修理人たぐちの徒然日記コラム・ギャラリー
2007.12.18
2001年カメラGETに「修理の手引き」を執筆した関係で修理の依頼がありました。
内容は、傷ついたフロントカバーを出来るだけ修正をしたい希望でした。
先日のブログ「父親の温もり」と同じく、傷は、親子の絆であり家族の履歴なのです。
「おっしゃるとおり、我が家の履歴であると存じます。
父母兄弟、いとこを含む親戚家族で三脚を利用して写真を撮った日がつい先頃のように思い出されます。
私がセルフタイマーを作動させ、家族の輪に入った直後、ゆっくりと倒れ込んでいくSPを、ただなすすべもなくながめ、急ぎ抱え起こしたときには、距離計リングが動かない状態に至っておりました。
数年後、死に至る病とは知らされぬまま、下宿先の大阪から病床の父を訪ね、そのころ強烈にあこがれていたNikon Fのカタログを見せ、「SPを下取りに出してFを買ってもいいか?」と父に話しかけた日のこともしばしば思い出します。
父はしばらくSPをなでまわし、こう答えました。
「SPは置いておけ。Fは自分の力で買え。」
その午後、母から病態を知らされ、涙で塩辛くなったうどんの味は、今でも忘れられません。
その日、SPで病床の父の写真を一本撮影し、「このカメラは手放さない。」と心に決めました。2カ月後、昭和44年の暮に父は他界しました。
以来、Fが現役の時代にはなぜか買うことができませんでした。
社会人となり、ちょっと無理をすれば買えたであろうに、NikonFは遠い存在でした。
Fを30年数年ぶりに手に入れて、今年が33回忌であることに思い至りました。
私はNikonSP、NikonFを特別な想いで眺めているのかもしれません。カメラである以前に、父であり、当時の私をそこに見ているような気がします。
さらに、考えられないことに新品のカバーを探していただき、奇跡を感じています。」
(原文より)
小生、遺品と言う二文字には弱いのです。自分の亡き父への思いがあるのか?
カメラの傷は、家族の傷みでもあるわけですネ、時を経て父親と32年間の積もる話をした事でしょう。
日本橋店中古売場 田口由明
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