心豊かにする風景を求めて地球を駆け巡る|写真家 上田優紀氏スペシャルインタビュー
本インタビューについて
新宿 北村写真機店で2025年1月7日~1月20日に写真家 上田優紀氏の個展「SKY/LAND/SEA」を開催します。13か国に赴いて撮影した大自然の写真を約30点展示する予定です。上田優紀氏に個展の開催を記念して、インタビューを行ってきました。写真をはじめたきっかけや追い求めているテーマ、展示作品について伺ってきましたので是非ご覧ください。
撮影スタイル
– 旅やダイビング、登山といったアウトドアアクティビティをいつから始められたのですか
家庭環境がとても特殊で両親が考古学者でしたので、小さな頃から海外がとても身近でしたした。旅に興味を持ち始めたきっかけも、父親が海外で研究の為に遺跡を掘っている人だったので、その遺跡に遊びに行く機会が多かったからだと思います。その頃から知らない場所に行くワクワク感や旅する楽しさを感じていましたので、その経験は今の自分の旅や撮影スタイルに根付いています。
また母親の海洋生物を研究している同僚の方に言えば海に連れて行ってもらいスキューバダイビングを教わることが出来る環境でしたので、海もとても身近でスキューバのライセンスも割りと早くから取得していました。
それだけ聞くととても良い家庭環境のように思われるかもしれませんが、上田家のサンタさんは地球図鑑やシートン動物記、ファーブル昆虫記を枕元に置いてくれるサンタさんで、子供の言う事は全然聞いてくれないサンタさんでした(笑)。ただもらったプレゼントを読んでいるうちに、そういったものが好きになって行くんですよね。その時読んだ本も今の自分にダイレクトにつながっています。
そして大学時代には雪山に登っていましたので10代には今の撮影スタイルに必要なアウトドアアクティビティーは全て身に着けていました。
写真家を目指すきっかけ
– カメラを始められたのはいつ頃からですか
世界一周の旅をする時にカメラくらい持って行こうかなって、そんな軽い気持ちで24歳の時に初めてカメラを購入してそこからカメラを始めました。キヤノン EOS Kissという入門機でとても小さな一眼レフが私の最初のカメラでした。
10代の頃は好奇心の赴くままに旅をしていて写真を撮る必要性を感じていませんでした。そして世界一周の旅でもなんとなく持っていったカメラは、最初の内は今までの旅同様必要なものという感覚はありませんでした。
– カメラの魅力に気づいたのはどの辺りからですか
世界一周の旅の途中、アイスランドの子供達との出会いを境に徐々に写真の魅力に気づき始めました。
アイスランドの公園に4、5歳くらいの小さい子供達がいて、私のような普段見かけないアジア人に興味を持っていそうだったので声をかけて旅で訪れた地域について写真を見せながら話しをしました。南米のアタカマ砂漠の写真を見せると見る見る内に子供達の目がキラキラして行くのが分かりました。砂漠というものは知っていても、それが実際にどんな風景で、どんな様子の場所かについては知らなかったのだと思います。子供達から暑いの? 寒いの? とか、これは? それは何? と矢継ぎ早に色々な質問をしてきて、その事からもしかしたらこの瞬間にこの子達の心が豊かになっているのかもしれないと思うようになりました。
その後もニューヨークの若者にアイスランドの写真を見せた時も、インドの電気、ガスも通ってないような場所で出会ったおじいちゃんとかおばあちゃんに、ニューヨークの摩天楼の写真を見せた時もアイスランドの子供達同様に目を輝かせて、僕に沢山の質問をしてきました。そういった事が続き、自分達が創造も出来ない風景に出会うと人は心を豊にするという思いが確信に変わりました。
そして、この想像もできない風景を人に伝えて人の心を豊かにする行為は自分の人生をかけるに値する事だと考えるようになり、日本に帰ったら写真を勉強しようと思い、それが写真家を目指すきっかけになりました。
