Mの旅人#3|「ライカM11-D」ファインダーを覗かずに東京を撮る
液晶モニターを搭載しないM型ライカ「ライカM11-D」
「写真を撮るということは、頭と目、そして心を同じ線上に置くことである」
“To photograph: it is to put on the same line of sight the head, the eye and the heart.” アンリ・カルティエ=ブレッソン
距離感に関するちょっとした雑談
M型ライカを手にし、被写体との距離感を測るようになってから、撮影における距離感と人生の距離感との間には相通ずるものがあるのでは……と感じるようになりました。
誰もが、他者との関係において、自分にとって心地の良い距離感と、そうではない距離感を持っています。会ってすぐに距離を縮められる人もいれば、一定以上の距離を保っていたい人もいる。スマートフォンやSNSの普及、新型コロナウイルスの感染拡大を経て、現代を生きる我々の距離感は複雑化しています。世代間の価値観や交流のあり方も多様化し、老いも若きもいかに「他者とどう距離感をとるか」ということに腐心する「距離感の時代」と言えるのではないでしょうか。
ライカのMレンズの距離計メモリは、最短撮影距離0.7mから、1m、1.2m、1.5m、2m、3m、5m、∞のように刻まれていますが、M型ライカで撮影する場合、0.7m、1m、3m、5m、∞(実際には∞よりも少し近く)という距離感で撮影すると、距離感が身についてきます。
0.7mは、個人的なパーソナルスペース。1mは、家族や恋人など、親しい人たち。3m以上は、少し距離のある人たち、5m以上は、自分には直接かかわりのない人たちです。M型ライカの距離感から考えると、仕事やプライベートを問わず、我々は大体、1mから3mくらいの範囲で、他者と付き合っているのではないかと思うのです。この距離感が崩れると、対人関係に悩んだり、孤独に陥ったりしてしまう。M型ライカを使うということは、他者との距離感を図り、被写体と自分との関係性を測ることなのだと考えるのです。
「射る(Shoot)」か「撮る(Take)」か
スマートフォンやミラーレス一眼カメラが主流となった現代は、液晶モニターやEVF(液晶ビューファインダー)を見ながら被写体を撮影します。ボケ味や光、色味も撮影時に確認できる現代のデジタルカメラは、まるで魔法の道具です。
「Mの旅人」第1回でご紹介した通り、M型ライカは撮影時に撮影された写真を見ることができません(ライブビュー撮影を除く)。素通しガラスの光学ファインダーを通して被写体との距離を測り、シャッターを切る。液晶画面を見ながら「撮る(Take)」感覚と、距離を測って被写体を「射る(Shoot)」というM型ライカの撮影体験では、大きく異なります。「M型ライカは写真が下手になる」と言われるのは、この感覚の差が身体に馴染むまでに時間を要するからだーーと私は考えています。
ファインダーの中で画を決めるのであれば、ズームレンズはとても便利です。一方、一部のレンズをのぞき、単焦点レンズであるM型ライカは、自身の足で動いて距離を決めなければなりません。
冒頭で述べたように、自分にとって心地よい被写体との距離を見つけることが、M型ライカで撮る写真が「上手くなる」、最短の道だと考えます。読者の皆さんにとっても、自分にとって心地よい距離感の被写体があるはずです。子どもを撮ることは、親にとって何よりも幸せな瞬間ですし、恋人を間近で撮ることが出来るのはパートナーだけです。人間よりも自然や動物との距離感が近い方もいますし、花や静物とじっくり向き合いたい人もいる。自分にとって心地よい距離感を探すことは、自分が世界とどう距離を結んでいるかを知る、大きなきっかけになるのです。
「Mの旅人」第3回は、スマートフォンやデジタルカメラで撮影する際に、ついついやってしまう「被写体との距離感を狂わすある行動」について、考えてゆきたいと思います。
ライブビューやプレビューでは距離感は身につかない
被写体を撮影した後、皆さんがはじめにすることは何でしょうか?
