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種清豊のフォトコラムコラム・ギャラリー

2012.03.09【Vol.054】

クラシックカメラ話「バルナックライカ」

以前、「ライカの話」として少し書かせていただきました。その続きということで「バルナックライカ」について少しだけお話します。

ライカは装着するレンズマウントの違いにより「スクリューマウント」「Mマウント」「Lマウント」により3種類にタイプが分類できるのですが、その中の 「スクリューマウント」を採用しているタイプがバルナック型になります。

今から87年前の1925年に発売されたライカA型(I)に始まり1960年に生産終了するライカIIIgまで、細かいものをのぞくと20種類のバリエーションがあるバルナックタイプですが、基本的な構造は、初代のA型からIIIgまで変わっていません。もっとも、IIIgはM3が発売された後の1956年に発売されているので、バルナックのマイナーチェンジと言うと怒られるかもしれませんが・・・。

初めのころはレンズ交換できませんでしたが、1930年のC型になってそれが可能となり、以後バルナックタイプのカメラのレンズマウントはC型のそれを引き継ぎます。ですので、1930年ごろのレンズ(一部C型専用レンズ除く)と1960年ごろのレンズに互換性があります。今のカメラメーカーでは当然のように昔のボディと新しいレンズが使用可能ですが、すでに50年以上前にシステムが出来上がっているカメラも当時としては珍しい部類に入ります。

また交換レンズの多様性から、連動距離計(当時は自動焦点機構と呼ばれました)の搭載も行われます。1932年のライカD型(II型)からです。しかし、距離計のないモデルも発売されたり、かと思いきや、それら距離計のないモデルを有償でバージョンアップして距離計連動にしたりと撮影から現像、引き伸ばしのシステムを1930年代に自社のブランドでシステムを組んでいたライカだからこそできたフォローなのでしょう。

そんなバルナックタイプは実のところその38年間、前のモデルを少しずつ改良し、マイナーチェンジしていったことになります。それでも、やはり高級カメラとして常にトップブランドであり続け、写真家の愛用者も多かったところを見ると、他にはない操作性、携帯性、シンプルさを常にキープし続けたからなのかもしれません。

余談ですが、カメラの構造自体はシンプルで、比較的工作が難しくないからか、戦前から戦後にかけて日本だけでなく、ソ連等でこのバルナックライカをコピーしたものが数多く製造販売されました。ただし、材料の性質や、加工精度の問題もあり、外側や撮影機能などはコピーできても、耐久性や操作の感触までは完全とは行かなかったようです。

ライカと日本製のニッカ

ライカと日本製のニッカ

ただし、スクリューマウント自体はそのマウントを採用するカメラがたくさんあったおかげで、さまざまなものが生産されました。ライカスクリューマウントは、ボディーは違えども、レンズが共通するいわゆるユニバーサルマウントですので、現在でもたくさんの中古レンズがあり、今ではミラーレス一眼へアダプターを介することでも使用したり、昔のレンズ資産が活用されているようです。