– 旅にカメラを持っていくことで感じた変化を教えてください
10代の頃の旅ではカメラを持って旅をしていなかったので、写真を通したコミュニケーションがこんな豊かなものであると知りませんでした。この世界一周の旅が分岐点となり旅の在り方が変わりました。それまでの旅は与えられる側でした。旅してその場所に行って砂漠を見て感じる、だったんですけどそれ以降は同じ事をやっているんですが、伝えることが目的なので、1年半に渡る世界一周の旅と前と後では、旅の意味が変わってきました。
アマナでの経験
– 写真家になる為にどのような事をされたのですか
24歳で初めてカメラを買って、25歳の終わりの方にカメラマンのアシスタントになりました。
学校のクラブ活動で写真部だったわけでもないですし、芸術系の学校を出ているわけでもないから凄く遠回りしたかなと思う事はあります。でも、そもそも旅が無ければ写真家になろうと思わなかったですし、世界一周するまで写真家になるなんて夢にも思ってなかった訳ですから、グルグルと遠回りしたようにも感じますが、ある意味これで良かったのだとも感じています。
世界一周の旅から帰ってきた後に写真家になろうと決心していましたが、最初どうやって写真家になっていいか分からなかったので、旅の途中の海外から写真学校に行こうと願書の取り寄せをしていました。そして日本に帰り写真学校のテストを受けて翌年4月から入学する事が決まりました。ただ世界一周から帰ってきたばかりで、すっからかんでしたので、昼間バイトして、夜写真学校に行こうと考え、丁度アマナでフィルム管理のバイト募集をしていたので、そこの面接に行きました。面接官の方に夜写真学校に行きたいので、その時間までにはあがりたいですと伝えたら、たまたま次の年のアシスタントの新入社員枠が一つだけ空いているってなって、その後急遽社長面接を受けて、世界一周の旅で撮影した写真を見せながら、何で写真家になりたいかの話しをしていたら、合格となりました。
勉強するのであれば現場の方が良いと思ったので、入学が決まっていた写真学校を断って、カメラマンのアシスタントとしてアマナに入社することにしました。
– アマナでの経験はどのようなものでしたか
今までの撮影とは全く違う環境でしたので、最初は何言っているのか全く分からりませんでした。半段下げるって何?って状態で。。。 なので凄く大変でした。3年経過した時にアマナの場合、ジュニアフォトグラファーに上がる昇格試験があります。作品づくりをして見てもらうのですが、当初描いていたフォトグラファーの姿と目指す方向が違うように感じて、アマナを退職して写真家として独立しました。
アマナでは、写真がどういうものなのか?写真の歴史も含め、技術的なところもそうですし、知識的なことも学べたので入って良かったなと感じました。独立したての頃、風景写真ではなかなか仕事を見つけられなかったのですが、しばらくは広告の撮影をして食いつないでいました。料理の撮影をしたり、物撮りをしたり、モデルさんを撮ったりしながらお金が溜まったら、それを全部作品づくりにあてる日々を過ごしましたが、それが出来たのもアマナでの経験があったからです。
吉本興業との出会い
– どのような経緯で吉本興業所属の写真家になられたのですか
エベレスト登頂した後に、全く面識の無かったロンドンブーツ1号2号の田村淳さんが僕のXの写真を見てくれて、オンラインサロンのトークゲストとして呼んでもらい最初は個人的に淳さんとの関係がスタートしました。そして今度は僕が代官山の蔦屋でトークイベントする際に淳さんにゲスト出演してもらったのですが、その時の淳さんのマネージャーの方から吉本に入らないかと声をかけてもらいました。
写真展って良くも悪くも凄く閉鎖的で来場頂ける方は、そのギャラリーによく来られる方と、風景写真好きと、自分の写真を好きになってくれた人までなんです。勿論そういった方に来場頂けるのはとても嬉しいのですが、もっと沢山の方にこんな美しい世界があることを伝えて豊かな気持ちになってもらいたと思っていました。目を輝かせて写真を見てくれたアイスランドの子供達やインドのおじいちゃん、おばあちゃんみたいな人へも届ける事が出来ないかと考えていました。
