写真という趣味を持つことで、仕事が忙しく常に追いまくられている中にも、
心にゆとりが持てました。
――長年システムエンジニアをされていたそうですが、写真家を目指した理由とは?


 私がシステムエンジニアとして働いていた時期は、コンピュータが世の中に普及し始めた頃で、毎日毎日、朝から夜遅くまで働いていました。やがてそのような生活に疑問を持つようになったのです。それが今から10年ほど前のことでした。  
 このままでは自分がダメになってしまうと思い、もっと趣味を楽しもうと思いました。それまでにも絵画や陶芸などはやっていましたが、自然と触れ合えるような趣味を考えていました。雑誌などを見ていると、きれいな風景写真に目を奪われました。絵画や陶芸は完成するまでに時間がかかるのがやや難点でしたが、それに比べると写真なら仕上がりまで時間もかかりません。きれいな風景を写真に撮って、その美しさを誰かに伝えられたらいいなと思い、写真を始めることにしました。

 


「夏の風」
三重県熊野灘の波です。日本は周囲を海に囲まれていることで、とても個性的で美しく豊かな国なのだと思います。
■カメラ:キャノンEOSIV レンズ:28-135mm シャッタースピード:オート絞り:f4

夏休みに祖父のいる木曽で過ごした時の数々の感動が、
被写体として自然風景写真を選んだ理由です。
――海外でも撮影活動をされていますが、日本の自然風景の魅力とはどのような点でしょうか?


 私の祖父が木曽の宮ノ越宿場に住んでいました。小学生の頃は毎年夏休みに1週間ほど滞在していました。都会育ちの私には見るもの、体験するものすべてが新鮮でした。山の間を縫うように流れる木曽川や畑や田んぼなどの素朴な風景が好きでした。特に印象的だったのがもぎたてのトウモロコシやトマトの美味しさ、そしてその鮮やかな色に感動しました。また夜の星空も都会では体験できないことでした。そのことがずっと記憶に残っていたので、写真を撮り始めた時も迷うことなく自然風景を撮るようになりました。
 海外に行って撮影もしますが、行く度に日本の自然風景の方が魅力的であるという思いが増します。私が感じる日本の魅力の一つに「水の良さ」があります。清流も数多く流れ、飲み水にもなるくらい清らかです。それに何といっても四季の変化があります。


きれいな写真だけが“いい写真”ではありません。
私が思ういい写真とは『伝わる写真』です。
――杉本先生の作品では、長野県阿智村の「駒つなぎの桜」が有名です。また、阿智村との交流もされているそうですが、そのことについてお聞かせください。


  名古屋にいた時に長野県の阿智村に「駒つなぎの桜」という有名な桜があることを知りました。そこでペンタックス6×7を持って撮影に訪れましたが、その時はまだ花が咲く直前で蕾の状態でした。周りの桜は満開だったのですが、駒つなぎの桜だけは蕾。たくさんのカメラマンがいたのですが、皆さんこの桜が目的だったようで、誰も撮影していませんでした。私もその時はがっかりしましたが、よーく観てみると幹や枝の姿がかっこよく、蕾の赤い色が何とも言えない雰囲気を醸し出していて、6×7の画角にピッタリでした。感動しながら撮った一枚でした。
 やがてこの写真が新聞に掲載されました。それを見た阿智村の村長さんから連絡があり、「ぜひまた村に来てください」とのお誘いでした。そして村長さんから「写真を通じて何か村おこしができないだろうか?」と相談を受けました。

 


「幻の滝」
熊野には大雨の翌日になると、今まで滝がなかった所に突然滝が現れます。
■カメラ:ペンタックス645 レンズ:45-85mm シャッタースピード:絞り優先AE 絞り:f22

写真は撮る人だけが楽しむのではありません。撮られる人、
写真を観る人などさまざまな人が写真を通じて気軽にコミュニケーションできるものです。
――写真を通じての『地域おこし』に取り組まれているそうですが、具体的にはどのような活動なのでしょうか?

「生命の力」
裏磐梯の周辺は、大自然の宝庫です。生命の力がみなぎっています。
■カメラ:ペンタックス645 レンズ:45-85mm シャッタースピード:絞り優先AE絞り:f16


 そこで私が提案したのは、アマチュアカメラマンを阿智村に招き、村の素顔を写真に撮ってもらうことでした。村長もその提案を受け入れてくれました。そこで村の方と一緒に撮影ポイントを探していたのですが、そこいらじゅう全てが絶好の撮影ポイントなんです。ところが村の方にしてみると、日常の平凡な風景に過ぎず、何故それが被写体として魅力があるのかが全く分からなかったようです。
 今ではこの村で毎年11月3日に文化祭を開催し、フォトコンテストも行なっています。その発表会を兼ねて参加者の全作品を掲出しています。そこで印象的だったのが、撮影者よりも村の人々の反応でした。見慣れた景色が作品に生まれ変わったことに驚きながら、「ここは自分の家の裏庭だ」「いつも農作業している畑だ」などと皆で大盛り上がりしていました。村の人たちが村の魅力を再発見したようです。
 これらのことから私が感じたのは、“きれいな写真だけがいい写真”ではなく、いい写真とは『伝わる写真』だということ。この阿智村で行なわれていることは、正にフォトコミュニケーションです。写真は撮る人だけのものではありません。撮られる人やその写真を観る人など、さまざまな人が写真を通じて気軽にコミュニケーションできるものなのです。

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