修理人たぐちの徒然日記コラム・ギャラリー
2012.03.30
日本橋に勤めて40余年、存在は知ってはいたが近寄りがたい存在であった。
Facebookのお友達の投稿により万惣が閉店すると言う。
池波正太郎に愛されたホットケーキを記憶に止めようと出掛けてみた。伝えられている行列はなさそうだ!喜び勇み店の前に行けば臨時休業だった。残された営業日も数える程だ!日を改める事にしました。
昨年の東日本大地震の教訓から、東京都の耐震化施策による旧耐震基準の建物は対策を迫られ、耐震診断をしたところ耐震化強化工事では不十分との予想外の結果となりました。厳しい経済状況の中では建て替えても経営が継続できないと160余年の暖簾を下ろす事になってしまったのです。万感の決断だったと思います。
表から並ばれている方を確認できませんでしたが、建物内に並ばれている方が3F迄続いている。別れを惜しむ人、新たに記憶に止めようとする人々で喧騒であった。
隠居人が並んだ後に列は加わっていく。席に着くまで2時間余掛かると説明がある。
やっとの思いで入口が見えてきた。此処まで2時間10分である。
池波正太郎氏がどちらを好んで食べたか?定かではありませんが、「フルーツホットケーキ」を注文する。
来週には願いも叶わないカーテン越しに臨む須田町交差点。
ヤッチャ場が消え、貨物の鉄路も消え、再開発された秋葉原。耐震基準に合わない建物が消えた後に見慣れた風景は残らない。若き頃は、黄色い乗り物(都電)が万世橋を渡り、左に折れて本郷へと向かっていたのです。
先に出てきたのが、バーターとアングレーズソース。ナイフとフォークも歴史を感じさせるデザインだ!許されるのなら持ち帰りたい。
程なく運ばれてきた「フルーツホットケーキ」。窓から差し込む穏やかな日差しに包まれている。ホットケーキ特有の良い香りが漂っています。表面は鉄板焼けした濃いめの色をしています。
最初の1枚は、バーターとアングレーズソースで戴く。
表面はサクッとして中は柔らかなスポンジ状でした。一口味わう。
食べた事が無いのに懐かしい風味です。この記憶は何なのであろう。
続けて口に運ぶ。僅かずつ記憶が蘇ってきた。
母が好きだった上野永藤の玉子パンの味がするのです。手土産として元気な母に渡したのは遠い昔になってしまったのか?それ程、時は過ぎ去っていないと思う。
もう一枚はフルーツ生クリームを乗せて味わう。出来ればシロップでも味わいたかった。
若き頃、味わえなかった万惣の果物と共に味わいました。
昨日は母を見舞いました。握りしめた拳を揉みながらほぐし、無意識に握り返してくれた手に母の温もりを感じる。温かかった。
眠りの中で息子の手と分かっていたのだろうか?分かっていたと思いたい。
かつては易しく包み込んでくれた母の温もり。今は、少しでも母の温もりを記憶に残したい。
そして、万惣のホットケーキに消えた上野永藤の玉子パンを被せて記憶に残したいと思います。
(追記)
検索をしていたら、上野永藤の玉子パンを復活させた記事を見つけました。
そのお店は、「石窯パン工房ル・マタン」
http://www.lematin.jp/
今は、訪れることはしない。理由は、母の温もりに触れることが出来るからだ。
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