その頃から、自分でテーマを見つけて写真を撮ろうと考え始めました。そこで大学の3年生頃からだと思いますが、愛知県春日井市にある*亜炭鉱に2年間通って撮影を続けました。それともうひとつ、「青空保育園」を撮影しました。これは、当時の名古屋では保育園が不足していたので、中古のバスを教室に改造して屋外で保育施設を開いていたものです。その様子を写真に収めていました。
やはり当時は、『社会性のあるものこそ、写真のテーマに相応しい』という雰囲気がありました。まだ風景写真の分野は、趣味の延長線上みたいな考えで、正当な評価を受けていませんでした。私自身も社会的ドキュメンタリーを追った写真でなければ価値が無いという考えでした。 ちょうど、環境問題への関心も高まっていた時代だったので、写真を通して告発をしていくことに意味があったのです。雑誌にもこうした写真が数多く取り上げられ、ドキュメンタリー写真の全盛期の時代でした。私も大学卒業後、愛知県庁に勤務しながら、環境破壊が進んでいく伊勢湾の実態を追い続けていました。
※亜炭鉱:戦前石炭の代用としての工業燃料に使われた。
昭和36年頃、春日井市内には芝炭鉱をはじめ6つの採掘場があった。 |
【霜の朝】北海道上士幌町で、早朝に出会った霜の風景。遅れて咲いてきたハンゴソウの花びらに、霜が付着して面白いアクセントを見せてくれた。
■カメラ:キヤノンEOS-1 レンズ:EF180mmマクロ F3.5 シャッタースピード:1/20 AE フィルム:RVP PLフィルター・三脚使用 撮影地:北海道上士幌町 |
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