修理人たぐちの徒然日記コラム・ギャラリー
2011.05.20
東京メトロ根津駅を千駄木駅方向(先頭)の改札を出て不忍通りを進行方向に歩いていくわけですが、表通りは人混みで剣呑です。此処は裏通りを行くのが宜しい。すいすいと根津神社に通じる道に出ました。ツツジの観賞が済んだ方、またまた之から観賞に向かう人々でご覧の通り。道端には臨時のお店が多々出ております。手前左側が神社になります。
気温的にはかき氷は遠慮したい陽気です。でも食べたい族がおります。シロップが静岡紅ほっぺとなりますと、コメカミがツーンとしても食べたいが人情。子供にせがまれれば尚更です。
急遽店先に並べました簪類です。商売がんばらなくちゃ。
根津権現社は1900余年前日本武尊の東征の際、勝利を祈願して千駄木の地に創建したと伝えられています。
現存する建造物は綱吉が兄綱重の子綱豊(六代家宣)を養嗣子に定めた際に屋敷地を献納、大造営を行い、戦火をくぐり抜けて当時のまま現存し重要文化財に指定されています。
平岩弓枝著(はやぶさ新八御用帳8巻)春怨根津権現の話がある。
(「たいした人出だな。たかが花をみるくらいで、これだけの人数が根津へ押しかけて来るっては、世の中、暇な奴が多いってことか」さりげなく混雑から小かんをかばいながら、隼新八郎はいささか当惑していた。)当の私も暇人になってしまいました。
唐門からつつじ山を望む。
崇敬者が祈りと感謝の念を鳥居の奉納をもって表そうとする信仰は、江戸時代に起こり 伏見稲荷の千本鳥居は有名です。 鳥居の先に乙女稲荷・駒込稲荷があります。
大木がそそり立っていた証の大きな切り株があった。
徳川家宣胞衣塚(とくがわいえのぶえなずか)胞衣とは胎児(母体の中の子)を包んだ膜と胎盤をさす。昔は胞衣を大切に扱ったようで各地の民間伝承に見られます。関東では家の床下や入り口の敷居の下に埋める習慣があったようです。
グアテマラ西部高地マム系先住民の父親は臍の緒に紐を結び高い木に結びつけるとあります。フィリピンのミンダナオのブギドノンと言う人たちも地中に埋めるとあります。
現在では臍の緒として保存されますね!臍の緒は胎児性水俣病認定の有効な手段にもなりました。何かの時に臍の緒は役立つかも知れません。
家宣が奉献した現存する大御輿三基の内の一基。幕府財政のゆとりがありました時期ですから立派な御輿です。隔年9月の大祭には氏子に渡御(御輿が進むこと)するそうです。
神社を出たところに「焼かりんとう」を売っておりました。松任谷由実さんがお気に入りとか、ユーミンスープは?でしたが、試食して求めてしまいました。この頃、焼かりんとうがヘルシーとかで良く見かけます。先日も鎌倉五郎のさくさく棒を試しました。
矢張りかりんとうは本来の太い黒糖に限り、固い歯ごたえが好みです。
http://www.yakikarinto.jp/
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