多くの方が、撮影した画像を、液晶モニターで確認するのではないでしょうか。私もはじめは、しっかり撮れているかが気になって、拡大してフォーカスを確認したり、上手く撮れなかった写真を削除する……を繰り返していました。ある日、ふと思いました。
「この時間に、次のショットが撮れたかもしれない……」
いくら見返しても、撮り終えた写真が良くなることはありません。上手く撮れなかった写真を削除しているうちに、間違って残したかった写真を削除してしまった……という方も少なくないのではないでしょうか。撮影した写真をすぐに確認できるというデジタルカメラの利点は、撮影に集中できないというデメリットにもなりうるのです。M型ライカにおいては、光学ファインダーを通して身につけた距離感を、ライブビュー撮影や液晶モニターによる確認を繰り返すことによって、狂わせることにもなってしまう。
そのことに気づいて以来、私はライブビューはオフにし、撮影後のプレビューも、撮影環境が変わってからの一枚目のみにし、プレビューもモノクロ表示で、光と影のバランスだけを確認するようにしています。
「Mの旅人」第3回の旅は、最新のデジタルカメラでありながら、液晶モニターを搭載しない最新のM型ライカ「ライカM11-D」をお借りし、大晦日の東京を歩きましょう。
「ライカM11-D」を手に大晦日の東京を歩く
「ライカM11-D」は、液晶モニターを搭載していません。シャッターを切り、本体背面を見ても、ISOの設定ダイヤルがあるだけ。普段から極力液晶モニターを見ないようにしていても、いざ液晶モニターがないというのはドキドキします。設定などは「Leica FOTOS」というアプリか、ファンクションキーの長押しで行います。
「Mの旅人」のテーマは、被写体との距離を測りながらカメラを手に旅をすること。液晶モニターを見ることが出来ないという「ライカM11-D」が持つ「制約」を更に自らに課そうと、「スポーツファインダー」という 1930年代にM型ライカの前身である「バルナックライカ」のために作られた、金属製のフレームをホットシューに装着しました。金属製のフレームを、手前にあるのぞき穴から覗いて構図を確認するだけというシンプルなアクセサリー。本来は、ファインダーが視認しにくく、レンズによっては制約の多かったバルナックライカの為に作られた、現代においてはコレクターアイテム的な要素の強いアクセサリーです。
今回の旅は、距離感を身につけるため、ふたつの枷を自らに課しました。
・光学ファインダーを極力覗かず、レンズの距離計だけで被写体との距離を測ること(ざっくりとしたフレームは「スポーツファインダー」を活用する)。
・撮った写真の事は考えない。
一枚目は「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」「君たちはどう生きるか」でお世話になった、アニメーター・山下明彦さんのポートレートです。年末のご挨拶を兼ねたランチの後、直射日光の入ってこない路地裏に移動して撮らせて頂きました。
フォーカスが合っていませんが、山下さんに立って頂く場所との距離をレンズの距離計で測り、スポーツファインダーを覗き、雑談しながらシャッターを切っています。しっかりフォーカスを合わせようとか、フレームを合わせようとか考えないことで、会話の流れの中で、山下さんの自然な笑顔を撮ることができたように思います。
この写真は、トリミングをしています。被写体が近い場合、フォーカスはシビアになるのですが、距離をとり、大体の距離でフォーカスを合わせてトリミングすることで、ポートレート撮影においても速射性が上がる……と考えています。
この日の山下さんとの話題は、宮﨑駿監督の「慣れた線を引いてはいけない」という言葉について。鉛筆で白い紙に一本一本線を引くアニメーターは、習熟すればするほど、自分の気持ちの良い線を引く癖がつくそうなのですが、ある日宮﨑さんがヌッと山下さんの肩越しに描きかけの原画をのぞき込んで、
「山下さん、慣れた線ばかり引いていちゃダメですよ」
とおっしゃったとか。写真も人生も、楽な構図や生き方に頼ってしまう。新たな自分を発見するために、これまで試みようとしなかったことに挑戦し続ける。新春へむけて、背中を押して頂いたような気がしました。
スポーツファインダーを装着した「ライカM11-D」とアポ・ズミクロン M f2.0/50mm ASPH.を肩から下げ、JR総武線に乗り込みました。新宿駅や東京駅は混雑しているでしょう。プライバシー意識の高い東京においては、人物の顔が写るスナップショットには細心の注意を払わなければなりません。
最初の目的地は、アニメとゲームと家電の街・秋葉原に決めました。大晦日の空は冴え渡り、二次元と三次元が共存する街をゆく人々はどこか、別な世界の人々のようです。
ビルへの映り込みと、着物に身を包んだ美少女キャラ、道行く人々を収めた一枚です。このくらいの距離(10m以上)であれば、レンズの距離計目盛りの「∞ 」より「ちょい戻し」すればフォーカスは合うはず。ファインダーを覗かず、カメラを縦に構え、スポーツファインダーでざっくりと構図を確認してシャッターを切ります。
交差点で信号待ちをしていると、カーブを曲がろうとする「痛車」が見えました。私の立つ位置から通りの向こうまでは6mくらい。車は少し手前を走るはずですので、5m前後に距離計を合わせ、痛車が目の前を横切るのを待ちました。
