Mの旅人 #1|石井朋彦

石井朋彦
Mの旅人 #1|石井朋彦

旅立ちにあたっての前口上

カメラを構え、シャッターを切る。シンプルで奥深く、答えのない行為において、最も大切なことは何でしょうか。露出を設定すること、フォーカスを合わせること、フレーミングすること。デジタルカメラが進化し、スマートフォンでもこれら多くの機能が自動化された時代に、今も昔も変わらず、撮影者が行わなければいけないことがひとつだけあります。

それは「被写体との距離を測ること」です。どれだけテクノロジーが進化しても、撮影者と被写体との距離は、撮影者が自ら動き、決定する必要があります。ズームレンズを使えば、何十メートルも離れた場所から、野生動物を撮影することはできますが、被写体のすぐ近くにいるという緊張感を伝えることはできません。ポートレート撮影も同様です。離れた場所からズームレンズを通して撮る表情と、対象と会話を重ねながら距離を詰めていった時の表情とでは、親密感や実在感が全く異なります。どれだけカメラが高性能になっても、撮影者自身が被写体との距離を決め、カメラを構えるという本質は変わらないのです。

『Mの旅人』では「M型ライカを購入したものの、上手く撮れない」「つい、最新のオートフォーカスカメラを選んでしまう」という方に「距離計連動カメラ」としてのM型ライカの機構と魅力について、私が失敗と試行錯誤を繰り返しながら学んだことをご紹介してゆきます。

M型ライカは、今から70年以上も前に、距離計(M型ライカのMはドイツ語のmesssucher(メズスハー)=距離計のMの意)を備えたファインダーを搭載したカメラです(初めてレンジファインダー機構を備えたのは1932年発売のライカII型(DII型))。
設定画面を開かなくとも、ISO感度・露出・シャッタースピードを決定すれば、距離計と連動したファインダーを通して被写体との距離を測り、撮影することができる。基本的な機構は、デジタルカメラとなった今も同じです。

 

ライカM10-P + アポ・ズミクロンM f2.0/50mm ASPH.

次々と新しい機能が搭載されたカメラが発売され「Computation Photography(イメージセンサーとAIによって写真を高画質化する技術)」によって、スマートフォンで撮影した写真が、プロ用のフラッグシップカメラと肩を並べる現代において、何故70年間機構が変わらないM型ライカが、今なお愛されているのでしょうか?

その理由を知る旅に、読者の皆さんと一緒に出かけましょう。

スコットランド・エジンバラ M型ライカで距離を測る

 

「いい写真が撮れなかった」とは「被写体に近づけなかった」ということ。
 “If your pictures aren’t good enough you’re not close enough.” ロバート・キャパ

 

M型ライカで距離を測るーー今回の旅に必要なレンズの焦点距離を「50mmの標準単焦点レンズ一本のみ」としましょう。少し広めの画角が好きな方は、35mmレンズでも良いかもしれません。

「何故50mmか、35mmなのか?」それは、これら標準レンズ(35mmは「広角の終わり、標準の始まり」と表されたりします)が、人間の視界に最も近いからに他なりません。75mm、90mm、135mmといった中望遠・望遠レンズでは、被写体との距離が遠くなってしまいますし、28mm、21mmといった広角レンズは撮影者の見た目よりも広く、被写体との距離感が掴みづらい。M型ライカ用のレンズには、一部の例外を除いてズームレンズは存在しませんが、その場にいながら寄ったり引いたり出来るズームレンズでは、被写体の距離感を身につけることは難しいと私は考えます。50mmレンズ一本あれば、寄りたい時は数歩前に出れば良いですし、引きたければ後方に下がるだけで良い。標準レンズは、自らが動くことで、望遠レンズにも広角レンズにもなりうるのです。

 

今回の旅先は、スコットランドの古都・エジンバラです。世界遺産にも指定され、ハリー・ポッターの原作者、J.K.ローリングが作品を執筆した中世の趣を残す古都は、写欲を満たす風景に満ちています。