でもフリーになって6、7年やってみたけど、やっぱりこのギャラリーの閉鎖的な空間の壁にぶち当たっていました。だからこそ、吉本興行に協力してもらう事で、僕じゃ届けられないところに届けられるかもしれないと思い吉本へ入所することにしました。
あと、僕は関西出身で吉本新喜劇とかずっと見て育ってきましたので、お笑いは大好きです。今回実は徳井さんとは初めて合ってトークイベントを行うのですが、M-1出る前からチュートリアルが好きで20年くらいファンだったりするので物凄く楽しみにしています。
現在吉本の中で吉本写真部を立ち上げようと模索しているようなのですが、これが実現して吉本写真部の皆さんと一緒に写真展をやれたら楽しくなるなと感じています。色々な撮影ジャンルの写真を一同に展示することで沢山の方に見て頂けたら嬉しいなと思います。トークショーも盛り上がりそうですよね(笑)。
カメラ機材
– カメラは何を使っているんですか
機材はずっとキヤノンを使っています。父親がキヤノンを使っていた影響から初めて買ったカメラもキヤノンでした。その後キヤノンのSHINESという賞を頂いたりしたので、その流れでキヤノン機材を愛用し続けています。
エベレスト登頂の際にミラーレスカメラのEOS R5を初めて導入することにしたので、事前に八ヶ岳で機材テストを行いました。このテストは機材を初導入する際は毎回やっているテストで、マイナス20~30°になる2月の八ヶ岳で雪を掘って、ジップロックに入れたカメラ機材を一晩埋めて翌日朝に電源、シャッター周りの動作確認をするのですが、EOS R5は問題なく使えたので、エベレストに持って行きました。
でもテストはクリアしても本番でダメになる可能性はあるので、一応ベースキャンプまでは実績のあるEOS 5Ds Rも持って行きました。部品が増えると、その分リスクが増すのでマウントアダプターを使う事は考えず、ボディーに合わせてレンズもRFマウントの大三元と、EFマウントの大三元の大荷物を持って行きました。そしてベースキャンプ到着後にEOS R5の動作確認を行ったところ正常に動いたので、それを持って頂上を目指しました。
三脚はベルボンのUT-63IIを使っています。とても軽くて小さくなるんですけど、150cmくらいの高さの三脚として使用できます。山に行く時は重宝していて、このシリーズは10年くらい使っています。高山病で頭がくらくらしている時でも、無意識に三脚を立てて、カメラをセットしてピントを合わせてシャッターを切れるように日頃から練習をしています。
写真展での展示
– タイトルの「SKY/LAND/SEA」への想いを教えてください
写真展タイトルの「SKY/LAND/SEA」は「垂直」「水平」「水中」の3軸で地球の大自然を幅広く撮影することを表しています。自分は単純に好きでやってきた事なのですが、エベレストの頂きに立って、世界中の風景を撮って歩いて、クジラと一緒に潜って写真を撮っている人って他にいないなと思いこのようなタイトルにしています。
写真のテーマの根っこは自分の好奇心で、客観的に見聞きしたことでなく、自身で体験して感じた事を写真に写しとめたいと考えています。こんなものが現実にあるのかと感じてもらう事を重要視したストレート写真になります。アイスランドの子供達がこんな風景が、この世に存在している事を知るには記録写真でありたいと感じています。
– 展示される写真の見どころについて教えてください
