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種清豊のフォトコラムコラム・ギャラリー

2012.04.27【Vol.061】

昔のフラッシュの話

時代ものの映画などで、写真家がカメラの傍らに立ち、なにやら片手に機械を持ってカチッとすると爆発にも似た眼のくらむ光が辺りに広がるシーンを見たことはないでしょうか。1800年代後半から盛んに使用されるようになった閃光粉と閃光器です。フィルムの感度がまだまだ低く、暗いシーンでの撮影が思うようにいかなかった時代ですが、携帯できて手軽に使える人工光ということであらゆるシーンで普及していきます。原理としては、マグネシウムを主原料に硝酸ナトリウムなどの助燃剤を加えた閃光粉を閃光器にのせ、閃光器が放つ小さな火花(ジッポライターと同じ原理です)で引火、発光するという単純な代物です。ストロボのようなシンクロ接点があるわけではないので、シャッターとの同調はすべて手動で行わなければなりません。

閃光粉と閃光器

閃光粉と閃光器

戦前、写真学校へ通い、後に営業写真館を開かれた方にお話を聞いたことがありますが、閃光器の扱い方だけの授業があり、かなり特訓をさせられたそうです。「シャッターを開く(バルブ等)→開いている間に閃光器の引き金を引く→シャッターを閉じる」の3ステップを延々くり返すだけの授業はつまらなかったそうですが、初めはバルブで同調させていたものを、確実に1/2秒のシャッター速度で同調させるように特訓したようです。また、写真館で見習いをされた際は、親方がシャッターを切るタイミングに合わせて(シャッターの音を聞いて判断したそうです)閃光器の引き金を引く役目を行ったそうですが、万が一同調に失敗=助手のミスや閃光粉が不燃に終わった際は、写真館にとってかなりの恥とされたということもおっしゃられていました。このように写真撮影が専門の知識や技術を持った方々によって行われていたことを示すひとつのエピソードです。

余談はさておき、実際の効果はどうだったのでしょう。いろいろと調べてみたところ、たとえば閃光粉約1g、絞りF8の設定で2m程度の距離まで光が届いたようです。フィルムの感度はH&D240(多少誤差はありますが今で言えばISO8相当に換算できます)と大変低感度のフィルムを使用した結果です。そう考えれば、少量でもかなりの光源になりますし現在の感度であればほんのわずかな量で大光量を得られます。ただし閃光粉には欠点もあり、大きな音とともに、燃えカスが当たりに飛び散るので、結婚式の記念撮影などでは料理の上に新聞紙を敷いたりと手間がかかったそうです。

1930年代にはすでに旧式の人工光源となっていたようですが、閃光粉の量を加減するだけで簡単に発光量を調節でき、当時主流になってきたフラッシュバルブに比べ経済的だったため、営業写真家の間では長い間重宝されたそうです。現在では、閃光器、閃光粉とも生産はされていないので入手は困難です。もっとも、便利な光源がある今となっては閃光器、閃光粉自体全く必要なくなったわけですが、先ほどの話しにもあるように、写真を撮影すること自体が特殊な技能として世間で認識されていた時代を物語る、象徴的な機材のひとつとして見ることができます。