Mの旅人#4|「M型ライカ」で記憶に残る色彩を探す旅 イギリス・ロンドン

石井朋彦
Mの旅人#4|「M型ライカ」で記憶に残る色彩を探す旅 イギリス・ロンドン

カラー写真とモノクロ写真の違いとは?

カラー写真とモノクロ写真の違いは何か。この問いについて、ずっと考え続けています。

かつては、モノクロ写真=古い写真、カラー写真=新しい写真であると考えていました。
しかし、必ずしもそうとは言えないのではないか……と考えるようになりました。何十年も前に撮影されたモノクロ写真と現代のモノクロ写真は、写っているものが変わらなければ、同じ時間軸上で撮影された写真のように感じることができる。一方、カラー写真は、数年前に撮影されたデジタルカメラで撮影された写真でもどこか、なつかしく感じます。

 

目を閉じると、子どもの頃の記憶は、フィルムで撮影されたような、どこかノスタルジックな色彩で思い出されます。40年前の東京の空と、現代の空の青さに大きな違いはないはずなのに、私たちがなつかしいと感じる過去の記憶は「その時見た風景」ではなく、フィルムで撮影された写真やビデオカメラ等、当時のメディアに定着した解像度や色彩によって再現されている。カラー写真の魅力とは、その記録性だけではなく、過去へむかって色褪せてゆく郷愁やノスタルジーなのではないかと思うのです。フラッグシップのデジタルカメラで撮影された高精細で色鮮やかな写真も、10年後、20年後にはきっと「なつかしい写真」として認識されるのではないでしょうか。

カメラの性能や解像度を追い求めるよりも、記憶に残るような写真を残したい……。

今回は、イギリス・ロンドンの街を歩き、色彩を探す旅に出たいと思います。

色彩のカフェ

イギリス・ロンドンに到着したのは、夕刻。ロンドンの中心部から西ーーハイド・パークの南に広がるサウスケンジントンのAirbnbに投宿し、ベッドに倒れ込みました。

旅先の朝は、なぜお腹が空くのでしょうか。冷蔵庫には、飛行機から持ち帰ったミネラルウォーターのボトルのみ。喉をうるおし「ライカM10-P」を手に、ケンジントンの街を歩き始めます。レンズは「アポ・ズミクロンM f2.0/50mm ASPH.」一本のみ。街中はもう少し広角の方が……と、35mmや21mmで歩くこともありましたが、自分の足で歩き、距離感を見つけるほうが、旅が豊かになるような気がします。

私は「ライカM11」も所有していますが、高精細で濃厚な色味の画像を出力してくれる「ライカM11」と比較して「ライカM10-P」は、ニュートラルでハイが飛び気味の、クラシックなデータをもたらしてくれます。帰国後、よりノスタルジー性の強い写真になるよう、Lightroomで調整しています。

 

サウスケンジントンは、ヴィクトリア&アルバート博物館や自然史博物館などの観光スポットがありますが、路地裏に一歩足を踏み入れると、閑静な住宅街が続きます。M型ライカの距離計を3m前後に合わせ、路地裏を歩いていると、店頭がバラで覆われたカフェに目を奪われました。バラに溶け込んでいるかのようなピンク色のシャツを着た男性にむけてシャッターを切り、店内へと足を踏み入れます。

 

カウンターには、色とりどりのスイーツやパンが盛られていました。イスラム圏でよく食べられるフムス(ひよこ豆のペースト)やファラフェル(豆のコロッケ)が湯気をたてています。

クロワッサンとコーヒーを頼んでテーブルにつくと、壁一面に薔薇の装飾が。シャッターを切り、クロワッサンをかじると、生地がほぐれるパリパリという音が店内に響きます。しっかりとしたバターの塩味と、ヨーロッパ特有の濃厚な小麦の香ばしさが舌の上に広がり、喉を滑り落ちてゆきます。ロンドンの食事は不味い……は過去のこと。コーヒーを運んできてくれたスタッフはヒジャブを被っており、イスラム系のオーナーが経営しているカフェのようでした。

 

シンメトリー(左右対称)に撮りたかったので、自分の座っている場所から壁までの距離を測り、テーブルの真中に置いて撮影しています。オートフォーカスカメラでは、フォーカスロックをかけるか、机に置いた状態でフォーカスを合わせなければなりません。M型ライカは距離さえ決めてしまえば、今いる場所からどうカメラを構えても、壁のバラにフォーカスが合っているという安心感があります。

色彩を探す旅

ケンジントンの街は、クラシックな街並みのどこに目を向けても、緑が視界に飛び込んできます。木々を撮るのは本当に難しい、と思います。存在そのものが生命力を放つ植物は、主役にも、風景にもなりうるからです。街中で木々を撮る時は、木々を額縁のようにして主題をその中に配置するか、反対に、窓や建物の間から見える木々を主題として撮るようにしています。旅先ではズームレンズが便利だという声もありますが、自分の足で被写体との距離を決めなければならない単焦点レンズの方が、思わぬ発見に出会えます。M型ライカの光学ファインダーは、ミラーレスカメラやスマートフォンと違い、50mmのブライトフレームの外側も確認することができます。フレームの周囲に何をいれるかはざっくりと考え、何を撮りたいかに集中して撮る。「あとでトリミングすればいい」と考えて撮れば、足が止まることもありません。

多くの観光客が訪れるハイド・パークは有名ですが、ハイド・パークの少し西にあるホランド・パークも、とても素敵な公園です。イギリスで最も高級な住宅が立ち並ぶ地域に広がる公園内にはデザイン・ミュージアムも併設され、観光に飽きた旅人にもオススメの場所です。

