他の人とは違った視点で、表現の「新鮮さ」を追求する



新緑が初々しい朝の光の中で、芽吹きを食する子ザルの兄弟。サイドから当たる光に毛並が輝く。カメラを意識して目線が合った時、反射的にシャッターを切った。
■カメラ:キヤノンEOS-1 レンズ:EF500mm F4.5L 絞り:f4.5 AE プラス1/3 補正 フィルム:ベルビア 三脚使用 撮影地:長野県上高地



ラベンダーの密を集めるミツバチ。その動きは素早いため、訪れそうな花にピントを合わせ待ちぶせするのも効果的である。
■カメラ:キヤノンEOS-1N レンズ:EF100mm F2.8マクロ 絞り:f4 AE フィルム:プロビア100 撮影地:北海道富良野市
●やはりご自身の自然観のようなものが、先生の作品にも何らかの形で反映されているのでしょうか?

 自然を撮ろうと思ったら、カメラを持って森へ入ったり、渓流へ下りて行ったり、海へ出たりするわけですが、その瞬間に別の自分が目覚めてきて、被写体である自然と自身とが一体となるような感覚を覚えます。

 自然はずっと昔からそこにあるわけですから、人間の尺度で自然に対するのではなく、あるがままの自然の中に自分が溶け込んでゆくことが、撮影の上でも大切です。それですぐに良い写真が撮れる時もあるし、撮れない時もある。撮れないのは変に欲をかいていたり、いい写真を撮ろうと意気込みすぎている時で、「自然の表情」が見えてこないんですね。そんな時は自然に見放されているんです。

 だから自然に教えられる事って、本当に多いんです。より良い作品を撮ろうと思ったら、気象の動きなど写真以外の知識も必要です。例えば強い風が吹く時というのは、いきなり来るのでなく、その前にまず微風が吹くものなんです。それを頬で感じた時は、もうすぐ強い風が来るという合図なんですよ。それから木の葉がカサカサと囁く時って、あるじゃないですか。その音を気にしていると、これから吹いてくる風の向きがわかるんですね。極めて動物的な察知のしかただと思うんですが、やはり人間も自然の中では根本的には動物ですから。先ほど言った「自然と一体になる」というのはそういうことなんです。




降り注ぐ光と前ボケの色彩の中で、無邪気なポピーが揺れている。リズミカルな色彩バランスを心がけた。
■カメラ:キヤノンEOS-1 レンズ:EF35〜350mm F3.5〜5.6L 絞り:f5.6 AEプラス1/3 補正 フィルム:プロビア100 三脚使用 撮影地:北海道富良野市
●すべての自然を撮影対象にされていると、撮影現場での被写体選びにも苦労されるのではないかと思いますが。

 私の被写体選びは、まず広い風景を見渡して、その中で眼にとまるものは何なのか、素材的に面白そうなものは何なのかを考えながらエリアを狭めていき、対象を絞り込んでいくのが基本です。そうすると、自分が撮りたいものがはっきりと見えてくるんです。

 そうしたら次は、そのモチーフをどう撮ったら作品として成立させられるかを考えるんです。例えば夏の渓流を訪れて、岩に激しい流れがぶつかる水しぶきが目に飛び込んできた、あるいは岩肌をなぞっていた水の足跡に惹かれたとしたら、その光景を活かして自分はどのような表現をするのかが大切なんです。

 有名な渓流などで撮られた写真を見ると、誰が撮っても同じ位置で同じような構図になりがちですが、それは単にきれいな景観として切り取ろうとしているからだと思います。もし私がそこへ行ったなら、絶対に他の人とは同じには撮らないでしょう。

 私は作品づくりにおいて、他の人が撮ったものとは違う視点、表現としての「新鮮さ」を最も重視しています。だからアマチュアの方などが、コンテストに応募する作品を先生にトリミングしてもらったりするのにも、私は疑問を感じます。それは先生の感覚で切り取ったものであって、その時点で自分の作品ではなくなる。例えば服を買う時だって、店員さんにどれかを薦められたとしても、最終的には自分のセンスで選ぶじゃないですか。だから写真だって、もっと自由な視点で撮って、オリジナリティのある表現をすべきだと思うんです。


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