●田中先生はいつ頃からライカをお使いになったんですか。
私がものごころついた頃は一眼レフカメラの勃興期で、ライカなんか知らなかったんです。ライカというのは面白いカメラで、それがライカであるとわからないと、全然価値が認められないものなんです。なんだかクラシックな格好をしてて、窓がついてて、使いにくそうだなと思ったのが一番最初の印象だったんですね。
ライカを意識したのは、父親がとっていたアサヒカメラという雑誌に、木村伊兵衛先生が優れたスナップショットを撮ってらして、データを見てみたらライカM3と書いてありました。このライカM3というのはどういうカメラなんだろうと思いまして、その当時のカメラの本を見たら、以外とこれは使いやすそうなカメラじゃないかと、じゃあ買ってみようかと思ったんです。
まだ中学生だったんですけど、その当時の輸入代理店はシュミットといって神田にあったんです。行ってびっくりしました。高価で。その当時のサラリーマンの給料の何十ヶ月分でした。自分はライカは一生買えないと思いましたね。
ところが人間の欲というのは変なもので、ライカが高いというと余計に欲しくなる。その頃なんとなく写真が好きで撮りはじめてまして、日大の芸術学部写真学科に進んだんですけど、父親をだましてライカのM2を買わせたんです。これを買いましたのは1967年、20歳の時です。当時としては大変な値段でしたので、もちろん新品では買えません。その当時のライカは新品が25万円くらいしたんですが、13万円ほど払ったと思います。
ライカを手に入れたのがうれしくてうれしくて、それでスナップショットを撮りはじめたんです。30年前の話ですから、その当時にはまだコンパクトカメラというものがこの世になかったんです。ライカというのは中判カメラが主流だった当時、それらの機種と比べるとコンパクト、それも非常に高級なコンパクト、そうした存在感がありました。 |