路上観察紀行
その時には何なのかよくわからないことでも、
撮り続けているとわかってくることがあるんです。
それがすごく楽しい。

 誰でも日常の中で、ふっと立ち止まって何かに見入ってしまうことってあると思うんです。立ち止まるってことは、そこで何かを感じているんです。このことが路上観察では大切なんですね。何を感じたかは、その時にわからなくてもいいんです。かえって、すぐにわかってしまうものは面白くありません。些細なことでいいんです。とりあえず、足が止まったそれを写真に撮っておく。メモ帳に書いておく。その立ち止まった理由を後から考えてみる。こじつけでもいいし、ただの思いこみでいいんです。勝手にストーリーを描いてみてもいい。
 そうして撮りため、記録してゆくと、その時には自分が何を感じたのかわからなかったことでも、後でわかってくることがあるんです。それがすごく楽しいんですね。
昭和9年と彫られている消火栓。年号の彫られている消火栓自体珍しい。(黒磯)
 結局、路上観察というのは道草なんです。誰でも歩いているときには目的地を目指しています。目的地に到達することばかりに集中していると、路上に気がつかないんです。路上観察は目的地にたどりつくまでの行程を楽しむ、むしろその途中の道草が目的になっているんですね。目的地はただのきっかけなんです。そういう遊び心が路上観察なんじゃないかと思います。
 
 
波に千鳥は日本に古くからある模様だが、これは防火の願いがこめられている。持ち主にその事を話したら、「ヘェー」と言って感心された。(矢吹町)
屋根に扇が装飾されている家が目につく。この地方では意味があることなのだろうが、通りすがりの私には「不思議で面白いモノ」に見える。(守山)
斬新なデザインの駅。大きなハエか蚊がチューチューと地中の汁を吸っているように見える。(矢吹町)
 
 
狛犬の後ろ姿。正面とはまったく異なる造形。この意外性がよい。(鏡石)
 林氏はこの後も「奥の細道」を道草をしながら歩かれます。「奥の細道」が終わったら、その後はどうするのか、との問いに「死ぬまで路上観察を続けていますよ。今回の『奥の細道』は仕事ですが、仕事にならなくたってやってます」と、いかにも路上観察の神様らしい答えが、明るく返ってきました。
 皆さんも、今度の休みにはカメラを片手に、道草をしに町に出てみてはいかがでしょうか。ファインダーの向こうに、不思議で面白い世界が見えてくるかもしれません。
 
 
 
 
 
 
 
 
「何でもすぐに、このメモ帳に書き込むんです」と語る林氏。林氏の路上観察ではカメラとともに、メモ帳が重要な役割を果たしている。
もどる もくじ