マナスル、アマ・ダブラム、エベレストの3つの山を登って撮ったのがSKY「垂直」のパートで展示している写真です。こちらはエベレストに登頂して標高7500m付近で捉えたものです。エベレストが世界一高い山という情報は子供達でも知っていることですが、登らないとそれを体感する事は出来ないと思います。この前に世界で8番目に高いマナスルという標高8163mの山を登ったんですけど、そこでの7500mはファイナルアタックの地点で、もう後4、5時間登れば頂上に着くだろうという所なんです。けどエベレストは、まだ頂上までこんなに遠いんです。ここからまだ2日間くらいかかりますし、ここまではまだ緩い方で、ここから厳しい世界が広がります。エベレストにとっての7500mはここからが本番という場所なんだと思うと世界最高峰という事を身をもって感じ、その瞬間を捉えた写真になります。
次にLAND「水平」のパートです。こちらは去年の9月にナミビアに行って8000万年前に出来た世界最古のナミヴ砂漠で捉えた写真になります。8000万年前はエベレストがまだ海の下にあり、南極でさえ違っていましたので同じかたちをして現存するものってこの地球上に他に無いんですね。
中心地から4駆の車で行けるところまで砂漠を進んで、車をおりた後は水とカメラと方位磁石だけを持って、6時間くらい西に歩いていったところに砂丘があって世界最古の砂漠の雰囲気を感じられるところを見つけました。砂は含まれる鉄分が酸化して赤くなり、雲一つない真っ青な空が広がっていました。そこへオリックスが空と砂丘の稜線の所にトコトコ歩いてきてそれを見た瞬間に、あっこれかもと感じて撮影しました。8000万年前の地上に哺乳類はいなかったのですが、これが数千年を凝縮したナミヴ砂漠の風景かなと感じています。
この辺の撮影テーマも考古学者をやっていた両親の時間に対する考え方が影響していると思います。小さな頃父親は1000年前なんて、最近だよって言うんですよ。いや、そんなわけないじゃんって言うと、100年前なんて昨日じゃんって言ったりして、その感覚で生きている人から大きく影響を受けて、今回の写真のテーマに繋がっているのだと思います。
最後にSEA「水中」のパートです。山に登ると大抵は下山中に、次はどの山に登ろうかと考えているんですが、エベレストからの下山中は何故か海の中を見たいな、と思うようになりました。海と山は全く逆なんです。標高8000mはバクテリアですら生きて行けない環境であるのに対して、海の中はあらゆる生物が溢れている場所になりますので、それに憧れて心が動いたのかもしれません。
そして実際にエベレストを下山した後、タヒチに行ってクジラを撮りに行きました。素潜りで撮影したのですが、彼らがこちらに好奇心を持っている間に、彼らの横でストレスをかけにないように写真を撮る必要があり、ものすごく難しい撮影でした。この後もスリランカにシロナガスクジラを撮りに行ったり、メキシコへシャチを撮りにそれぞれ1ヵ月ずつ行っていたのですが、1回も会えずでした。自然環境が大きく変化していて、水温が下がってしまい通るルートが変わっていたようです。そういった繊細な生き物を撮ろうと思っても出会う事が出来ないこともあり、本当に動物って難しいなと感じています。
上田優紀 氏プロフィール
1988年、和歌山県出身。京都外国語大学を卒業後、24歳の時に世界一周の旅に出発し、1年半かけて45カ国を周る。帰国後、株式会社アマナに入社。2016年よりフリーランスとなり、想像もできない風景を多くの人に届けるために世界中の極地、僻地を旅しながら撮影を行なっている。近年はヒマラヤの8000m峰から水中、南極まで活動範囲を広めており、2021年にはエベレスト(8848m)を登頂した。
受賞歴
2017年 Canon “SHINES” 2017 品川一治選
書籍
2018年 写真集「Ama Dablam」
2022年 写真集「空と大地の間、夢と現の境界線 -Everest- 」
2022年 新書「エベレストの空」
写真展
2019年 キヤノンギャラリー銀座、名古屋、大阪 「Ama Dablam」
2020年 キヤノンギャラリー品川、大阪 「Manaslu」
2022年 代官山蔦屋書店「空と大地の間、夢と現の境界線 -EVEREST-」