修理人たぐちの徒然日記コラム・ギャラリー
2012.02.17
立春を迎えたとは言え冬の佇まいの檜原村を訪れるのは初めての事です。
山に入る手前の檜原街道、先日の降雪の痕跡は認められませんね!沢山降りましたのでしょうか?
本日は、降雨でも差支えない懸案の作業を致すべく雨中の訪れとなりました。予報では暖かくなり15度を超えるはずでしたが、外気温6度の寒さです。
秋川の本流から支流へと分けいると急こう配の山道が続き山の斜面に溶け残った雪を認める。急こう配ですから降雪の際の運転は都会人にとりましては剣呑です。道に無くて一安心です。
道路脇の所々に融雪剤が置いてありました。
雨雲は渓谷を埋め尽くし、自然が作り出しました水墨画の様相ですね。
雲は常に移動しており、絵筆を何処に置こうかと思い悩んでいるようにも見えます。
途中、行き止まりの標識を横目に奥へと進んだ途中に地域の鎮守、貴布祢伊龍神社がありました。昭和に入ってから修復した際に寛文庚戌(1670年)に修造の記録があったと申しますから、もう少し時代をさかのぼると思います。社殿の脇に御神石と思われる大石にしめ縄がありますから、信仰の対象なのでしょうね!でも、この大石は何処からお越しなされたのでしょうか?
チョイと郷愁を思う景色です。棕櫚が生育していますから、都会人が思うほど寒くは無いようです。
秋川の支流も跨げる幅になってきました。この先行き止まり車で入れるのも此処までです。この辺の清流に致しましょうか?事前に地元の方と連絡を取りまして教えられた場所です。
側の村民の方に挨拶を致して場所が決まりました。
何をしに来ましたと申しますと、寒晒し蕎麦を試すのに訪れたのです。
一袋10Kgを二袋、合計20Kgの玄蕎麦。身を切る程冷たい清流に晒し、寒晒し蕎麦とするためです。
蕎麦打ちを趣味としていますと深みに嵌り行くのですね!
遂に寒晒し蕎麦をと話が纏まった次第です。
玄蕎麦を清流に浸している間に流れてはいけません。麻袋に入れまして二点縛りで慎重を期します。
寒晒し蕎麦は長い歴史がありますようで江戸時代信濃国伊那郡高遠藩・信濃国諏訪郡高島藩から将軍家に献上していました特別の蕎麦であったようです。
寒晒しとは、大寒の入りに行い立春に引き上げると申しますが、寒が明けて立春晒しとなってしまいました。それでも清流の水温は低く間に合いそうですね!
冷たい清流に玄蕎麦を浸す事で玄蕎麦からのアクが抜け、舌触りが良くなり、円やかで甘みを増すのです。
又、雪国では招かざる客の雪ですが、招かざる客を利用して越後上布の雪さらしや唐辛子の「かんずり」作りには欠かせないものなのです。
隠居人の推理ですが、種は水を吸収すると発芽しようと目を覚そうとします。
でも、水温が低すぎますので春ではないな~ぁ。と混乱しているとおもいます。
余りの水温の低さにびっくりして身を守るために糖分に変えて自己保身作用をするのです。
兎も角、どの様に玄蕎麦が変化したのか?楽しみな寒晒し蕎麦です。
JA五日市ふれあい農産物直売所で求めました烏骨鶏の玉子。(3ヶ180円也)
玉子掛けご飯に程良い大きさですね!
中身の濃い烏骨鶏の玉子でっせ!!
隠居人に元気をもたらしますでしょうか?
あなたの大切なお写真の現像・保存・プリントは写真専門店カメラのキタムラにおまかせください。