実家は写真館。
でも初めてカメラに触れたのは大学に入ってから。
 
――山梨先生と写真の出会いはどのようなことがきっかけですか?


 私の父親は東京・中野で写真館を営んでいました。ですから写真は小さい時から身近な存在でしたが、特に写真に興味があったわけではありませんでした。私には5人の姉がいましたが、末っ子で長男の私に、父親としては自分の跡を継いで欲しかったのだと思います。やがて大学進学の時に、父親から写真大学への入学を勧められ東京写真短期大学(現・東京工芸大学)に入学しました。
 実は大学に入るまで、私はずっと、実家の写真館で撮るお見合い写真や七五三のお祝い写真しか知らなかったのです。また、カメラも大判サイズの機材ばかりだったので、35mm一眼レフカメラを見たときは衝撃でした。家では父親の手伝いもしていなかったので、大学に入学するまでカメラには触ったこともなく、当然撮影したことはありませんでした。大学で友だちからカメラを借りて撮影したのが最初でした。

――最初に所有したカメラは何だったのでしょうか?

 当時はニコンFが私たち学生には憧れの的でした。ところが父親が私のために買ってくれたのはブローニーサイズのフィルムを使うマミヤプレスでした。このカメラはプロ用で、写真館でも十分通用するカメラでした。
 しかし、私は報道写真部に所属して安保闘争やメーデーを追っかけていましたので、中判カメラは使いにくくてしょうがありませんでした。


【雪の北山崎】高さ200メートルの断崖が延々と続く北山崎。冬の後半、低気圧が太平洋沖を通過すると東日本は雪となる。猛烈な吹雪が去った翌日、穏やかな日和になった。海岸線の雪は解けるのが早いので、降った直後でないと枝の雪は落ちてしまう。
■カメラ:リンホフマスターテヒニカ レンズ:ニッコール300mm 絞り:f22 シャッタースピード:1秒 フィルム:フジクロームベルビア PLフィルター三脚使用 撮影地:岩手県田野畑村

仕事をしながら旅行もできる、
絵葉書の出版社に就職。

――写真館を継がずに就職されたのですか?

【鳥取砂丘の風紋】冬の季節風が吹き荒れると砂丘に風紋ができる。日本最大の鳥取砂丘には冬でも観光客が訪れるので、足跡が無い場所を見つけるのが大変だ。風紋の質感を出すには、風紋に影ができる朝夕の斜光線とローアングルで撮影するとよい。
■カメラ:リンホフマスターテヒニカ レンズ:ニッコール90mm 絞り:f32 シャッタースピード:1/2秒 フィルム:フジクロームベルビア PLフィルター 三脚使用 撮影地:鳥取県鳥取市


 父親の勧めで入学したこともあり、やがては写真館を継がなければと思っていました。ところが大学に入ってみると、商業写真や報道写真など、様々な分野があることがわかりました。お客さんが来るのを待つ写真館の仕事より、外に出る仕事をしたいと思い、家の仕事を継がない決心をしました。
 やがて大学を卒業して、絵葉書の出版社としては日本で一番大きい福田芳文堂に就職することになったのです。そこには大学の先輩が勤めていたのですが、まだ学生だった頃にその先輩がたまに大学に来ては、「この前は上高地に行ってきた」、「東北に行ってきた」などと、とても楽しそうなんです。旅をすることに憧れていた私としては、「旅行しながらできる仕事があるなんて」とすごく羨ましく思っていました。
 学生時代には報道写真ばかりを撮っていたので、絵葉書のような自然風景写真は撮ったことがなかったのですが、2年生の夏に履歴書を持ってその出版社を訪問しました。たまたま社長さんが面接をしてくれて、30分ほどお話をしたら「卒業したらうちにおいで」と言われ、とてもびっくりしました。

――就職されてからの活動はどのようなものでしたか?

 私を含めカメラマンは3人入社し、私は北海道地区を担当することになりました。当時の交通手段の主役は列車です。ところがそれまで列車で遠くへ行くことがなかったので、まずは時刻表の見方から勉強しました。
 また、絵葉書用の写真を撮るのでスピードグラフィックという4×5サイズのカメラを会社から渡されました。シートフィルムを使うこのカメラに慣れるために最初にしたのは、フィルム交換の練習です。北海道に行く前に鎌倉や江ノ島に2〜3回、練習も兼ねて行かされましたが、当時のフィルムはすごく高価なものでしたので、今のように同一カットを露出を変えながら何枚も撮ることは許されませんでした。

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