映画の中の、あのカメラ|05 PERFECT DAYS(2023)オリンパス μ(ミュー)
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はじめに
皆さんこんにちは。ライターのガンダーラ井上です。唐突ですが、映画の小道具でカメラが出てくるとドキッとしてしまい、俳優さんではなくカメラを凝視してしまったという経験はありませんか? 本連載『映画の中の、あのカメラ』は、タイトルどおり古今東西の映画の中に登場した“気になるカメラ”を毎回1機種取り上げ、掘り下げていくという企画です。
“足るを知る”ための生き方のレッスン
今回取り上げる作品は、ヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』です。本作は2023年に公開された映画で、舞台はドイツの名匠ヴェンダースが愛してやまない東京。オリンピック・パラリンピック開催に向けて渋谷区内に新施工された数々のクールジャパンなトイレの清掃員である平山(役所広司が好演)の送る日々を淡々と描いた名作です。
東京の東側(おそらく墨田区)の風呂なし木造2階建(でも掃除は行き届いている)の物件に住む平山は、毎朝同じ時間に目を覚まし、自前の掃除道具がきっちりと納められた軽乗用車で仕事に向かいます。スカイツリーを視界に収めながら東京の西側に向かう車中で彼が聞くのはカセットテープ。就寝前のひとときは文庫本をタングステン電球のスタンドで読むといった具合で、アナログメディアが劇中では重要な役割を果たしています。
平山が、毎日ポケットに入れているカメラ
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The Tokyo Toiletと白いロゴの入ったブルーのユニホームのポケットに、平山は小さなフィルムカメラをいつも入れて持ち歩いています。それが、オリンパス μ(ミュー)です。早朝の出勤前に持っていくのは、玄関先にセットしてある財布、携帯電話、鍵束、缶コーヒーを買うための小銭、そしてオリンパス μ。このカメラは35mm判(昨今ではフルサイズと呼びます)の全自動フィルムカメラで、最大の特徴は小型で軽量、ケースレスで持ち運べるデザインであること。清掃着の胸ポケットに入れていても苦にならない大きさと重さのカメラです。
3次曲線で構成された、操作を促すデザイン
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何件かのトイレ清掃をまるで禅僧の修行のように丁寧かつ淡々とこなした平山は、いつも昼休みになると神社の決まった場所に腰をおろし、簡素な食事を済ませます。そして毎日同じように1本の木から降り注ぐ陽光を感じながら、胸ポケットからオリンパス μを取り出してカメラの前蓋をするっとスライドさせて写真を撮ります。
ケースレスデザインのオリンパス μは、右手でグリップするサイドに厚みがあり、レンズバリアの淵が僅かに山なりに盛り上がっているので自然に指がかかり、うながされるまま右に動かすとクリック感があってバリアが止まり、カメラがスタンバイしてくれます。
小型軽量化のためのプラスチック素材
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裏蓋を開けてみると、フルサイズのアパーチャーの上に光学式ファインダー、左右には35mm判フィルムのパトローネと巻き上げ用のスプールがレイアウトされており、かなりミニマムな間取りの物件であることがわかります。
カメラの主な素材はプラスチックで、フィルムの上下端に設けられたレールも金属をフライス加工したものではなく生のプラスチック。フィルム装填は自動で、左側にパトローネを入れてフィルムの先端をスプールの端に添え、裏蓋を閉めるだけで1コマ目までローディングしてくれます。
小型のリチウム電池1本がエネルギー源
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オリンパス μの電源は、CR123A型3Vのリチウム電池。同時代の高機能型カメラでは6Vタイプで枕型のCR-P2もポピュラーでしたが、CR123Aのほうが断然コンパクトですし、このタイプの電池は今でも入手が容易なので安心です。
ここに電池室を設けることで、右手でホールドする側に厚みが出ます。無闇に薄型化するのではなく安定して持たせるという人間工学的な目的と、電動カメラのエネルギー源をどこに収納するのかという課題を一挙に解消するのがこのレイアウトなのだと感心させられます。
小さなボタンと控えめな液晶表示