 

人類が最初に名付けた色は、赤だと言われているそうです。

はじまりは火と血。ラスコーの洞窟壁画は、赤土や木炭、動物の油や血を混ぜた顔料であり、生命の力強さや、死や危険を感じさせる赤という色に、人は自然と惹きつけられてしまう。

真紅のロンドンバスに飛び乗り、ロンドン市内へと向かいます。

 

交差点で信号待ちをする鮮やかなコートの女性、チャイナタウンの提灯、バッキンガム宮殿の衛兵、誰も使うことのなくなっただろう古い公衆電話ボックスーー。

異なる場所の、まったく関係のない被写体が「赤」というひとつのテーマで繋がり始めます。もちろん、その間には様々なものを撮っているのですが、自分の撮りたいものを決めておき、街を歩くことで、世界は被写体に満ちていることに気づかされます。現代を代表する作家アレック・ソスは、撮影旅に出る前に、撮りたいものをリスト化し、自動車のハンドルに貼り付けて旅をするそうです。

 

バッキンガム宮殿からテムズ川へむけて歩くと、テート・ブリテン(国立美術館)の前に出ました。入場無料で、コロナ禍は入場制限もありましたが、誰もが自由に出入りすることができます。

写真撮影における構図の手法に「フレームインフレーム」という構図があります。

窓枠や門、扉等のフレームの中に被写体を収める手法で、元来フレームで切り取ることになる写真の内側にフレームを入れ込む事により、画面に奥行きや関係性が生まれる。撮影可能な美術館に限られますが、美術館はフレームインフレームを練習するのに最も適した場所ではないでしょうか。写真というフレームの中に、絵画というフレームを入れ込むことができるだけではなく、完成された作品を、自身の作品の中で借りることができるからです。

 

ストリートスナップと異なり、美術館での被写体は、皆がひとつの方向を見ているという点も面白い。絵画を見る人、椅子で休憩する人、デッサンをする人ーー撮影者が被写体を見る「目線」とは別に、被写体がどこを見ているかという「目線」をどう表現できるかを考えると、鑑賞者の中にも、撮影者とは別な「目線」が生まれ、写真との対話を生み出すことができるように思います。

 

なぜ人間は、絵を描くのか。ラスコーの洞窟画から漫画やアニメに至るまで、人々は自分が見たもの、感じたものを記憶に残したいと考え、絵筆や鉛筆を手に作品を残してきました。写真もまた「Photograph = Photon(光)Graph(描く)」が語源であるように、光を使ってフィルム(現代はセンサーで受光したデジタルデータ)に描き出す芸術です。人間が根源的に持つ「記憶を残したい」という欲求が、すべての芸術文化の根本にある気がします。

美術史に残る絵画を眺めながらシャッターを切る。素晴らしいと感じた色や構図を見つけたら、真似してみる。私にとって美術館は、芸術家達の叡智を真似し、血肉に出来る格好の写真の学校です。コンパクトでシャッター音も小さく、距離さえ決めればファインダーを覗く必要がないM型ライカは、静かな美術館での撮影にも適していると思います。

テート・ブリテンを出てメトロに乗り、ロンドンの新たなエンターテインメントとして人気を集めている「ABBA Voyage」を鑑賞しました。

巨大なLEDスクリーン上に、3DCGで作られたアーティストの「ABBA」のパフォーマンスが繰り広げられ、生のバンドと共にライブパフォーマンスを展開する次世代のエンターテイメント。会場は、往年のABBAのファンである70代、80代の人々でいっぱいです。LEDスクリーンに全盛期のABBAが登場した瞬間、年を重ねた人たちの背筋が伸び、総立ちとなって「Dancing Queen」の熱唱が始まります。

 

彼らの脳内には今、若き日の思い出が蘇っている。3DCGで再現された若き日のABBAに熱狂する人々の横顔を観ながら、古い写真を見た時に私たちの脳内に蘇るノスタルジックな感情も、まさに同じなのではないかと考えました。

私たちは、過ぎ去ってゆく記憶を積み重ねながら生きています。写真も、絵画も、最先端の3DCG技術も、今この瞬間を生きる私たちの感情を呼び起こす「記憶の再生スイッチ」です。以前にも記しましたが、EVF(液晶ビューファインダー)や液晶画面を通して撮影するミラーレスカメラやスマートフォンと違い、M型ライカは光学ファインダーを通して、被写体を直接視ています。少しずつ記憶は薄れてゆくけれど、今も目を閉じれば、カメラを構えた時の光や色、空気や匂い、音までが脳内で再生されます。

今回の旅を五年後、十年後に見返した時に、自分の中にどのような記憶が蘇るのか、楽しみでなりません。

 

 

 

■写真家・映画プロデューサー:石井朋彦
「千と千尋の神隠し」「君たちはどう生きるか」「スカイ・クロラ The Sky Crawalers」等、多数の映画・アニメーション作品に関わる。雑誌「SWITCH」「Cameraholics」等に写真やルポルタージュを寄稿し、YouTubeやイベント等でカメラや写真の魅力を発信するなど写真家としても活動。
ライカ GINZA SIX、ライカそごう横浜店にて写真展「石を積む」、ライカ松坂屋名古屋店にて写真展「ミッドナイト・イン・パリ」を開催。また、JR高輪ゲートウェイ駅前では、高さ3m、全長140mにわたる仮囲いデザイン「CONSTRUCTION ART WALL」の撮影・ディレクションを行う。

 

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