●ライカは人と人とを結びつける不思議な力があると田中先生は著書にお書きになっていますけど、これはどういう意味なんでしょうか。
ライカというのは1925年から今年まで、70数年間に造られた台数というのが二百数十万台。その間に戦争が含まれていますから、壊されたカメラもあるだろうし動かなくなったカメラもあるだろうし、残っているのは100万〜150万くらいではないでしょうか。
たとえば日本のキヤノンだけでカメラを2億台も作りました。そう考えると、カメラ市場の中ではライカというのは少数派なんです。少数派ですから、お互いに街角で外国人同士が、ライカのような高価なカメラをわざわざ下げていることに、何かの縁を感じますよ。ついつい声をかけたくなる。別にナンパするわけじゃないですけど(笑)。
1980年の暮れだったと思うんですけど、ポルトガルのリスボンに行ったんです。私のような単なる外国人観光客というのは、寂しくて視神経が刺激されるんです。だいたい写真家というのは寂しがり屋なんです。人間ハッピーになったら写真なんか撮りません(笑)。
リスボンの坂の多い街角の夕暮れのバーで、私が赤のワイングラスを傾けていた。絵になるでしょ(笑)。するとそこに、やはり観光客のアメリカ人が来たんです。私はライカのスタンダードをカウンターに置いていたんですけど、そのアメリカ人が近づいてきて「こんばんは。それは素敵なライカですね」と声をかけてきたんです。そこから友達関係がはじまったんですけど、たとえば、これが「こんばんは。それは素敵な使い捨てカメラですね」とはならないですね(笑)。これはライカだから友達関係が生まれたんです。
それが最初ですけど、それ以来、私が古いライカを持って世界中を歩いていると、色々なところで色々な人が声をかけてくれるんです。日本でもそうゆうことがありますね。
●その他に他社のカメラと比べたときの、ライカを持つ楽しみ、魅力というと、どのようなことがあるんでしょう。
ライカは1970年くらいまでは常に小型カメラの進歩の最前線にいたんです。ということは、その時代その時代の最新鋭機、ライカの最前線を使うことができる楽しみがあるんです。たとえばM3だと1950年代の最新鋭機ですし、M6は1980年代の最新鋭機です。確かに最近のカメラの方が最新技術で作られていますから優れているわけですけど、では今、私が持っているライカのスタンダードは、最近のカメラと比べてダメなのかというと、そうではないんです。かえって私を活性化してくれるんですね。
このスタンダードの場合は、こちらから考えなければいい写真が撮れません。まず露出を自分の頭で測らなければならない。距離計もついていませんから、被写体との間の距離も自分の目で測らないといけない。今のオートカメラというのは何も考えないで撮れますから、それと比べるとクラシックなマニュアルカメラというのは、頭を活性化してくれるんです。
●年齢とともにライカの中でも好みの機種というのは変わってくるものなんですか。
やはり20代の頃にはライカの中でも最新の機種でないと気に入らなかった。親をだまして買ったわけですが、その当時は高価なこともあって、一生にライカは1台だけでいいと思っていました。ところが70年代になると、もう1台欲しくなったんです。その当時のライカの最新鋭機はM4でした。何とかならないかと思っていると、1973年にオーストリーのウィーンに行って、持っていった日本製カメラをオーストリーのカメラマンをだましてトレードしたりしまして(笑)、その後、少しずつライカを増やしていったんです。 |