日頃は何でもない景観が、写真で切り取ってみると、
すごく美しい造形だったりするんです。
幸手の路上では、ちょっと怪しい彫り物を見つけたんです。二人のお坊さんが夫婦のように寄り添っているんですよ。変でしょ? 道祖神にしては二人の僧侶というのはおかしいですし、なぜこれが彫られたのか、その由来がわからない。
路上には気をつけて見ないと見過ごしてしまう、だけどよく見てみると、とても不思議なモノが結構あるんです。黒磯では、昔階段があったらしい跡が壁に残っていました。その景観は、日頃は何でもなく見過ごしてしまっていると思うのですが、こうして写真で切り取ってみると、すごく美しい造形であったり不思議なモノであったりするわけです。切り取り方によっても全然違って見える。ファインダーを額縁として、町の景観を作品として見ているわけですね。
観光客が砂利を使って手足や首をつけ、勝手に亀にしてしまった。他にもいくつかあったけれど、これは中でも保存状態(?)がよく、完全体で残っていた。(日光東照宮)
怪しい道祖神? うれしそうに寄り添っているところが、よけいに怪しい。(幸手)
スリッパを奉納? 足に御利益のある神社なのだそうです。納得。(黒磯)
階段の跡が美しい造形を形づくっている。造形美というのは町中のいたるところにある。町は大きな美術館だ。(黒磯)
地方によってはよく見かけるモノ、またその地域では不思議でも何でもない。けれど別な地域から訪れた人からすると不思議に思えたり、面白く見えたりするモノも多いんです。たとえば看板ですが、間々田で見つけた「お茶とはきもの」という変な看板は、地方に行くと時々見かけます。前に「魚と宝石」というのもありました。おそらく魚屋さんの息子さんが魚屋さんが嫌で、宝石屋さんをはじめてしまったのではないかと思います。だから一つのお店で魚と宝石を売っている。このお店でも、お茶と、はきものを売っているわけですが、「と」が小さく書かれているところからすると、最初は「お茶はきもの」だったのかもしれませんね。だけど、それでは「お茶は着物」と読めてしまう。そのことに後から気がついて、小さく「と」を入れたのではないでしょうか。もちろん、これは私の勝手な想像ですけど。
路上観察の魅力は日常の中から不思議と思えるモノ、面白いと感じるモノをファインダーを覗きながら、写真で捕らえてゆくこと、と語る林氏。また、写真を撮るかたわら、丹念にメモをとることも、その時の自分のイマジネーションを、後になって、しっかり表現するのに役立つのだとか。
弁天様のお使いが蛇なので蛇を奉納していると思うのだが、蛇というよりはウンコが並んでいるようにも見える。(今市)
目の病に効くので絵馬に「め」と書いて奉納する神社。中には鋳物や石で「め」と作ってある凝ったものもある。(今市)
私は路上で気がついたことをすぐにメモ帳に書きます。そうしないと忘れてしまうんです。面白いものを見つけて、もう少し歩くと、もっと面白いものがある。そうすると前のことを忘れてしまうんです。ですから些細なことでもすぐに書きます。なんだかわからなくても書きます。それが体に習性として染みついているので、条件反射のように書いています。歩きながらでも書きます。私にとっては写真もメモ代わりなのですが、写真ではわからないこと、たとえば、その時に自分が感じたことなどを書き留めておきます。
お茶と、はきものを売っているお店。小さな「と」は後からつけたものか?(間々田)