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レンズバリアをスライドさせると、ちょこっとだけレンズが前に迫り出してきてスタンバイ状態になるとともに、セルフタイマーとフラッシュモードの切り替えが可能になり、メインの液晶ディスプレイ(といっても控えめなものですが)に表示されます。
劇中で平山は、毎日お昼休みに見上げている友達のような存在の1本の木から注いでくる木漏れ日をオリンパス μで撮影します。大きな木をベンチから仰ぎ見る角度なので光線状態としては逆光で、そのままではフラッシュが自動発光してしまう。そこで平山はオリンパス μの銀色の小さなボタンを操作して、フラッシュ非発光にしてからノーファインダーで静かにシャッターを切るのです。
たった3枚で構成されたミニマムなレンズ
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オリンパス μの画角は35mmの準広角で開放F値は3.5。そしてレンズはトリプレットタイプです。1959年に登場したハーフ判カメラの初代オリンパス Penには4枚構成のDズイコーが奢られていましたが、1991年発売のオリンパス μはフルサイズであるにも関わらず質素な3枚構成。でもAFは100ステップ刻みの細かさです。
劇中では、普段は横位置ノーファインダーの仰角で撮る木の前に家出してきた姪っ子が立つ姿を縦位置のアイレベルで撮り、その写真が一瞬挿入されますが、もう泣きそうになるぐらいエモい(というか普通の基準では粗い)感じで写真が撮れているのが印象的です。
ピカソminiから転じて生み出されたカメラ
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オリンパスというブランドは、記憶に残るカメラを数多くリリースしてきました。コンセプターの坂井直樹氏とデザイナーの山中俊治氏により1988年に登場したO-productもそのひとつ。プラスチック外装が標準的だった時代にアルミ素材を採用し、あえて丸と四角だけで構成されたデザインで限定生産2万台(結構な生産数です)のモデルでした。
O-productの中身はオリンパス μの先輩モデルに当たるAF-10 ピカソminiというカメラでプラスチックの質感丸出しのコンパクト機でしたが、その正常進化版が500万台(すごい数です)も売れたオリンパス μということになるかと思います。
プラスチックを使ったコンパクトカメラの始祖は?
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オリンパスのプラスチック外装コンパクトカメラの先駆けといえば、Penシリーズを手がけた米谷美久氏による設計で1979年発売のXAです。オリンパス μと並べてみると、ストロボは外付けの仕様ですがボディ単体ではだいたい同じサイズ感なのが分かります。
XAは距離計連動のMF機で絞り優先AE、レンズは5群6枚のFズイコー35mm F2.8というマニアックな仕様であり、プラスチック外装であるにも関わらず円と直線で構成された簡素なデザインには心惹かれるものがあり、個人的にはXAを使いたいと思いますが劇中の主人公のキャラクターにはオリンパスμのほうが好適かもしれないと思います。
まとめ
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軽くて小さくてシャッターを押すだけでエモいフィルム写真が撮れるプラスチックのコンパクトカメラ。オリンパス μはアルミ削り出しのiPhoneがデフォルトのZ世代の人たちにとっては不思議な質感を持ったアナログカメラであり、フィルムで撮影するという未知の体験に誘ってくれるアイテムです。
かたや劇中の主人公は、おそらく発売当時から本機を使用しており、それ以上の利便を求めることなく21世紀の東京で淡々と生活しています。その簡素なライフスタイルは決して貧しいものではなく、“足るを知る”ことの豊かさを提示するもので、これからも彼の日常にオリンパス μは寄り添っていくことでしょう。
■執筆者:ガンダーラ井上
ライター。1964年 東京・日本橋生まれ。早稲田大学社会科学部卒業後、松下電器(現パナソニック)宣伝事業部に13年間勤める。2002年に独立し、「monoマガジン」「BRUTUS」「Pen」「ENGINE」などの雑誌やwebの世界を泳ぎ回る。初めてのライカは幼馴染の父上が所蔵する膨大なコレクションから譲り受けたライカM4とズマロン35mmF2.8。著作「人生に必要な30の腕時計」(岩波書店)、「ツァイス&フォクトレンダーの作り方」(玄光社)など。企画、主筆を務めた「LEICA M11 Book」(玄光社)も発売中。