どうということのない写真ですが、帰宅し、Lightroomに写真を取り込んで思わず心の中でガッツボーズしました。多少フォーカスは甘いのですが、痛車にフォーカスが合っています。ストリートスナップの場合「絞ればピントが合う」と言われます。フィルムカメラの時代はパンフォーカス(近景から遠景までフォーカスが合うこと)で撮る意味は大いにあったと思いますが、多画素のデジタルカメラ時代、50mmレンズでは、どんなに絞り込んでも全体的に甘い写真になってしまう。開放でしっかりと距離を掴むことを目指し、被写体にフォーカスがきていなくても、写真全体に奥行きと立体感が出ているほうが、開放で撮ることを前提に作られている現代のライカのレンズにおいては、良い撮影結果を得られるように思います。
秋葉原駅から中央線のガードの下を歩み、御徒町へと歩き始めます。 大晦日のアメリカ横丁、通称「アメ横」はまさに芋洗い状態。警察が拡声器を手に交通整理し、キャリーケースなど大きな荷物は持ち込めない状態になっていました。
到底カメラを構えられる状態ではありません。不特定多数の方の顔が写り込むことを避け、距離計を 5m~∞の中間くらいに合わせ、頭の上にカメラを載せて、少しずつ角度を変えてシャッターを切りました。普段だったら撮らないアングルで撮影できることも、ファインダーを覗かない撮影の醍醐味です。
アメ横の雑踏を抜けると、翼を広げた天使が。回り込むと、サングラスをかけた美脚の男性でした。
上野公園へ続く陸橋の上では、ギターを奏でながら歌う男性を取り囲む若い女性の姿がありました。歌う男性をフレームにいれるべきか迷いましたが、女性たちの背中にこそ何か感じるものがあり、女性がシンメトリーになる位置へ移動し、シャッターを切ります。いつか大きなステージに彼が立つ時、彼女たちは客席にいるのでしょうか。
この時点で、バッテリー残量は80%。ライカM11シリーズはバッテリー容量が大幅に増えましたが、液晶モニターを持たない「ライカM11-D」は、バッテリー駆動時間も優秀なようです。
上野公園で一休みし、浅草へ向けて歩き始めます。Mの旅人#1で記したように、通りを歩き始める際には必ず、通りの反対側との距離を測ります。駒形橋西詰から並木通りに入り、通りの反対側の距離を測ると、10m前後でした。この距離であれば「ちょい戻し」で通りの向こうにはほぼ、フォーカスが合います。
名店・並木藪蕎麦の前には、年越しそばを求める人々の長い列がありました。古い木製の看板が樹に隠れてしまうので、のれんがしっかりと見える位置に移動し、ファインダーを覗かずにシャッターを切りました。この距離であれば、視線の先にカメラを構えれば、ファインダーを覗く必要すらありません。
ピッタリとフレームを合わせているように見えますが、後でトリミングし、ジオメトリも修正しています。カメラを構えてフレームを合わせるよりも、まずは狙った瞬間を撮り、あとからイメージに近づける方が、よりアグレッシブな撮影体験を得られると思います。
ストリートスナップの名手、アンリ・カルティエ=ブレッソンが生前、街を撮影している写真や動画を観察していると、あることに気づかされます。腰のあたりでカメラを手にし、しばらく被写体を観察している。カメラを構えてからシャッターを切るまでの時間は一瞬に近いと言ってよいほどあっという間です。実際に真似してみると、同じ時間でフォーカスを合わせ、フレーミングすることは不可能です。スナップシュートの名手は、撮る前に距離感を測り、フレーミングを決定しているのだ……と気付かされました。
「アンリ・カルティエ=ブレッソン写真帖 スクラップブック 1932-1946」(岩波書店)https://www.iwanami.co.jp/book/b263453.htmlを紐解くと、歴史的な写真の多くが、大胆なトリミングを経て発表されていたことがわかります。
喧騒を離れ駒形橋に出ると、2024年最後の夕日が落ちてゆくところでした。ヘリコイドを無限遠に合わせ、シャッターを切ります。
フレーミングも、フォーカスも気にせず、ただ眼の前の風景に見とれながらシャッターを切る。「どんな写真が撮れたか」よりも「自分が何を見たか」に心を馳せる。2025年も、フレーミングやフォーカス、機材比較等に踊らされることなく、被写体との距離を測り、しっかりと見つめてシャッターを切りたいと願いながら、帰路につきました。
これからの「Mの旅人」
エジンバラーーパリーー東京と、M型ライカを手に、読者の皆さんと旅してきました。
100年もその機構が変わらないライカフォトグラフィーの歴史に敬意を払い、今後もM型ライカで撮る写真の面白さをお伝えできれば、これ以上幸せなことはありません。
2025年は、ライカ初の量産35mmカメラ「ライカI型」が発売されて100周年になります。私はまだ、ライカのカメラが生まれた地、ドイツのウェッツラーを訪れたことがありません。いつか訪問がかなうことがあれば『「Mの旅人」ウェッツラー編』と題して、ライカフォトグラフィーの歴史と過去、現在、未来について書くことができれば……と妄想しています。
次の旅でまた、お会いしましょう。 2025年 元旦
■写真家・映画プロデューサー:石井朋彦
「千と千尋の神隠し」「君たちはどう生きるか」「スカイ・クロラ The Sky Crawalers」等、多数の映画・アニメーション作品に関わる。雑誌「SWITCH」「Cameraholics」等に写真やルポルタージュを寄稿し、YouTubeやイベント等でカメラや写真の魅力を発信するなど写真家としても活動。
ライカ GINZA SIX、ライカそごう横浜店にて写真展「石を積む」、ライカ松坂屋名古屋店にて写真展「ミッドナイト・イン・パリ」を開催。また、JR高輪ゲートウェイ駅前では、高さ3m、全長140mにわたる仮囲いデザイン「CONSTRUCTION ART WALL」の撮影・ディレクションを行う。