種清豊のフォトコラムコラム・ギャラリー
2011.07.22【Vol.021】
今回はブローニーフィルムを使うカメラ「ローライ」についてお話しします。
ローライはこの二眼レフという機種で有名になりました。二眼レフ以外にも様々なタイプのカメラを作りましたが、現在ではローライといえば二眼レフの代名詞のような存在になっています。
実はこのローライという名前は本来会社名ではなく、フランケ&ハイデッケ社のカメラのブランド名でした。現在は社名にもローライという名前が入っています。そしてこのフランケ&ハイデッケ社ですが、ドイツ、ベルリンの西に位置するブラウンシュバイクという場所で1920年(といわれています)に創業しました。社名にあるフランケとハイデッケですが、もちろん創業者である二人の人物パウル・フランケとラインホルト・ハイデッケからとっています。この二人は同じブラウンシュバイクにあるフォクトレンダーという光学機器メーカー(18世紀ウィーンで創業した光学メーカー)で働いていた同僚でした。フォクトレンダーにいた頃より新しいカメラを作ろうとしていたハイデッケが、社を1917年頃に辞め自分でカメラ店を始めていたフランケに自分の試作カメラを持ち寄り、それがきっかけとなり二人でカメラを作ろうと始めたのがこのフランケ&ハイデッケの始まりです。
初めは二眼レフではなくステレオ写真を撮影する、「ハイドスコープ」、「ロライドスコープ」というカメラを製造、販売していましたが、ステレオ写真が写真界で陰りを見せ始め、1929年ついに二眼レフ「ローライフレックス」が登場します。当時カメラが買える人は限られており、カメラが大衆的になったのは大体1960年ごろと考えられます。しかしローライは「ローライフレックス」というブランドを高級二眼レフと位置づけ、1929年フレックスの登場の4年後それより半額近く安い普及モデルを「ローライコード」として売り出しました。
このような努力もありローライ製品はドイツ国内のみならず、アメリカ、日本等で絶大な人気を誇り、瞬く間に二眼レフという種類のカメラを定着させていきました。第二次大戦後日本でもかなりの種類の二眼レフが作られたのですが、それらの殆どが「ローライコード」の基本構造を手本につくられており、いかにローライが完成したカメラを作っていたか想像できます。しかしその日本のカメラメーカーの急成長に伴いドイツのカメラメーカーの勢いが弱まり、ローライもそういったドイツカメラメーカーの一つになっていきます。ローライの場合二眼レフ「ローライフレックス」「ローライコード」が大量生産され世界中で使用されていたため、即座に倒産とまではなりませんでしたが、2007年にいたるまでに3度ほど経営権が変わったりして、決して順風満帆な会社とはいえませんでした。ですが、1999年には韓国の会社にあった経営権を買い戻し、「ローライフォトテヒニーク」としてドイツでの再出発をはかり、現在でも創業地ブラウンシュバイクでカメラ製造を続けています。面白いことに一時はドイツカメラ業界の脅威となった日本のメーカーから新しい技術や部品の供給をうけながら二眼レフ「ローライフレックス」をつくり、もちろんそれを日本でいつでも購入することができます。
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