旅で得たものが蓄積されて、自分の中で何かが変わる。


●先生は「心の楽園」を求めて国内・国外を問わず様々な土地へ行かれているわけですが、やはり「旅をする」ということ自体に魅力や意義を感じていらっしゃるのでしょうか?

 私は子供の頃から旅行が大好きでしたし、今でも「旅と写真とどちらが好きか」と聞かれたら迷うほどの旅好きです。やはり本や資料でしか見たことのなかったものが実体験できるわけですから確実に視野が広がるし、旅先で見聞きしたものが自分の中に蓄積されることで、行く前とは自分の中で何かが変わるんです。それが旅の面白さですね。

 昨年の12月から今年の1月にかけて、北極圏のオーロラを撮りに行ってきたのですが、オーロラが出るのを待って、結局延べ1ヶ月も現地に滞在しました。やっときれいなオーロラが現れた時は、まさに今まで別世界にあったものが自分のモノになったという感じでした。今でも夢のようですけれど、そういう感覚ってやはり実際に体験してこそわかるものだと思います。また、この北極圏というのは冬は昼間にうっすらと陽が射すだけで、ほとんど一日中太陽が昇らない所なんです。こうした日本に住んでいる者には信じられないような現象も、そこへ旅をしたからこそ目の当たりにできるんです。


中千本。霧にかすむ。杉の配置に気をつかった。
■カメラ:リンホフマスターテヒニカ4×5 レンズ:フジノンT400mm 絞り:f45 シャッタースピード:1秒 フィルム:プロビア
撮影地:奈良県吉野町 4月

中千本。左の作品と同じ場所から。空を入れて奥行きを出す。
■カメラ:リンホフマスターテヒニカ4×5 レンズ:フジノンT400mm 絞り:f45 シャッタースピード:2秒 フィルム:プロビア
撮影地:奈良県吉野町 4月

●先生は昨年取材させていただいた時に、「写真は科学的俳句である」ということをおっしゃっていましたが、昔の俳人が旅の中で感じたことを句に詠んだように、先生の写真にも旅というものが密接に関わっているのでしょうか?

 確かに芭蕉でも西行でも、旅の中で四季折々の美に出会い、それらに対して感じたことを句にしましたよね。私もまだ彼らの俳句の世界をすべて理解するまでには至っていないと思いますが、写真を通じて「現代の芭蕉になりたい」というような意識は常にもっています。旅の中でいろいろな物を見て、自分が感じた純粋な気持ちを記録に残すという意味で、写真と俳句は通じるところがあります。自分なりの物の見方を表現にして、後の世代の人にも伝えてゆく。目の前にあるモチーフを「自分の気持ちを映し出す鏡」として表現するという点でも共通しています。

上千本。朝日に透ける花びら。地面はまだ陰の中。
■カメラ:リンホフマスターテヒニカ4×5 レンズ:CMフジノン210mm 絞り:f45 シャッタースピード:1秒 フィルム:プロビア
撮影地:奈良県吉野町 4月

●「自分の気持ちを映し出す鏡」とはどういうことか、詳しく説明していただきたいのですが。

 つまり写真というものは、自分は撮る側にいても、「撮った写真に自分が写る」ものなんですよ。その人が撮った写真は、絶対に他の人と同じではない。例え富士山を一度に何百人が撮っても、同じ写真はふたつとない。そこにはそれぞれの人の気持ちの違いが、露出やフレーミングのちょっとした差となって現れるはずなんです。

 だから旅先を撮影地としてそこで写真を撮るなら、その土地ならではの被写体をどこに求め、何をどのように撮りたいのかということを、事前にイメージしておくことが大切ですね。そういう意識をしっかり持たずに無闇やたらとシャッターを切るだけでは、絵ハガキのような写真しか撮れないと思います。やはり自分なりのアングルや独自の視点で撮らないと、作品としての写真にはなり得ません。そういう意識さえきちんと持っていれば、自分のイメージ通りの被写体や風景というものが、必ずそこに見つかるはずです。

ハートウェルのきんぽうげの仲間(英国)。ちょっとしたアングルの違い。真ん中は卓上三脚とローアングルファインダーを使って撮影。
■カメラ:ペンタックス645 レンズ:45-80mmズーム 絞り:f32AE フィルム:ベルビア 5月

●先生が様々な国を旅された中で、何か気づかれたことはありますか?

 国民性の違いなどは興味深いですね。同じカリブ海の島でも、ある島の人達は友好的だけど、ある島は閉鎖的だとか。その理由は土地ごとの生活状況や教育であったり、かつての植民地支配の影響だったりと様々でしょうが、「風景の違い」だけでなく、こうした「人の違い」というのも行ってみて初めてわかることです。

 また昨年、イギリスへ行ってガーデニングの草花を撮影したんですが、これなども日本人との国民性の違いが現れていると思うんです。ヨーロッパの方では自然に生息する草花というのはあまり見られなくて、イギリスでもガーデニングのような形で人の手によって造られたものを鑑賞しているでしょう。だからそれを写真に撮ることによって、日本人の自然観との違いを表現できると考えたんです。


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