旧市街から少し離れたAirbnbにチェックインし、観光客が訪れることはないだろう住宅街をM型ライカを下げて歩き始めると、カラフルなドアに目を奪われます。敷地内に入らないくらいのギリギリの距離まで寄って、一枚。顔を上げると、レモネードを飲み終えたらしきグラスが。住人の方のものでしょうか? 撮影する位置はまったく変わらず、身体の向きを変えただけ、もう一枚。もっとコップに寄りたければ、後でトリミングすれば良いと考えます。

 

新たな街を訪れる時に私が心がけているのは、観光名所を訪れる前に、高台や高層ビルに登って街全体を俯瞰することです。「カメラマンは高いところへ登れ」という格言がありますが、これから訪れる街の大きさを掴むと共に、雑踏に紛れて知ることのできない距離感を、イメージとして捉えておくことが狙いです。

エジンバラの街を見下ろす「カールトン・ヒル」に登り、旧市街へむけてファインダーをのぞきます。これから歩こうとする旧市街は、南北各々500mほど。電車やタクシーなどの交通機関に頼らずとも自らの足で歩くことができそうです。

 

目を閉じ、これから撮りたい写真をイメージします。最近手にした写真集の中の一枚や、美術館で印象に残った絵画、映画のワンシーンなど。ストリートフォトは、偶然の瞬間を捉えるものと考えられがちですが、事前に「こんな写真を撮りたい」とイメージすることはとても重要です。私はアニメーションのプロデューサーを生業としていますが、これまで見てきた膨大なアニメーションのレイアウトを探して撮っているような気もします。

現代を代表する写真家、アレック・ソスは、広大なアメリカの大地をドライブしながら、「これからこういうものを撮る」というメモをハンドルに貼り付け、被写体を探すのだそうです。言葉やイメージには、被写体を引き付ける磁力があるのでしょう。

 

街を歩き始めたら、通りの幅を距離で測る

Google Map で自らの位置を確認し、街を歩き始めます。

まず行うことは、道路の幅を身体に入れておくこと。旧市街をエジンバラ城へ向かって歩き始める前に、通りの反対側ーー被写体が歩くであろう歩道の真ん中あたりに距離計を合わせました。しばらくゆくと、通りの反対側に古い電話ボックスが三つ並んでいることに気づきました。「何故電話ボックスが、同じ場所に並んでいるんだろう……?」こうした素朴な疑問は、後に作品を見る鑑賞者の疑問でもあります。興味を惹かれるものに出会ったら、近づかずにしばらく待ちます。見渡すと、坂の下から、白髪の男性が歩いてくるのが見えました。

 

既に道路の幅は測ってあるので、カメラは手にしたまま。男性が近づいてくるのを待ってからファインダーをのぞき、50mmのブライトフレーム内に電話ボックスが三つ収まっていることを確認し、男性が電話ボックスの間に入ったところでシャッターを切ります。オートフォーカスカメラでは、男性が電話ボックスに隠れてしまった途端に見失うことは確実ですが、その心配は一切ありません。

私はよく、映画やYouTubeで、ストリート・フォトグラファーの撮影風景を観察するのですが、彼らはカメラを手に街をゆく一方で、待つ時間を恐れていないように感じます。自分がイメージした写真を撮ることが出来そうな場所を見つけたら、その瞬間が訪れるまでじっと待つ。

「写真の神様、良い写真を撮らせてください」
そんな祈りが届いたと感じる瞬間を、何度味わえるか。それが、カメラを手に旅をする醍醐味だと感じます。

路地裏に入り階段を登ると、格子の向こう側にブランチを楽しむ人々の姿が見えました。
通りの幅は先程の通りの半分ほど。距離計を半分くらい戻してファインダーを覗くと、ほぼ、テーブルの角と距離が合っています。ほんのわずか距離を調整し、シャッターを切ります。手前に映り込む手すりに、ピントが合ってしまうことはありません。M型ライカは「確かにこの写真は自分の意識で撮ったのだ」と感じさせてくれます。上手くいってもいかなくても、結果は自分自身にある。そんな緊張感が、次第に快感に変わってゆくのです。

 

宮﨑駿監督の焦点距離は標準+広角の情報量?

