路上観察紀行
路上観察は一人一人の個性を活かしつつ、
みんなが集まると新しい発見につながってゆく。

 一人一人の個性を十分に活かしつつ、みんなが集まると、さらに新しい発見につながってゆく。それが路上観察の醍醐味のようです。その楽しい仲間が再び集まり、今度は東北を歩くことになりました。松田さんの目には東北の町と、その路上がどのように映ったのでしょうか。路上観察をするときのコツとともに、奥の細道で松田氏が見つけた不思議なもの、面白いものについてうかがいました。

 今回は芭蕉の歩いた道を路上観察をしながら歩いているわけですが、芭蕉は奥の細道を歩きながら、そのときそのときに自分が感じたことを俳句にして残しました。芭蕉は俳諧をしていたわけですが、私達は自分が感じたものや気になった景観などを、写真で切り取っているわけで、これは写真を使った俳諧のようなものだと思います。写真で俳諧をしながら徘徊しているわけですね(笑)。

※俳句はもともとは連歌という、数人が和歌を歌い継いでゆく遊びの、最初の歌(これを発句と言います)が独立したものです。この俳句と連歌の総称を俳諧といいます。

 路上観察では、昔は栄えていたのに今はさびれてしまった場所、旧道や神社、銭湯などがある地域を探して歩くといいんです。そうした場所には、今から見ると不思議に思える古いものが残っていることが多い。たとえば郡山で見つけたタバコ屋さんのショーケースの上に描かれたガラス絵には、パイプをくわえたマドロスが描かれていました。

昭和20年代から30年代にかけて、日本でマドロスが流行ったことがあって、「パイプ加えて口笛吹けば」という歌にもなったんです。パイプを加えてたら口笛は吹けないはずなんですけど(笑)。おそらくその絵は、その時代に描かれたもので、そのまま今日まで残ったのでしょうが、その絵のマドロスはどう見ても少年なんですよ。少年はパイプを吸ってはいけないはずで、海上なら国内法は適用されないということなのでしょうか(笑)。
煙突の下の方に「NO SMOKING」と書かれている。煙を出してはいけない煙突とは、禅問答のようなものだ。(村山)
おそらく成り行きでこうなったのだろうが、配色の美しい光景だ。こうした被写体はファインダーの切り取り方で味わいが変わってくる。(平泉)
 
 
 また、その土地その土地の習慣や風土が生み出す特有な景色も、よそ者の私達には面白いものに見えるんです。山形県には、他の土地では見ることができない、美しい漆喰装飾が施された戸袋がたくさんあるんです。これは昔、山形に漆喰の職人が多く住んでいたためなんですね。山形県にはこの他にも、柱の太い、ずんぐりとした鳥居が多いんです。その土地の人たちには見慣れた鳥居なんでしょうが、私達が見ると、ちょっと太って見えるので面白い。

 岩手県の平泉では、ある町内に手書きで「犬」と書かれた貼り紙が戸に挟まれていました。東京では「猛犬注意」の貼り紙を見かけますが、この町ではどこの家でも単に「犬」と書いてある紙を貼ってあるだけなんです。それを玄関の戸に挟んで「犬」という字が表に出ている。それが本物の犬が玄関からチョコンと顔を出したところを想像させてくれて楽しいんです。

 石巻では使い捨てられた秤がズラリと仲良く並んでいました。この港は昔から栄えていたんですが、港では荷の積み降ろしの時に秤が使われるわけで、その古くなった秤を一角に並べて放置してあるんですね。そうした景色というのは、港で生活されている方々には当たり前のものなのでしょうが、私達には不思議な景色に見えるんです。象の墓場ならぬ秤の墓場で、なんだか死期を感じ取った秤たちが、自分たちからここへ集まってきたような、そんな想像をしたくなる景色なんですね。
たばこ屋のショーケースにあったガラス絵。マドロスがパイプを加えている絵なのだが、そのマドロスが、どう見ても少年に見える。少年はパイプを吸ってはいけないはずなのだが…。(郡山)
 
戸袋に漆喰で見事な装飾がなされている。山形の「戸袋文化」は山形県特有のもの。(尾花沢・村山)
 
 
 
ちょっと太ってずんぐりとした、どことなく、かわいらしい鳥居。山形県には、こうした鳥居が多く見られる。(東根)
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