路上観察紀行

冒険心を失うと写真から面白味が失われてしまいます。
路上観察には作例がありませんから、
最初から冒険なのです。
 赤瀬川氏は新しいものの見方を教えてくれる路上観察が、例えば風景写真の撮影などにも影響を与えることがあるのでは、とも言います。

 路上観察の場合は優れた写真技術を競うわけではありませんから、通常の風景写真とはまったく違うものです。自分が面白いと思うものを見つけて、それを撮るわけですから、これをこう撮ればいいというセオリーがありません。それだけにオリジナリティが出やすいんです。これは、写真を撮りはじめたビギナーがよく陥りやすいと思うのですが、作例があって、それに合わせて撮り、そのことだけに満足していると冒険心が失われていって、写真が面白くなくなってしまいます。作例のない路上観察は最初から冒険で、自分自身が作例を作っていかなければなりません。そうした活動を続けていると、風景を見る目線も変わってきて、たとえば新しいアングルや新しい被写体の発見などに結びついていくのではないでしょうか。
芭蕉と曾良の像。二人はここ本海合から船に乗って最上川を酒田へ下った。吹雪で雪女に抱きかかえられ、まんざらでもなさそうに見える。(本海合)
玉生でぺしゃんこの玉を見つけた。カーブミラーが脱落したものらしいが、一瞬何だかわからなくてびっくりした。路上は時折、不思議なものが落ちている。(玉生)
 
 
 
 
 みんな歳をとったので、冗談が目的になってきたと笑う赤瀬川氏。しかしひとたび路上に立つとアーティストとして、またトマソンの提唱者として、路上に造形を見つけだす臭覚の鋭さは失われていません。今回歩かれている「奥の細道」でも、赤瀬川氏の「本音」の観察は各地の路上で反応したようです。

 私は絵描きですから、自然と絵的な痕跡のあるものや、視覚的に面白いものに目がいってしまいます。今回の奥の細道でも、そうした物件が多く目にとまりましたね。もちろん自然にできたものですから、見立てが多くなります。たとえば千住では止水栓のまわりに草が生えていたんです。真上から見てみると、それが止水栓の緑の金環食に見えるんですね。象潟では富士山のように見えるガードレールもありました。特に止水栓の金環食の方は、もちろん偶然にできたものなのですが、それだけに余計に面白いと思うのです。
 このように自分の感じたものを記録しているわけですから、中には私の撮ったものを他の人に評価してもらえないこともあるんですよ。たとえば石巻では野生の草が風に煽られたんでしょうね、後ろのトタン塀にワイパーのような跡をつけていたんです。これは気をつけて観察していると、どこでも見られるものなのですが、私は以前、このとても大きなものを見たことがあるんです。それが面白くて私はこうした物件を「植物ワイパー」と命名したんです。しかし林さんは「なんだあんなもの」と言って全然認めてくれない(笑)。
地球儀かと思ったら、星座が配置されているので天球儀らしい。ほかでは見ないので、この学校の一品制作。まるで宇宙の鳥籠だ。(石巻)
 
 
 
酒田で見つけたキャバレーの壁面。化粧をおとしたホステスを思わせる。(酒田)
 
 
 
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