スマートフォンやズームレンズに慣れた方は、50mmの焦点距離は想像以上に世界が「狭く」感じるかもしれません。標準と言うよりも、望遠に近い感覚を得る人もいます。M型ライカで撮る際にはあるコツがあります。50mmのブライトフレーム外に見えている範囲に注目し、近くの被写体であれば一歩か二歩、遠くの被写体であれば数歩下がることで(風景に関しては大胆に走って下がるくらいの気持ちで)、ブライトフレーム外の情報も、50mmのブライトフレームに少しはいるくらいの気持ちでフレーミングします。この時に私が注意しているのは、ライブビュー(液晶画面)を一切使わず、自分が見たままの世界をブライトフレームで切りとるという意識を持つこと。この感覚が「距離を測る」という意識につながってゆきます。

「ハウルの動く城」という映画の制作中のこと。宮﨑駿監督のレイアウト(構図)修正中、後ろにずっと立って見ていた時期がありました。宮﨑さんはアニメーターが完成させたレイアウトの上下左右に、元には描かれていなかった情報を描き加えてゆきます。

「人間の目は、カメラのように世界を見ていない。見たいものを見ているからね」

宮﨑さんのレンズは、50mm前後の標準レンズです。しかし、それでは情報量が足りない。レイアウトの上下左右に35mm-28mmくらいの広角域に映る情報を描くことにより、人間の「見た目」により近い情報量をコントロールしているのです。

M型ライカのブライトフレームは、50mm外の情報が見えているので、こうした「宮﨑さん流」の情報のコントロールがしやすいのです。

 

撮影時に考えることはひとつに絞る

大通りに戻ると、人だかりができていました。遠巻きに様子をうかがうと、大道芸人がガソリンに浸したジャグリングスティックを手に、ジョークを交え、パフォーマンスを始めるところでした。それなりの距離があれば、ピントにシビアになる必要はありません。大体の距離を目測し、シャッターを切る。この瞬間注意したことは、フォーカスを合わせることでも、フレーミングにこだわることでもなく、宙に浮いたジャグリングスティックが、空を背景に舞う瞬間を狙ってシャッターを切ることだけです。

理想の一瞬を切りとるのに必要なことは、反射神経でも、卓越したセンスでもありません。考えるべきことをひとつに絞り、その瞬間にシャッターを切る。人間は一度にいくつものことを行うことはできません。ファインダーをのぞき、フレーミングを合わせ、フォーカスを合わせてからシャッターを切っていては遅いのです。

 

ストリートスナップの名手、アンリ・カルティエ=ブレッソンの代表作「Decisive Moment」は日本語で「決定的瞬間」と訳されますが、フランス語の原題は「Image à la sauvette(逃げ去るイメージ)」です。一瞬で過ぎ去るイメージを捉えるためには、撮影者もまた、身体的・思考的に身軽でなければなりません。

私は、カメラを構えた後に考えることは、シャッターを押すタイミングだけと決めています。それ以外の動作は、構える前に決定しておく。フォーカスは距離感さえ掴んでおけば大幅にずれることはありませんし、多少フォーカスが合っていないほうが写真に絵画的な統一感が生まれます。フレーミングは、被写体が写っていれば、あとでトリミングすればいい。過ぎ去る瞬間だけは、イメージした瞬間にシャッターを切らなければ残せないからです。

「撮れた!」と感じたら、別の場所に移動し、異なる距離から同じ被写体を撮ることも重要です。大道芸人を取り囲む人々の背後から90度の位置に回り込み、大道芸人が踏み台に上がったところで聴衆の前で腰を落とし、下から見上げる形でM型ライカを構えます。

 

ジャグリングスティックは必ず、大道芸人の身体の前を通過するはずです。男性が立つ踏み台の横に座る際に、踏み台の中心あたりに距離計を合わせているので、フォーカスについて考えることはありません。オートフォーカスカメラだったら、ジャグリングバーと背景との間でフォーカスが行ったりきたりしてしまうことでしょう。瞳オートフォーカスを搭載している最新のカメラであれば、男性の目にピントが合い続けますが、ここで私が撮りたいのは、燃えるジャグリングスティックが、最良のタイミングで宙を舞う一瞬だけです。燃え盛るジャグリングバーが背景の窓枠と重ならず、大道芸人の顔に最も近くなったところでシャッターを切りました。

撮った瞬間の記憶が脳内にも現像されるM型ライカ

 

