大きな変化は三つにまとめられ、それぞれが結びあって写真表現と撮影の楽しさを広げてくれます。いつでも持っていたくなるデザインと、カメラ専用にバッグを用意する必要がないコンパクトなボディ。ぼくが「電源を入れずに触っていても楽しい稀有なデジタルカメラ」と称したアナログ操作系、世界と関わっていることがダイレクトに感じられる光学式ファインダーなど。
圧倒するための性能ではなく全ては写真のためというところがX100らしく、求められるのは「使っているときは機能や画質のことを忘れて、喜びの瞬間にこのカメラがあること」だと思います。
こうなるとフルサイズじゃないからダメなんて批判は無力でしょうし、あとは価格が高すぎると言うくらいしかないのでは。でも2011年のiPhoneの価格は約6万。現在と比較して考えてみればX100の到達点として妥当でしょう。
■写真家:内田ユキオ
新潟県両津市(現在の佐渡市)生まれ。公務員を経てフリー写真家に。広告写真、タレントやミュージシャンの撮影を経て、映画や文学、音楽から強い影響を受ける。市井の人々や海外の都市のスナップに定評がある。執筆も手がけ、カメラ雑誌や新聞に寄稿。主な著書に「ライカとモノクロの日々」「いつもカメラが」など。自称「最後の文系写真家」であり公称「最初の筋肉写真家」。
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