特集

■自然にも人と同じように
老いがあり、営みがある。
その多面性に注目してほしい。
●先生は『サライ』という雑誌に『誰も行かない日本一の風景』というテーマで連載を続けておられましたが、これはどのようないきさつで始められたのですか?

 もともとは私の釣り友達だった、小学館のNさんという方が、『サライ』という新しい雑誌を作るので手伝ってほしいと言ってきました。たとえば絵葉書にならない日本一の風景を撮ってくれないかと言う。それで『サライ』の創刊準備号から10年間担当しました。

 まだ人に知られていない日本全国の風景を探して取材に行くのですが、これらの撮影ポイントを探すにあたって、一番利用させていただいたのはお役所でしたね。町役場です。こういう理由でヘン(?)な風景を探しているのですが、そちらにそういう風景がありましたよね?と全国各地の町役場に電話して聞いてまわるのです(笑)。すると担当の方が、ああ、あそこかな、と答えてくれまして(笑)、資料として観光パンフレットを送ってくれました。そのパンフレットを見て撮りに行くわけです。それが10年も続きました。
●先生はルポルタージュを何冊も出版されていますし、『紀の漁師黒潮に鰹を追う』ではプレイボーイ・ドキュメント・ファイル大賞も受賞されました。先生にとって、こうしたルポルタージュと自然風景の写真とは、どのような関係があるのでしょうか?

 私のルポルタージュは何年にも渡る長い時間をかけます。取材する対象の一瞬ではなく、もっと多面的に、全体像を伝えようとするものが多いのです。私は人も動物も自然の一部、自然の見せる一面だと思っています。ですから私にとっては自然写真も人や動物のルポルタージュも、同じ自然の全体像を捕らえようとしている、より大きなルポルタージュの一環なんです。

 たとえば、桜はほとんどの方は花が咲いたときしか見ないし、写真に撮ろうとしませんね。しかし私は冬の桜をずっと撮り続けています。桜樹の枝のおりなす造形美は花が咲いているときでは隠れて見えません。枯れてからでないと見ることができない。私はその枯れた桜樹が見せる構成美の方に魅かれるのです。

 桜の花が咲いているところというのは桜樹の一面でしかありません。人で言えば華の一時期なのです。でも人は華の時期以外は美しくないのかというと、そうではありません。人はもっと多面的で、たとえ老人になっても美しいと感じられる時がいくらでもあるのです。同じように、桜もまた花が咲いている時だけが美しいわけではないんです。枯れた桜樹だって美しい。私はその枯れた桜樹の美しさに気がついたときに、自分が桜の一面しか見ていなかった、桜の多面性に気がつかなかったと思いました。それから私は冬の桜も撮るようになったのです。もちろん、夏も秋も撮っています。

 自然も人間と同じように老いがあり、営みがあります。日本人は昔からただ美しい一瞬に焦点を当てるだけではなく、「わび」「さび」という枯れてゆく美しさ、美しさを失った後にも美しさを見つけだそうとする美意識を持っていました。そうした、美しさを多面的に捉えようとする精神は私たちの中にも受け継がれているはずなんです。
ホタルの撮影のかんどころは、日が落ちた直後にシャッターを切ること。空に、いくぶんかの残照があるほうがいい。三脚は重量のあるものが望ましい。
■カメラ:ニコンF100 レンズ:ニッコール58mm 絞り:f2 シャッタースピード:8秒 フィルム:エクタクローム 撮影地:鹿児島県大隅町
冬の桜を撮りつづけている。桜が、その木の構成美を見せてくれる。夏には夏の、秋には秋の美しさがある。
■カメラ:ニコンF100 レンズ:ニッコール50mm 絞り:f4 シャッタースピード:1/60 フィルム:フジベルビア 撮影地:岐阜県荘川村 荘川桜
街道を車で走っていて、コブシの群落が目に飛び込んできた。美しいものと出遭ったとき、迷わず撮影の態勢に入りたいもの。
■カメラ:ニコンF100 レンズ:ニッコール180mm 絞り:f8 シャッタースピード:1/125 フィルム:フジベルビア 撮影地:岐阜県清見村
 
 
 
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