M型ライカを初めて手にした人は、ファインダーを覗き込んだ後、ファインダーから思わず目を離して被写体を見た後、再びファインダーを覗き直します。M型ライカのファインダーは、液晶のビューファインダー(EVF)や液晶モニターを通して見る世界と違い、ガラスの光学ファインダーを通して、被写体を直接見ているに過ぎないからです。現代においてはあまりにもアナログなこの機構が、いかなる最先端カメラでも得られない撮影体験をもたらしてくれるのです。

帰国し、撮影データをパソコンに取り込むと、その写真を撮影した時の記憶が、空気や匂い、音と共に蘇ります。不思議なことに、スマートフォンや最先端のデジタルカメラで撮影した時には、このようなことは起こりません。子供の運動会を見に来たのに、撮影に夢中になりすぎて、振り返ってみると、ズームレンズ越しの子供のアップしか記憶にないという経験をした方は多いのではないでしょうか。

M型ライカで撮影した記憶が鮮明に残るのは、撮影した瞬間、撮影者は撮影データを一度も見ておらず、光学ファインダーを通した本物の世界を見ているからです。M型ライカで旅をする喜びは、旅の記憶を自らの脳内に記録しながら、撮影データとしても記録できる点にあるのです。

 

M型ライカの魅力は様々です。70年も前のレンズがデジタル化した現在でも同様に使え、単なる高画質化を追求することなく、レンズごとにキャラクターを持たせ、他のカメラとは明らかに異なる描写をもたらしてくれることは大きな魅力です。もうひとつの利点であるコンパクトなボディは、M型ライカの生みの親、オスカー・バルナックが、それまでスタジオでしか撮影できなかった大型カメラを小型化しようとしたことに端を発する重要な要素です。しかし、サードパーティ製レンズにも素晴らしい描写のレンズはありますし、スマートフォンはもはや、誰もが携帯するカメラとなりました。被写界深度やボケ味をも「Computation Photography」で疑似再現できる昨今「ライカはコンパクトで高画質である」とか「レンズ描写が素晴らしい」といった特徴よりも「M型ライカの魅力は、カメラを構える前に被写体との距離を測り、余計な機能に煩わされることなくシャッターを切ることに集中できる、プリミティブな撮影体験にある」ーーと考えるのです。

 

これからM型ライカを購入しようと考えている方はまず、店頭で実際に光学ファインダーをのぞき、ファインダーを通して見た世界と、撮影される写真が別である(=撮影者は撮影時に現実を見ており、撮影されるデータを見ているわけではない)という、現代において唯一無二の機構を理解した上で、M型ライカにしか得ることのできない撮影体験の世界へ、足を踏み入れて頂ければ幸いです。

……と、初連載で少々前のめりに書いてしまいましたが、この連載は、自らの戒めとしても書いています。旅先で撮影した何百枚もの写真の中に、偶然撮れた「奇跡の一枚」を見つけることも写真撮影の醍醐味。ぜひ本連載を通して、読者の皆さんと写真の面白さを共に学ばせて頂ければ、これほど嬉しいことはありません。

次回の旅は、真夜中のパリへ。

モノクローム写真専用の「ライカM11モノクローム」で真夜中の街を撮るという、ライカフォトグラフィーでしか体感できない未知なる旅路へ、皆さんをご案内します。

 

つづく。

※撮影機材すべて:ライカM10-P + アポ・ズミクロンM f2.0/50mm ASPH.

 

 

■写真家・映画プロデューサー:石井朋彦
「千と千尋の神隠し」「君たちはどう生きるか」「スカイ・クロラ The Sky Crawalers」等、多数の映画・アニメーション作品に関わる。雑誌「SWITCH」「Cameraholics」等に写真やルポルタージュを寄稿し、YouTubeやイベント等でカメラや写真の魅力を発信するなど写真家としても活動。
ライカ GINZA SIX、ライカそごう横浜店にて写真展「石を積む」、ライカ松坂屋名古屋店にて写真展「ミッドナイト・イン・パリ」を開催。JR高輪ゲートウェイ駅前では、撮影・ディレクションを行った、高さ3m、全長140mにわたる仮囲いデザイン「CONSTRUCTION ART WALL」が展示中。

 

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