やっぱり興味深い物件が多発する立地条件ってものがあって、そういう街を歩いていると、どうも何かがありそうな気配が漂ってくるんですよね。特に50年とか100年とか、ある程度の歴史や伝統のある街っていうのは、たいてい何かがあるものです。ある一定の時間の積み重ねとか背景というものが、物件に味わいを醸し出しているんですよ。でも、それがあまり立派なものだと、今度は由緒ある神社や寺のように、手厚く保護する対象となってしまうでしょう。そうなるとまたちょっと、我々が面白いと思う対象からは外れてしまうんですけどね。
私自身の経験からいうと、特に坂地というのは面白い物件が多発するポイントですね。中でも港町や島などの坂地は、切り立っていて開発しにくいんですよ。工事の機械も入りにくいんで、おのずと手作業で建物を造ったりすることが多いようなんです。例えば香川の伊吹島なんかも坂が多くて、その道の脇にたくさんのヒトデを並べていたりするんですよ。これが畑の肥料になるらしいんだけど、我々から見ると「あっ、地上に星空がある」なんて思えるでしょう。だからこういう所へ行くと、平らに造成された新開地などでは絶対に見られない、我々にはたまらない面白さをもった物件が続々と見つかるんですよ。
こうした我々が感じているようなことに、得てしてその物件を作った人や持ち主は関知していなくて、彼らは毎日の生活の中で、その物件にいちいちぶつかっては「ジャマだなぁ」なんて思ってる場合も多いんですよ。そしてそのジャマ者が何年もそのまま放置されて擦り減った様子なんかに、我々はより味わい深いものを感じるんですけど、そんな不要なものたちだから、いつ取り壊されたり捨てられてしまうかわからないという危うさも持っているんですよね。
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『畑の星空』坂のある風景にヒトデの大群が潜んでいる。これは畑の肥料として本当は土の中に埋めるそうだ。畑に星空、路上天文学の大発見だ。香川県の伊吹島にて。
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だから面白い物件っていうのは、「外からの目」で見つけることが多いですね。持ち主や近所の人にはわからないけれど、よそからその地を訪れた者の目に止まるもの。またそれは見る人個々の視点の持ち方によるところも大きいと思います。ひとりの人間がものを見たり考えたりできる範囲なんて限られていますから、どこかが見えていたら、その分ほかが見えなくなるものでしょう。この今まで見えなかったものにいきなり気がついた時の、「目からウロコが落ちる瞬間」っていうのが、たまらなく気持ちいいんですよ。
「路上観察学会」の発足や活動に関するお話を、興味深いエピソードを交えて語り続ける赤瀬川さん。次号では、赤瀬川さんが考える路上観察の楽しみ方を、さらに深く掘り下げて語っていただきます。お楽しみに。
(次号につづく)
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