修理人たぐちの徒然日記コラム・ギャラリー
2011.04.22
昭和34年京橋川が埋め立てられ親柱を残し撤去され、日本橋と同じように高速道路がかっての橋を跨いでいます。近頃では、橋が橋を跨ぐようです。
中央通りを挟んだ小さな公園?の中に青物市場跡の碑がありました。新しい発見です。
江戸時代、日本橋川河岸に魚市場、京橋川河岸は青物市場ですから賑わったのでしょうね!
同じ場所に江戸歌舞伎発祥の碑もありました。益々賑わっていたことでしょう。 故杉浦日向子さんの実家が京橋と聞いております。江戸文化研究に影響を与えた街かもしれません。 中央通りと昭和通りの間に骨董通りがあるようで、道理でギャラリーや骨董屋が目立つと思いました。 新・御宿かわせみ(平岩弓枝著)維新のどさくさに畝源三郎が凶弾に倒れた後、ご新造が日本橋で西洋の古美術のお店を開いたとあります。この辺りだったのでしょうか?
銀座一丁目6番地にあります区立水谷橋公園です。Yahoo地図にもMapionにも画像の厠が載っています。時計付きの建物で歴史があるのでしょうね!
Yahoo地図では、この厠に6番地と表示してあります。真意は定かではありませんが、本当に厠が6番地ならタモリさんが喜んじゃうと思います。ぶらタモリで“時計台と番地のある厠“放映しませんかね!臭い話でボツでしょうか?
公園の先を左に曲がりましたら年代物のビルがありました。古いビルですよね!外観もさることながらエアコンがベランダに並んでいます。建設当時は必要無かったのでしょうね!(当時はエアコンなる代物は無かったかも知れません。団扇の時代でしょうか?)
中央通りから昭和通りに向かい2本目の通り、松屋デパート裏あたりに位置します。
看板が見えてきました。
店内には、蕎麦友と何度か通った京橋店時代の暖簾が飾ってありました。
十割蕎麦が20食。外一が40食の限定で外一を注文。ところてんを突くように製麺機からニュルニュルと出て来て打ち立て茹でたての箱蕎麦です。挽きぐるみか?僅かに外皮の星がみられる。量は、普通でも大もりの感がします。
蕎麦前を楽しんでいる方もおり、昼時で店内は喧騒であった。
蕎麦湯が湯樋でなく急須であるのも微笑ましい。
帰り途、目に留まったのは若き女性が工事中の板囲いに落書きか?昼日中落書きではあるまい。アートの製作中である。ペイントの溶剤臭がキツイと心配してしまう。
地面に描かれた白線も芸術であろうか?
表に回ればショールームの硝子に男性が製作中である。製作の道具であるのか?傍らのスケボーは何を意味するのか。。。
気にはなるが、確認をしないまま立ち去ってしまった。
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